教育コーチングの学びを生かして・・。

○「教育コーチ」修行中の「そら」です。

○明日から、新年度です。
 明日は、新任の先生方を交えての
 新年度準備職員会があります。
 
 学年会もあります。
 新しい1年間をどう展開しようかといろいろ考えて、
 学年会のレジメをつくりました。

 教育コーチングの学びが方針のあちこちに
 生きています。

 楽しみです。

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○みなさんも
 素晴らしい新年度をお迎え下さい。

春の妄想(火事から考えたことpart?供

超介です。

意識の下に広がっている無意識の海、そこを豊にすることが自分を変えることにつながります。

無意識の海から習慣化してしまっている私の思考型、判断から行動型、感情型などを取り出し、意識の光を照射します。その光で骨組みをあらわにし、清浄なブラシと水で垢を落とし、欠損、ゆがみを直し、理想形へ組み替えます。そして再度、そっとそれらを無意識の海へ沈めてゆきます。

これらの行為を私はコーチと合意しながら共同で進めていきます。日々それらの作業を繰り返せば、リストラクチャされブラッシュアップされた思考型、判断から行動型、感情型がたゆとう豊饒の海が広がります。そして生まれ変わりつづける私。

(海からの連想、ここからは現実の春の海。)

春、桜の開花とともに外洋から鯛の群れが宇和海の沿岸に入り込んできます。陸地から急峻に落ち込んだ先の海、リアス式海岸に産卵のためにのっこんでくるのです。桜鯛の季節です。

カゴに撒き餌を詰め針先にオキアミをさし、棒ウキのついた仕掛けを30mから50m沖合いのポイントへ投入します。着水して針先が15m・20mの海底より50cm・1m位の位置につくまで道糸を送り込み、白地にオレンジの蛍光色の棒ウキが海面に立つのを待ちます。糸ふけを取ってあたりを待ちます。

それから緊張する時間が始まります。

鯛のあたりは突然やってきます。ウキが海面から一瞬のうちに消えるのです。ゆるやかに張られている道糸からさお先に荒々しい生き物の動きが伝わってきます。ほんの一瞬おいて竿をあおって合わせをいれます。このときから取り込みまでの数十秒・数分間が釣師にとっては至福のひと時です。

海上に姿を現す。ピンク色から白色までのグラディエーションのかかったうろこにちりばめられたブルーの斑点、それらは海の宝石のように美しい。さお先に感じる魚信から取り込みまでの高揚した気分時間はその魚体をしげしげながめて、そしてナイフでえら下を〆、海水の入ったバケツに放り込んで終了します。

★★★★

海にはいつもあこがれます。なぜなら現実の海も、無意識の海も奥が深く、何者が潜んでいるかわからなくて、そしてどこかとつながっている感じがするからです。豊な海との対話がフィッシングでありコーチングであります。春の私の妄想。

火事から考えたこと

超介です。

その日の数日前に、国内外の数件の火事のニュースを耳にしていたためか、枯れ草の生い茂る川原を朝歩いたとき、ここに火がつけば一面焼けてしまうな、と思いました。

その日の日中に、知人が携帯電話での地元の事件報道ニュースで「M(私の住んでいる地区名)の公園で火事があったようだよ。」と教えてくれました。「公園、小学校の北にあるよ。でも田んぼの真ん中だし、燃えるようなものはないとおもう。」と私。

翌日の朝歩いていると川原の土手下に消防車が一台とまっていて、消防士がホースをまき、丸めたそれを架台に積み込んでいます。「朝から防火訓練?」と思いました。

土手に上がり、川原を見下ろして、「あっ」と声が出そうになりました。昨日、燃えるかも、とおもっていたその箇所がもえていて一面真っ黒になっているのです。

「昨日の火事のニュースはこれか、公園というのはS川公園のことか。」と全部がつながりました。

私に予知能力がある、などと考えているのではありません。でも偶然と割り切ってはしまえないものが残ります。それから人の潜在的な力について考えはじめたのです。

脳科学者によれば、人の行為はそれを当人が意識する以前に、脳の中でその行動の元になる回路が発火しているそうです。すべての所作を人は意識して行わず、無意識の行為(たとえば習慣化したものなど)など、ふと気がつけばやっていたというのはその証明です。

ある言葉や考えが浮かんできたり思いついたりすることを、無意識の海、そのあるところから泡のように浮かんでくる、このようにたとえて説明されます。その思いつき、気づきの内容を選択することはできません。無意識の海に意識の釣り針はたらせません。

そうであるなら、アイデアや考えをたくさん思いついたりする人になるためには、この無意識の海を豊饒の海にするようにすればよいと思います。天才モーツアルトも過去の名曲を徹底して学んだとか、読んだことがあります。その豊な曲想の海から多くの楽曲を世に出したと。

無意識の海を豊にするため、そのためにたくさんの栄養を海に投げ入れます。未来に向かう、上昇志向のコトバの塊、映像、五感から入る自然物も、どんどん取り入れて無意識の海を豊饒の海にするのです。春の私の妄想。

親愛なる子どもたちへ・樋口了一

年老いた私が ある日 今までと違っていたとしても

どうかそのままの私のことを理解して欲しい

私が服の上に食べ物をこぼしても
靴のひもを結び忘れても

あなたに色んなことを教えたように
見守って欲しい

あなたと話す時 同じ話を何度も何度も繰り返しても
その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい

あなたにせがなれて繰り返し読んだ
絵本のあたたかな結末は
いつも同じでも私の心を平和にしてくれた

悲しいことではないんだ
消え去ってゆくように見える私の心へと
励ましのまなざしを向けて欲しい

楽しいひと時に 私が下着を濡らしてしまったり
風呂に入るのをいやがるときには
思い出して欲しい

あなたを追い回し 何度も着替えをさせたり
様々な理由をつけていやがるあなたと
お風呂に入った あの懐かしい日のことを

悲しいことではないんだ
旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しい

いずれ歯も弱り 
飲み込むことさえできなくなるかもしれない
足も衰えて立ち上がることさえ
できなくなったら

あなたが か弱い足で立ち上がろうと
私に助けを求めたように
よろめく私にどうかあなたの手を
握らせて欲しい

私の姿を見て悲しんだり
自分が無力だと思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力がないのを知るのを
知るのはつらい事だけど

私を理解して支えてくれる心だけを持っていて欲しい
きっとそれだけで それだけで
私には勇気が沸いてくるのです

あなたの人生の始まりに
私がしっかりと付き添ったように
私の人生の終わりに少しだけ付き合って欲しい

あなたが生まれてくれたことで
私が受けた多くの喜びと
あなたに対するかわらぬ愛をもって
笑顔でこたえたい

私の子どもたちへ
愛する子どもたちへ

東京に暮らす兄からのメールに
涙がとまりませんでした。

目覚めは

いっすぅぃ・です。
昨日は息子(琉太朗)の卒園式に行ってまいりました。
三重県という田舎もあってか、卒園者は16人だけ。
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こじんまりとした、良い卒園式でした。

というわけで、4月からは小学生。
早く、しっかりと目覚めなきゃと、あるプロジェクトを実施。
(って言っても、妻と私と琉太朗の3人のチームですが)
名付けて、「6時30分にはおはよう」(実際は名付けてなんかいないですが)

現在のところ、とっても良い出来です。
副産物としては、しっかりと時間を守って寝るようになりました。

今まで、寝るときには「パパが本を読んで聞かせる」が習慣でした。
なので、それを利用して「6時20分に本を読み始める」
をすることにしたのです。
きちんと身体を起こしてから読み始める。
もちろん?! ひざの上に座る。朝からラブラブです。
時には、「ここからここまでは琉くんね」と変わりばんこに。

寝起きの悪い子どもに一度お試しあれ!

レッドロビンの赤い芽

超介です。

庭先のレッドロビンの赤い新芽が目につきます。あちこちの庭にあるレッドロビンにも、結構個体差があって、新芽はやわらかい赤色からほんのちょっぴり赤みがある緑色のものまで、様々です。

松山ではもう数日前から桜の開花の時期を迎えています。ウォーキング途中の土手の桜の木にもいくつかの花がついています。ここは市の中心部から少し外れた河原なので、温度差からか毎年開花は市中心部と比べると1週間ほど遅れます。

枝先についた先端が楕円形のつぼみ、これが木全体に満遍なくあるのです。葉っぱなしの精彩を欠いた黒っぽい開花前の桜の木、でもあと数日で、このつぼみからいきなり春が訪れ風景が変わります。

春の山道を歩きます。頭上の新緑が陽光を透き通らせている、その若葉色に見とれてしまう季節です。さらに、樹間をわたる風の音、湿った土のにおい、五感に伝わる新しい季節の情報を受け取ります。

朝出かけるときのウォーキングの服装も、おとついから半そでのポロシャツ、半ズボンに切り替えました。アレルギーで荒れた肌には適度な紫外線が有効、と医師から日光浴をすすめられているので、軽装に切り替えて歩きます。(出会う人はまだ長袖、長ズボン、さらには上着着用が多いのですが。)肌に触るひやりとした風も気持ちがよいものです。

早すぎる軽装、と思う人もいるかもしれませんが、きにせず、さっさと歩きます。樹木もそれぞれ、人もそれぞれ、迷惑のかからぬ範囲で好きなように生きていきます。

人それぞれ、というのは安心して自分を生きていくことだと思い始めました。できるかどうか、と不安にかられることは無用だよ、といってくれていることに気がつきました。そういえば、昨年起こった出来事も、それまでのことも、結局何とかなっているのです。

あなたができると思えばできるのだよ、と。あなた次第だよ、と。この言葉、独り歩きをさせるには(他人にそのまま伝えるには)少しおぼつかないですが、僕の中ではその意味を示し始めました。

ママデビュー!

先週末に友人の結婚式に出席しました。

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素敵な結婚式でした。

帰りがけに、
一緒に出席した友人の赤ちゃんを
だっこさせてもらいました。

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たまらん・・・。
かわいい。

ずっしり重く、
ぷにょぷにょ柔らかくて、
気持ちいい。

元来小さい子に好かれない私は、
子ども苦手だと思ってたんだけど・・・。

ママデビュー、
もとい、
おばちゃんデビューして大満足の一日でした。

母として・・・

今日は、小学生の息子の卒業式でした。

幼稚園とは雰囲気が違い
心地よい緊張感に包まれ整然とした会場に
子どもたちの透きとおる歌声が響きわたると
「あぁ、6年間の成長って本当にすごい…」と
ただただ純粋に感動でした。

ウチの二男坊は、本当に「お母さん子」。
幼稚園時代には
「まぁ・だぁ・(涙)。かあさんが いい・(涙々)」
…と 決まって17時になると職員室に乱入してきては
私の膝に座り胸にしがみついて離れようとせず
毎日毎日、コアラの親子状態で仕事をした…。
時には、息子が職員室に来る頃になると机の下に隠れ
見つからないように先生に保育室に連れ戻して
もらったり…。
時には、泣きながらしがみつく息子を怒鳴りとばし
追い払いながら鬼のように仕事をしたこともあった…。

我が子にとって、決してよい母ではなかった。
たくさん我慢もしていたはず…(参観日ほとんど行けなかったもんね…。)
たくさん気遣ってくれていたはず…(お皿洗いや洗濯たたみ手伝ってくれたよね…。)

「お母さん。まっすぐな子だから大丈夫!!」
今日、担任の先生に笑顔でそう言われた瞬間、
母として堪えていた涙が一気に溢れ出た…

『まっすぐに』
そう…子どもたちはいつもまっすぐに伸びている
まさに教育コーチング信念のトライアングル。

『オレ、自分のこと好きで!』 『母さんは?』
息子に言われてドキッとした
母として今日は、過去を…今を思いっきり反省した
でも…後悔はしていない(これからも後悔はしない)

まっすぐに伸びゆく息子にとって
私が『母として』だけではなく
ひとりの『人として』信念をもって共に生きていくことが
最高に幸せだと思えるから…

全国のママ!!
自分にOKをだして子どもと共にすすみましょっ!

過去と他人は変え放題?(新入社員へのメッセージ)

超介です。

入社式が終わり、新入社員が現場に赴任していきました。

30年ほど前の自分を思い出します。当時も就職難の時代でした。具体的な能力も、体験財産もなく、社会的な能力にも自信がない私は不安だらけでした。

それで、学生時代、就職してからの数年間、不安にたいして「どんな仕事でも、やってよかったという、やりがいに変えることができる能力」これを身に付けることをひそかに目標にしていました。それがあれば生きていけるだろうと。

入社後の数年間は「作業ではなく仕事をする」ことがその目標達成のための方法でした。それがやりがいにつなげる方法であると。身の回りの様々な事情をどう捉えるかは、その人の考え方次第である。そのことにぼんやりと気がついていました。

「意味のないことは起こらない」、たしかにそうであり、調子の悪いときも、めぐり合わせが悪いと思うことも、自分と波長が合わない人と仕事をすることも、何かの意味がある、というか意味を立てることができます。

「過去と他人は変えられない」といいますが、客観的事実(そのようなものがあるかどうかはすこし疑問ですが)としてはその通りです。しかし過去起こったいやな出来事も、自分と合わない他人もその意味を立てることができれば、つまり自分が変われば「過去も、他人も変え放題」になると思います。

入社前のコーチング研修で若い人たちにそのようなことを伝えようと思っていました。必ずしもスムーズに進む人ばかりではないであろう、人たちに、あなた次第だよ、と伝えたかったのです。