今年、一番の寒さでした。

そら@内藤です。

3日の朝は、寒かったです。
今年、一番の寒さ。
マイナス14度でした。

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その日、特別支援教育の公開授業をやりました。
私が授業者です。
内容は数学の平面図形、平行移動です。

中部地区の先生方20名ほどが参観されました。

生徒は5名ですが、1名インフルエンザで欠席してしまったので
4名だけでした。
4名の生徒を大勢の先生方が取り囲んでしまうのですから、
子どもたちも私も緊張すると思われるかもしれませんが、
私も子どもたちも全く緊張しません。

私は、ただ子どもに集中します。
そして、何をやっても言っても安心で安全な場を創り出します。
子どもたちは、いろいろつぶやきます。
面白いことも言います。
前に出て来て黒板で作図して一生懸命に説明してくれます。
分かると「すっきり」と言いますし、
モヤモヤしていると「分かんない」と言います。

コーチとしてのあり方、信念に立って、授業をします。

そのあとの研究会で、参加された先生方が
そんな私や子どもたちのことをしっかり承認して下さいました。
嬉しかった。

・・さて、私は、今朝からなんだか咳が出て、
  だるくて、熱が出て来てしまいました。
  ガーンです。
明日までに回復できるでしょうか。
みなさんもお気をつけくださいね。

厳寒、春よ こい!

 超介です。

 厳寒中、ピラカンサの実が、映えています。枝と葉ばかりのもありますが、多くの庭木やら街路樹のそれには赤い粒が房状に鈴生り、花が少ない今、人目を引いています。実がない、枝と葉ばかりのものは鳥がついばんだあと、それはピラカンサの本来の戦略目的を達成した成果です。

 秋から冬にかけての長期間、こぼれんばかりの赤い実をつけているのは、人様の視覚に訴えるのが狙いではなく、飢えた鳥達の食事となり、その体内にはいり、運搬され、しかるべくところで播種してもらって子孫を増やすのが狙い。

 松山の椿祭りは1月30日〜2月1日の3日間でした。椿さんの時期がいちばん寒い、ということは、この後、春きたる、となるのです。春よ、来い! はーるよ こい!最終日の23時(この時刻で屋台は撤去)少し前、参拝にいきました。車両規制され、両脇にぎっしりと屋台が出ている参道、さまざま店のネタをひやかし見ながら、数百メートル歩いて社に到着。奉納ちょうちんでいっぱいの門をくぐり石段を二、三十段あがって拝殿に向かい、小銭を投げ入れ、鈴の綱をふり、手を合わせ、心を集中します。 
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 商売繁盛の神様ですが、この身すべてよろしくと、心をこめて全部お願いしてきました。それから、左手に向かい本殿を取り巻く回廊を通って右手から出ます。、その間、縦横1メートルくらいの大きさの12枚の絵馬やら、おみくじを引いてそれを引っ掛けるところ、それからこの神社にちなんだ「○○つばき」なるお飾り(?)—–これは1年もの、1年経てば又神社に戻します。愛嬌があって評判—–などたくさんあってこれらを見ておわれば、椿神社参拝の主たる行動はおしまいです。
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神様に(あてにはならないことがわかっていて)何万人もの人々が手を合わせていくのは(私は痛い身体を引きづって・・・・・右腰の関節が炎症、左足はかかとの皮膚をいため、歩行が億劫な状態・・・・)心の底の方では、祈ることに何かの意味を見ているからだと思います。

私の場合は、神様はすべてお見通しであるとし、考えずに心を集中させ、すべてお願いします。それで良し、具体的なことをごちゃごちゃいうのもせこい気がするので。神社に行ってお賽銭を払い、大きな鳥の背に乗せてもらい、どうぞ連れてってくださいとお願いします。赤い実のピラカンサみたいに・・・。

節分

かぽねです。

昔の人は、自然を観察しながら季節を感じていた
のだと思いますが、私が最近、季節を知るのは
コンビニの入口にかかっている看板です。
クリスマス、新春、節分、バレンタイン、ひな祭り、ホワイトデー
伝統的な行事と、外国発の商売イベントがごっちゃになって、
伝統行事の意味をかみしめて過ごすということはほとんど
なくなってしまった気がします。

明日が節分なのですが、海苔屋が考えたといわれる巻きずし丸まぶりが
伝統行事の象徴のようになって恵方巻きといわれて
コンビニの店頭を盛り上げています。

幼稚園に通っていたころは鬼のお面をかぶった鬼に、
思いっきり豆をぶつけていいという、他の行事にはない
開放的かつ、体育会的なイベントであり、
どこかの神社でお相撲さんが豆まきしている姿は
毎年の恒例ニュースですが、あの光景もなんか日本の
行事って感じで大好きです。

年の数しか食べたらダメと言われた福豆。そんなことは
お構いなしに口いっぱいに頬張っていましたが、
今は、年の数食べていいよと言われても
食べられないくらいの年齢になってしまいました。

息子はまだ0歳なので、一粒も食べれませんが
来年あたりは、鬼のお面をかぶって久しぶりの節分イベントが
楽しめそうです。

まずは聞くところから

[聞く] ブログ村キーワード

先日、妻のご両親がはるばる来てくださいました。

正月にいつも妻と子ども達が行っているのに今年は行けず、
向こうから来てくださいました。

まだ全然認知症とかボケてるとかではないんですが、
お年寄りによくある同じ話をよく話してきます。

今回も何度も聞いている話を聞きました。
でも、
「その話、もう聞きました」
とは絶対に言わないようにしています。:wink:
おそらく向こうも全く初めて話すとは思っていないでしょう。

でも楽しそうに話しているので、「その話をしたいんだな」と聞いています。
相手の楽しそうな表情を見ていると、不思議とこちらもイヤだとは思わなくなります。

妻も同居している私の両親の同じ話をよく聞いてくれています。:heart:
終わった後にこっそりと「45回目」とか私に言ってきますが・・・8-)

そういえば、妻との結婚に反対された時
私は
「結婚させてください!」
と熱く語った記憶がありません。:ase:

妻の両親の話、娘への思いをひたすら聞いていました。
何度か足を運んでお父さんの昔話まで聞くうちに
「悪いやつじゃないかな?」:??
:arrow:
「悪いやつじゃなさそうだな」:|
:arrow:
「悪いやつじゃないな」:-o
:arrow:
「まあいいか」:!!:
となって行ったように記憶しています。

私は不思議と反対されていた時もあせりはなく、
「まあ、いつかは許してくれるだろう」
なんてお気楽に思っていた節がありました。

妻の方が熱くなって
ご両親の前で喧嘩腰になり:x:、私が「まあ、まあ、」なんて仲介したりして:ase:

改めて、人間関係の基本は
『聞くことだな』
なんて再確認しました:wink:

///キャッチャー///

漢字検定の勉強、まだまだやっています

教育コーチのGです。

以前のブログにも書きましたが、
現在、漢字検定受検に向けて猛勉強中です。
(公開会場の検定は終了したようですが、私は今週末に準会場で受検です)

夢にも漢字が出てきます。
(こんなことは、これまでの人生にはありませんでした)

2冊目のノートも使い切りましたが、
やればやるほど、知らない熟語などの抜け漏れが見えてきます。

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ですが、どうせやるなら、
満点合格を目指して、
とことんまで突き詰めていきます。

ブログで、後日検定結果をご報告します。

ふろく

次の【】の漢字の読みを答えてください。
(2級の問題としてはかなりの難問、だと思います)

1.【香華】をたむける。
2.高価な品を【拐帯】する。
3.働き口を【周旋】する。
4.辞典の【凡例】を読む。
5.仮払の残金を【返戻】する。

あんみつ日記

寒い日が続きますね。

子どもたちと出会うと
それまでの寒さを忘れるくらい
元気いっぱいです。

今年から、「TAM」の能力開発授業を
国語・算数・知恵の3本柱を中心にし
子どもたちの考える力や創造力、表現力を高める
内容に力を入れています。

国語に四文字熟語を取り入れました。
これが、子ども達、とっても楽しみなようで。

例えば、「以心伝心」の漢字を見て声に出して
読むのですが
意味を伝える時に
講師たちが得意の寸劇をするんです:wink:

そうすると、
「次の四文字熟語は何かな」って:**::**:
授業をとても楽しみにしてくれるようになって:heart:
「右往左往」「一期一会」
しっかり覚えてくれていて。
子どもたちの反応がとってもいいので、授業が楽しいです!

「愛する」について(その7 世界を愛する)

超介です。

 サバイバー(survive(切り抜けて生き残る)→surviver(生き残った者))という言葉をトリイ・へイデンという作家(代表作に「シーラという子」「タイガーと呼ばれた子」があります)の日本での講演をまとめた本で知りました。

 虐待を受けたあとで、あるいは虐待的な環境にいつつも、人生に向かい合い生きつづける人がサバイバーです。シーラには車の中で泣いたがゆえに母親に捨てられたという記憶が刻み込まれています。それでつらい虐待にあっても「泣かない」ということを守り続け、他人とのコミュニケーションをも取れなくなった幼女として「シーラという子」に登場します。彼女は教室に入るなり、部屋の隅の家具の下に一日中もぐりこみ、出てこようとも、話そうともしなかったのです。生き残るために彼女はそうしました。

 虐待というほどでなくとも、人生のある期間、ときにはつらかったり、孤独感にさいなまれたり、悲観的になって世界をうらむようなことはあるでしょう。そして心に傷を抱えたまま生きることもあります。

 そのようなときでもsurviveし、乗り越える人がいます。そのような人には何が起こっているのでしょうか。

                     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 私の生家は丹波山地の谷間にあり、庭から数十メートル、北以外の方向に進めば、畑、雑草地、隣家等を経て山林に入り、その後、緩やかな丹波山地が続きます。

 その山林の中に、かつて人が生活していたらしき痕跡があります。周りを雑草や木の葉、竹葉、腐葉土に覆われた石積みやら穴(井戸の跡)があります。

 そこには昔(たぶん江戸から明治にかけて)屋敷や、畑があり人が住んでいたのです。が、もうそのことは誰も知らず、もちろん記載された本もありません。その辺りは私の先祖が継承してきた土地なので、私につながる人たちの生活跡であると思います。

 百年以上前に、屋敷、農地があり人々が明るい空の下で生活していましたが、長い年月を経、山林の中に埋もれてしまいました。現在の様子を目の当たりにしつつ、その時の様子を思う時、私の中で、そこのほうにある、なにかの感情がゆれました。

               ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 松山が好きになっていることに気がついたのは一瞬でした。こちらに来て10数年以上たった、ある日の午後、建物の階段をおりて、四国山地の山々を見たときに、この地域が好きになっていることに気がつきました。そのときも、何かの感情がゆれたことを覚えています。それは、車の運転になれ、タイヤやらフロント、ハンドルが体の一部になったことを感じるのと同じ様でした。その土地が体の延長になったかのような親しい感じ。

 丹波にも愛媛にも過去から現在まで、多くの人がそこに住んでいて、そこは単なる空間ではなくて、人々の生活の場であり、人が作ってきた有形無形のものがあふれています。世界も人も一緒に変化しつつ時が流れて、時の、その経過の力でつながっていくものがあります。あたり前ですがそれを実感する、しないでは大違いで、感ずるとき、その人の世界に対する態度、生きかたが変わり始めると思うのです。

 つらいときがあります。弧独感にとらわれ、辛い世界の中で生きていくことから脱出したいと思うとき。思いが通じる世界ではなく、愛してほしい人から、愛されずに、時には虐待された子供のように、心が傷つき、世界に対するあきらめがおこるとき。でも、我慢し、挑戦し、大きく感情をも揺らせながらでも生きていく・・・・・・そうできれば・・・・・・・。

                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 人は変わり続けていくことができます。愛されなくとも、いつかは愛すことができたり、我慢をしたりしていくうちに、時間が過ぎていくうちに、世界とうまくつきあうことができるようになると思うのです。

インフルエンザ、流行っていますね。

そら@内藤です。

本校ではまだインフルエンザにかかった生徒は出ていませんが
同じ市内のいくつかの学校では、学級閉鎖になるくらい
流行っています。
予防のために一昨日から全校、マスク体制です。

みなさんのところはいかがですか。
この寒波と空気の乾燥です。
お気をつけ下さい。

一昨日の朝の一枚です。
しだれ桜に積もった雪。
朝日が当たった山の斜面が白く輝いています。

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おしょうさんの子育ち日記(1月その2)

教育コーチのおしょうさんです。

先々週の木曜日の深夜、布団を跳ね上げる小1娘に

布団をかけようとしたとき、

何かを感じて、おでこと、首筋を触ると

【熱い☆】

松岡修造さんや中畑清さんバリに、体が熱い。

様子を見て、

朝、体温計で測ってみると、39度2分☆

これは、インフルエンザの可能性があると、

娘たちの遊び場兼書斎に布団を敷いて

我が家は臨戦態勢に。

病院から処方されたタミフルを飲ませても

熱が下がらず、

ドキドキ度120%。

というより、ただの発熱かも。

お医者様に言われた通り、その後

座薬を入れてみると、

37度台に。

それでもインフルの可能性は捨てきれないため、

娘一人遊び場に隔離。

わたしが、深夜帰宅したとき、

昼間寝ていたせいで、起きていた娘は、

久しぶりにパパに本を読んでもらいたいとのこと。

パパは仕事上、この時期お休みをしてしまうとまずいのですが、

娘と同じ布団に入りながら、

「くつやとこびと」のお話を読んでいると、

なぜか、仕事の疲れも癒えて、

娘も、ちょうどお話しの最後まで聞いて、熟睡。

翌朝、微熱はあるものの、

元気な娘。パパも元気。

下の娘も元気。

就活中の奥さまは、睡眠不足のせいか、ヘロヘロ。

そんなこんなで、厄除けの寺院に行けず。

で、このまえの日曜日に行ってきました。

牛伏寺。

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このお寺、厄除けでも有名ですが、

○○○断層でも有名です。

3年連続でのお参りですが、

今年は、雪のために、帰りの階段が

スキー場のようになっていました。

ナムナム。

今年1年家族が健康でありますように。

「親力向上セミナー京都」に参加してきました。

教育コーチのそらねこです:chin:

1月22日、
新しい自分、自分の原点に出会うために、

「親力向上セミナー京都」に、
親の立場で参加させてもらいました:-D

トレーナーのなみぞうさん、りんちゃん、すみさん、こーちゃん、たいようさん。
ありがとうございました〜:**:

日曜日の開催ということで、
遠方からや、お父さんのご参加もあって、
とってもパワフルな雰囲気でした。

私も、
初めて「自分磨き」で参加させてもらった時より、
一皮も二皮も脱いで、本質に近くなっている自分に気付き、
この2年間の成長を感じました:**:

でもまだ皮をかぶっている自分もいて、

そのままで生きていたら傷ついてしまうから、
そんな自分もOK!って、

すべてを承認出来る自分も発見!でした。

なみぞうさんのレクチャーの時、
トレーナーのこーちゃんが、
「うんうん。」「ほぉ〜。」
とあいづちを打ちながら聴いておられて、

その温かい声が、
みんなの気持ちを表現してくれていて、
会場が和んでいるのを感じました。

聞いたよ信号って、
話し手に伝えるためだけじゃなくて、
周りの人のためにもなっていたんですね!

信頼のワークでは、
先の見えない不安や恐怖を払いのけ、
一歩踏み出すドキドキ感とわくわく感を思い出し、

今回どこかにあった、「トレーナーだから…」という遠慮も捨てて、
次回はこの安心、安全な空間だからこそ、
かぶっていた薄い皮も、取ってみようと思いました。

2週間後、また皆さんにお会いするまでに、

「直感からくる自分の思いを遠慮なく伝える」
ことと、
「相手のそのままを受け止める」
ことを、
家族や周りのみんなにやってみます:hahaha:

次回が楽しみ:heart: