回り道

こんにちは!あんみつです:wink:

今年も
もうすぐ桜が咲くかと思うと
ワクワクします:**:

こんな経験は私だけが特別に
したわけじゃないと思うんですが、
皆さんはどうですか?

何処かに出かける時に、電車が遅れたり、
通行止めになっていて
回り道をしなくてはいけないような経験:*o*:
皆さんもそんな経験されたことありませんか?

先日、目的地に普段なら間に合う
時間に車で出発した。
が!が!
5分後にマラソンで通行止め
わぁ〜しまった!
どうしよう、間に合うのか:ahhh:

助手席の息子がスマホで通れる道を検索し始めた。
「今なら堀川通りは大丈夫。次の道を右に曲がって。」
って運転する主人に伝える。

後ろの席で
「大丈夫?
そんなにスピードだしたら危ないよ〜」
って私

前の2人から、
「何もしないなら黙っていて!!」

そうかい、そうかい、
黙っていればいいんでしょ:cry:
心配しているのに・・。
いつもお前さんたちのために
ご飯や洗濯もしているのに・・って
どこまで派生するんだ私:ase:

結果的には、息子のお蔭で間に合った。
私の心配はなんの役にも立っていないな:ase:

人生はよく旅の例えられる。

人生の旅路は、行く手を阻まれるような時もある。
そんな時、歩む道を照らしてくれる人たちがいる。
私にも、そんな人たちとの出会いが沢山あった:heart:

なのに、マラソンの日の私はなんだ?なんだ:*o*:

他にできる事、気の利いた言葉はなかったのか?

春は新しい出会いや別れの季節、
新しい旅路の季節でもある。
旅路の色々な障害を乗り越え
歩んでいこう:**:

見えない、気がつかない、酔ったうさぎ

不明航空機の事故のニュースを見聞きしながら思い出した本があります。昨年の夏頃読んだ「パイロットの妻」です。この本はパイロットの夫の飛行機が墜落します。そして、妻の追跡により、その原因が徐々に明らかになってきます。分からなかった夫の心、夫は、実は別の人物として国外で妻子を持って生活していたことが明らかになってきます。妻には全く信じられないことが起こっていて、実は事故の原因にも繋がっていた、というストーリー。

「こと」に関連したことが身の回りにないと気がつかず、まさかそんなこと、起こらないだろう、そのことについて考えすらしない、そういうときがあります。そんな経験が僕にも幾つかあって、怖い思いをしたことがあります。そのひとつ、この松山は温暖で大きな災害もない地域だと思っていました。でも、つい2週間ほどまえ、3月14日の午前2時頃、震度5の地震には驚かされました。南海トラフの地震ではなかったようですが、こんな「地震などおこらないだろうと思いこんでいたこと」に気づかされました。2001年の芸予地震を経験をしていたにもかかわらず。

見えていないことは、見ていないからであること、読書にもそれが表れます。久しぶりに「三四郎」を読み返しました。5年ほど前にも読んだことがありますが、今回は前回と比べてとても面白く読め(たと思い)ました。今から100年以上も前に書かれた小説であるのに、明治時代の人たちの生き方、感じ方がとても新鮮だったのです。5年前、それ以前にも何回か読んで、筋がだいたいわかっていたし、この小説について書かれた文章も幾つか読んだからでもあるのでしょうが、いままで、そのような面白さに出会っていなかったのです。同じ文章なのに。

最近、電子ブックを手に入れ、寺田寅彦の随筆を一つ読みました。「数学と語学」というエッセイです。その中に言葉の限界性というようなことが述べてあり、言語について「うさぎの足跡」という形容があります。書く側から言葉を捉えていくとき、言葉を重ねていくと、意味が飛び跳ねて何処かへ行ってしまう、当初とは思わぬ処へ流れてしまう、というような意味です。言語化出来ないこともあるし、出来得ることも不適切にしていることもあるし、まさに僕など、「酔ったうさぎ」です。せめて、「醒めたうさぎ」になろうと思います。

一日は24時間

TKです。

非常にこの一か月位、バタバタしていました。週1目標としているこのブログの更新も2週間ぶり。反省です。

さて、タイトルについてですが、あたりまえの認識ではあるのですが、一日、これだけしかないんだあと感じる

今日この頃。

やるべきこと、やりたいことを全てやろうとすると足りなくなってくる。

とはいえ、寝る時間削ってやると後々、身体にその余波が来る。

ワーク・ライフ・ハーモニーの実現はまだまだ程遠いですが、

タイムマネジメント、試行錯誤しながらやっています。

それでは、3月も後少し、皆様宜しくお願い致します。

不落因果、不昧因果

超介です。

小豆を煮て、砂糖で周りを直方体に固めた、出雲の和菓子「薄小倉」をいただきながら、「自分をゆるす」について考えていて、かなり前に読んだ本(「安岡正篤」のなにかの講話集だったと思います)で知った松平不昧と号したお殿様を思い出しました。

不落因果(因果に落ちない)、不昧因果(因果に眩まされない)というのは、大雑把にいうと、禅宗の言葉で何事にも迷わされずに生きる姿勢をいうようです。でもこれは言うが易しで、よくよく注意して、振り返っていかないとできません。その感覚を言語化するのはちょっと難しい。

因果とは、この世の出来事は原因と結果で繋がっていて、現れた結果が次なる事象の原因になって、というふうに連鎖していることをいいます。原因から結果が派生する、その途中経過を業といいます。悪い因でも業次第で良い果を得ることが出来ます。逆もあります。これが因果律、この世の中はこの因果の糸が複雑に絡まっていてできているとする見方です。

でも、因果律に囚われると、そこからは運命論的に生きてしまい、運命の糸に囚われているかの如くの考えになります。さらに、そこからは抜け出しにくくなる。つまり、もう自分の運命は決まっている、かの如くの見方で、自分、世の中の未来を見てしまう傾向になる。「どうせ俺は、どうせこの世は………」みたいになるわけです。

禅宗の百丈和尚という人の教えは、因果に落ない(不落因果)のではなく、因果からは抜け出せない、しかし因果に眩まされるな(不昧因果)と、です。それを肝に命じて、出雲松江藩の第七代藩主松平治郷は自らを不昧と名付けたとのこと。

不昧因果は、コーチングで、ありのままの自分を見つめるー自分をゆるすーということと繋がっていると思います。自分を許せたとき、そのときは、それまでの囚われに気がついたとき。そして、自由に次の一歩を踏み出すエネルギーを得るのです。

ややもすると、不落因果にこだわる傾向から、僕は、状況の中で生きていくときに、それを誰かの所為にしたりしないで、そのままそれを受け入れ(これがちょっと難しいのですが)て、自分がどう行動すれば良いかということを常に考えて進んでいこうと思います。自分の心の内面のありよう次第で変わり、変われる、それが僕の不昧因果。

おしょうさんの子育ち日記(3月その2)

教育コーチのおしょうさんです。

今回は、誕生パーティーの模様を

お送りします。

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大きくなりますね。

いつも見ているのに。

今年1年もまわりの大人、お友達に支えられて、

娘は誕生日を迎えました。

みなさんに感謝。

わたくしは、なんと、

来年度、下の娘の保護者会の会長をおおせつかりました。

何か挑戦したくなる気持ち、変えたい気持ちがいっぱいあります。

周りを固める副会長始め、役員の方々がとてもすばらしい。

おみこしに担がれて、楽しくやりますよ☆

ガッツの幸せ日記??

■『闘い前夜』:**::**::**:

人生のなかでこの言葉があてはまる日はどれくらいあったでしょうか?

高校入試や大学受験前夜、町内の大会から全国規模の大会や試合の前夜、
各種発表会の前夜、運動会や競技会の前夜、またまた大事なプレゼンの前夜・・・

その思いは人それぞれでしょうね。:roll:
でも、日頃から志高く、夢をもって行動しておれば、
きっと “充実感や満足感、ワクワク感” でその日を過ごすことができるのでしょうね:-P

そうはいっても、この境地になるのはなかなか難しいです8-|
私なんかは、焦りや不安、恐れ、あきらめが先立って寝つかれづ、
「羊が一匹・二匹・・・」と数えて無理やり寝ていました。:ase:

これからの人生であと何回この「闘い前夜」を迎えることができるでしょうか。

次こそ、その日がきたときは自信で胸が高鳴る『闘い前夜』にします!ワクワク・・・:-P

:!!!:明日3月25日(火)は長男の野球チームの全国中学硬式野球大会の開会式です。:star1.0:
会場は京セラ(大阪)ドーム。初戦は翌26日(水)、対戦チームは栃木県代表下野シニアです。

彼が中1のころ、この野球ノートの表紙に “目指せ!全国制覇!”と大きな字で書いていたのを思い出します。
また、グランドには
「夢は叶うためにある。強い信念と情熱を持ち続けることができた者が勝者になる」:star1.0:
と書いてありました。
『信は力なり』ですね、ほんとに!:**:

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さあ、今夜は長男にとっては人生最初の「闘い前夜」です。
頑張れ!野球小僧たち!!:wink:

※追伸
先日、末娘の保育園の卒園式がありました。
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長兄の頃から14年間もお世話になった保育園ともお別れです。

記念品にもらった乳児組からの成長アルバム・・・
こんな頃あったかな??  もっと父親業をしないとダメですね。:hahaha:

卒業生だけのお祝いメニュー

そら@内藤です。

本校の卒業式は、18日でしたので、
卒業生にとって最後の給食は、17日でした。

その最後の給食に、
給食調理員さん方からのサプライズがありました。

「わああ、かわいい」
「食べるのもったいない」
中学3年生も大喜びです。

最後は、混ぜ合わせて、それぞれの食器に盛りつけられました。

こんな手間をかけて下さる学校って、素敵でしょ。

栄養士の先生、調理員のみなさん
ほんとにほんとにありがとうございました。

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卒業式

教育コーチのりんです。

今日の京都は、穏やかな日差しの降りそそぐ
お天気に恵まれました。

今日は、息子の中学校卒業式でした。

中学3年間、いろ〜んなことがありましたが、
今日の日を無事迎えることが出来て、うれしかったです。

また、主人と夫婦揃って式に出席できたこと(初!)も
とてもよい思い出になりました。

渦巻く嵐の時期を過ぎたこの頃の息子は、私のことを認めてくれる
会話も多くなり、「ありがとう」の言葉も出てくるようになりました。

一歩ずつ、ゆっくりだけど成長を感じます。

卒業おめでとう:heart:

素敵な仲間との高校生活、楽しんでね:**:

怖いもの知らず

 皆さま、おはようございます。 息子の琉太朗が自転車大好き、教育コーチのいっすぅぃ〜です。

 1月21日のブログ『冒険』(クリックでリンク!してます)でも書きましたが、そんな年頃なのか、琉太朗は自転車が大好きなようです。
毎朝、近くの公園までラジオ体操に行く際、歩いたほうが早いんじゃない:roll:って距離でも、自転車に乗っていきます。

 でまた、いろいろと遊ぶんですね。すぐに公園の片隅に自転車を停めるでもなく、公園のあちこちを、デコボコを楽しそうにフラフラとぶらぶらと。

 でまた、ラジオ体操が終わると、そのまま公園で野球の練習だったりするのですが、曜日によってはゴミ出しの手伝い。家に帰ることになります。自転車に乗った琉太朗のゴミ出しパートナーはお向かいの叔母さん。当然のことですが、まっすぐには帰らずに、1〜2ブロック遠回りして、全速力で帰宅、そして急ブレーキ:ase:

 叔母様いわく、「子どもは怖いもの知らずやねぇ〜。だからどんどん大きなっていく」:heart:

 無意識がつくる<壁>のことか:**:

 瞬間、あぶないっと叫ぶことを止めました。

これから、「象」を飼う

超介です。

40年間住んでいた四国愛媛を離れて故郷兵庫県丹波市に引っ越すことにしました。創業以来35年間(前身の会社で1年間アルバイトしていましたから正確には36年間ですが)勤務していた会社を3月20日に退職し、自宅を売って清算して、5月から再度郷里で人生を再スタート。生地は過疎地で、超高齢化地域、仕事の種類も少なく、その上私は若くありません。どんな人生をこれから生きようか、可能か、と考えています。18年丹波で生活して、その後学生生活を5年間、途中3.5年間ほど宇和島での生活を挟んで40年間愛媛で生活、主に松山で、そしてこれから再び丹波。

5年間の学生生活と35年間の会社人としての生活にはたくさんのドラマがありました。

いつかはこんな日が来ると思っていましたが、今は、これまでの体験が大変貴重であったと思えます。その時々は辛いこともありましたが、それらは起こるべくしておこり、僕にその時々、メッセージを伝えてくれました。これまでの出会えた多くの人々に心から感謝をしています。

35年間在籍していた職場、その体験からは、最近改めて気がついたことです。仕事で「一番課題となっていたこと」は自分の内側にいる「象」をどうコントロールできるか、であること。これにつきます。そしてこれに気がついた時、次の課題が見えたのです。それは、もちろん「象」をコントロールする実技を身につけることです。この方法は多くのひとが教えてくれています。

「象」とは感情、意欲など意識理ではコントロールしにくい存在。確かにあるのに、扱いにくいもの、見えないけど、理屈で無く自分を支配するもの、いくら頭でわかっていても身体がついていけないときのその理由となっているもの。皆さん伝わったでしょうk?「象」が皆さんのなにであるのかが?

これが今の僕の課題。どう扱うか、それが僕のこれまでの人生の今の時点での大きめの括り、でありかつこれからの課題でもあるのです。これまで、この扱いにくい存在とうまくつき会えたこともあり、そして手こずらされてきたこともあること、それが、僕のおおきな財産です。それをコントロールできればさらに大きな体験ができそうに思えるからです。

それをつかって、あるいはさらに開発してどう生きて行くか、です。

これからもこのコーチング日記は続けます。書くことが、解決の一つの方法でもあるのです。それが田舎での歳時記であったとしても、僕が仕事を続けて行くときの貴重な「象」の餌になると。書くことで、自分をより理解し位置づけることが可能ですから。

皆さんこれからも読んでくださいね。