弱さで

いっすぅぃ・です。
春ですね。ポカポカ陽気はいいのですが、花粉症にとって
はツライ季節です。
私もその一人。鼻が詰まって眼が覚める、眼が痛くて眼
が覚める。

昨日のことです。眠れずにボ・ッと、頭がクラクラ。
思い切って、息子の琉太朗に打ち明けました。

「今日は、パパ、頭がクラクラしてて、いつもみたいに琉太
朗のことをジ・ッと待ってられへんかもしれへん」
急にパッと前を向き、違う表情になりました。(パパは急に
何を言うてんねん)とでも思っているかのようです。
「じゃあ、何からはじめるとええやろ・」
「トイレに行って、着替え!!」
ビックリするぐらいに意志の強さのある声。それまでは布
団でグズグズしていたのに、さっさと、トイレへ。

いつも、出来ることをさせずに手を出していたなんだなぁ、
と強く反省する次第でした。

たまには(いつもじゃダメなんでしょうね)、弱っちいパパも
出してみようかなぁ。。。

はじめまして♪

JYUJYUです。これから、私の周りで起こった興味深いトピックスをブログに書きこんでいきますので読んでくさ・いね!(^^)!

さて、皆さんbjリーグってご存知でしょうか?

「サッカーのJリーグの親戚????」

違います!!!

「何か新しいテレビの番組???」

全然違います!!!

????????

みなさん、バスケットボールのプロリーグがあるってご存知ですか?

「えっ!そんなのあるの?」

って思っている方がまだまだ多いかもしれません。
毎週、テレビで中継があるわけではありませんので、
そう思われる人がいても仕方が無いと思います。
しかし、着実に全国に浸透していっているのも事実です。

さて、そのbjリーグのチームの中の一つ、
滋賀県をホームとして昨年新しく設立されたチームがあります。

その名は・・・

滋賀LAKE STARS(レイクスターズ)です。

現在リーグ成績はWESTで6チーム中5位・・・
お世辞にも良い成績とは言いがたいですね。

トホホ(+o+)

私も応援に何度か行ったことがありますが、
「何でこんなところでそんなミスするねん(T_T)」
「ここは、ふんばらんといかんやろ(怒)」
ってみたいに大きな声で応援しています。

まるで、阪神タイガースですね。

負けても嫌いになれない不思議なチームです。

その滋賀レイクスターズの選手に
日本青少年育成協会の会長が
教育コーチングのセミナーを実施しました。

会長もセミナー進むにつれてドンドン熱が入りホント素晴らしいコーチングセミナーでした。
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熱が入ったのもそのはず・・・
バスケットの選手でしょ、

みんな190cm以上の人ばっかり!!!
さらに、外人さんが5人です!

私も180?儷瓩?あるので低い方ではないのですが、
自分が子どもになった感じです。。。

まるで、ガリバーの世界に入ったみたい(笑)
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余談ですが・・・
そこで、気がついたのです

子どもと話をするときには
やっぱり同じ目線にならないと威圧感を自然と感じてしまうのは仕方ないなぁってことです。
体験してわかる!

そんな、大男たちの前にでると熱がこもってしまうのも
なんとなくわかる感じがしました。
ペースを合わせたのかな・
目線が合わないので、声で??

だから、セミナーの半ばからは、
2mを越える男たちの中でも、175?冂sxの会長た大きく見えました。

その気迫に押されたのかどうかわかりませんが
選手たちは、熱心にメモをとり
質問をし、ワークに夢中で参加していました。
その様子がアップしていますので見てくださいね。

目的を明確し
今いる(未来でもなく過去でもなく)自分を信じ
結果をしっかり受け止め
それはそれとして、
さらに、成長するために日々の努力を怠らないでやれば、必ず、道は広がる

自分は最高のプレイヤーだ!!

そんなメッセージを選手の皆さんは受け取って
セミナー終了後には、
さらに、胸を張って自信に満ち溢れた顔で帰っていきました。

凄い!

エレベーターに乗るときには、自然と下向いていましたが・・・

だって、そのままやったら頭があたるから(驚)

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学習過程で得るもの

超介です。

言葉が示しているイメージがお互い違うときがあります。こういうときは、重ねる努力をすればコミュニケーションが成り立つのでしょう。

でも、相手と自分が一緒にいることができないと、それはできません。週1回乃至は2回程度、子ども達に学習してもらう仕事をしています。(他にもやっていますが、現場ではこれです。)どうにかして学習する力を身に付けてもらえるように工夫を凝らします。

うまくいかない場合は、子どもが学習することと向き合えないときですが、こういうとき、無理やり学習を提示するとゲームが始まります。だから、今この子は何を見ているのだろうと、想像し、理解しようとします。それがコーチの役割です。理解できれば次の行動がみえるので。

子どもが学習に対して「イヤ!」と拒否するとき、その「イヤ!」の中には色々意味があるように思うのです。「イヤ!」を一旦受け止めて、それから質問します。「何がしたいの?」とか「そう、それで今日はどうする?」そこからの反応は様々。心の扉にノックすべく試みますが、ことごとく拒否の場合もあるし、中には急に扉が開く場合もあります。

(このことは何回か書いたことでもあるのですが・・・。)理解すべく、悪戦苦闘しているうちに子どもとのドラマが始まり、時間が経過し終了となります。最後に、お話をします。「今日はどうやった?」等の質問で振り返りをするのです。そこで話ができればよし、できなくてもよし。

そういう情報を保護者とお話しします。幸い、そのような内容を前向きに受け止めていただく場合がほとんどなのでありがたいと思っています。会話を重ねていくと、保護者のほうからも、その子に関するお話をしてもらえるので、理解が進みます。

で、そうやって学習することが難しい子ほど、学習することが(子どもにも、私にも)勉強になると思うのです。なぜかというと、そのときの試行錯誤からわかることがあるからです。

あなたは大きな人だから

たび@小山です。

先週末、ある人と大激突した。

コーチにその体験をメールでシェアした。
レスがきた。

  大激突もいいものです。関係を風通しよくします。
  激突の後をどう始末するのか、ですよね。
  優しい声をかけてあげてくださる様子、
  素晴らしいです。
  貴方は大きな人だから。

これだけ。

「俺、このままでよし」と思えた。

最後の一行・・・やわやわと身体に染み込む。

「とんでもない! 俺はめっちゃちっちゃい人間や。エゴの塊や」

そういう自己話の下に

「そうそう、ほんとのほんとの俺は大きな人なはずだ」

という願いというか、祈りというか、そんなものがあることも感じられた。

俺、このままでよし。そして前に進む。

クロガネモチの実

超介です。

近所にクロガネモチの木があります。クロガネモチは毎年9月頃赤い実をぎっしりつけます。近所のその木はもう2月下旬になるというのにまだ、ぎっしりと、9月頃の赤い実がそのままなっているのです。

同じ時期に赤い実を付けたピラカンサも南天も12月頃には風にあおられたり、鳥達についばまれてほとんど実がなかったのに、近所のそのクロガネモチはそのままなのです。

命を引き継いでいく旅に出ることができないでいる実です。

コトバもそうです。コトバの中にも旅に出ることのできるコトバ(中身があって、意味が満タンで、イメージが広がっていく、想いがある)は世の中でぱっと広がり、芽吹いて花が咲きます。

でも、その人にしかわからないコトバもあります。その人にしか意味がわからないコトバ。子どもはそんな言葉を持ちやすい存在です。

僕は、仕事柄そんな言葉によく出会います。

大人でもいます。その人独自の言い回し、あれはどこから来るのでしょうか?初めてその言葉を使ったときに何か、独特のことがあったに違いないと思うのですが。どのような場面で初めてそのコトバを彼(彼女)は使ったのでしょうか?

言葉について大学時に先輩に教えてもらったことがあります。内陸で狩猟採集生活をしていた人類が始めて海を見つけたときに沸き起こるものが言葉の始まりだ、と。象徴的な言い方ですが。

何人かの太古の人たちが青くどこまでも広がるそれをはじめて見て心の中に沸き起こるものが言葉の始まり。一つの事象を同時に見ている人々の胸に去来するものが言葉の始まり、そう教えてくれました。

そうであれば、彼(彼女)がどこを見ているのか、それを探すのが私(コーチ)の役割です。言葉が示しているものがどこにあるかを懸命に探していくのが「傾聴」という行為だと思います。一緒にクライアントのキャンバスに向かい合って探す作業。キャンパスに向かうのが「一緒にいる」という意味。

以上の内容は金曜日に書いたのですが、驚いたことに今日(日曜日)はクロガネモチの実はほとんどなくなっていて、樹の下にはつぶれた赤い実の残骸が散らばっていました。本当に私はどきりとしました。

これは何を意味するのでしょうか?

世界を変える人(その2)

超介です。

2月16日に「世界を変える人」という題で投稿して、その2日後の18日、帰宅途中、深夜の古本屋で一冊の本を見つけ、まさに「世界を変えた人」の話に出会います。私はこういうシンクロ(共振)現象に書店などでよくでくわします。

「人は成長したい存在」「人は答えを内包している存在」で無意識下に課題解決を求めているからでしょうか。本を読んでいても、自分の抱えている問題の答えに出くわすことが結構あります。みなさんはどうですか?

1989年初版の「木を植えた人」(ジャン・ジオノ著 こぐま社)という本です。(以前にも読んだことがありました。50ページほどの小さな本です。有名な本なので読まれた方もいらっしゃると思います。絵本にもありました。創作のようですが。)

ヨーロッパの荒れた野原、一人でこつこつと地面に穴を掘り、どんぐりの実を植え、その後林になり、森にそだち、小川が生き返り、ついには人々を住み始め、生態系を一変させた老人の話。彼が行ったのはどんぐりの実を植えるぐらいまで。

毎日拾ってきたどんぐりの実を水につけて洗って、傷がないものを100個選び翌日に備える。鉄の棒で地面に穴を開けて、どんぐりの実を毎日播種し続けます。数年たって身の丈ほどの林ができ、さらに数十年たって何ヘクタールもの森ができる。ほとんどの人が彼のことに気がつきません。

世の脚光を浴びることなく、質素な生活だけれども、心豊に夢を持って生き抜いた人。よみがえった美しいフランスの高原の森。ほとんどの人に知られないまま世を去ります、がおそらく充実した人生であったと、思ったのではないでしょうか。

私はこんなことを連想しました。

地球が誕生して46億年、そこから10億年たって生命が誕生し、さらに36億年たって人類が誕生しました。つまり人は、自然の先っちょ「空極に進化した自然」です。(これは養老孟司さんがどこかで書かれていました。)

生きて出合う人(空極に進化した自然)に、継続的に「ある種の働きかけ」をすること、持続する志を持ち、行為を継続することの期待感。出会う人に、或いは自分自身に、どのような関係つくりの種をまきましょうか、何が生まれてくるか、楽しみです。

あなたはどんな「どんぐりの実」を播種しますか?

○そらです。

○今日、同僚の先生が言いました。
 「生徒の態度がどうしても許せなくて、感情的になって、
  その生徒と、言い合ってしまった。
  言い合った後、『ああ、また自分に負けてしまった』と思うと、辛くなる」と。

 子どもに愛情を持ち、子どもの成長を願い、何とかしようとしている
 その先生の情熱を感じました。
 さらに、感情的になって正論をぶつけてしまったことを振り返り、
 「こんな自分では、生徒との信頼関係は築けない」と
 言える先生の正直さを感じました。

 怒鳴ることや、正論をぶつけることで
 人をコントロールしようとすることの限界を
 正直に語るその先生を、サポートしたいと思いました。

課題

みなさんお元気ですか?
あるくです。

昨日ある人に聞かれました。

友「体感コーチングって何するの?」

ある「体から答えを引き出すコーチングのこと」

友「コーチは何するの?」

ある「体に何があってどんなことが起きてるか聴くの」

友「何にも起きひんって答えたら?」

ある「感じてみてっていうかなあ…」

友「感じ方わからへんかったら?」

ある「・・・。感じなくてもOKかなあ。でも感じてみてって求め続けるかな…」

「感性や感情は知識のように学ぶことができません。
感じることですから、知性を通して身につけるわけにはいきません。共振、共鳴して、自分の内にあるのを感じたり表現したりして発展させていくものです。」

とは、小南奈美子さんのことば。

なるほどー。

と、知性を通して感性を知りたくなる私。

これが私の課題です。

世界を変える人

超介です。

なすべきことに真剣に取り組まずに、逃げたり、言い訳をしたり、気を紛らわせたりすることを「ゲームをする」といいます。そのように自分を操作するものをウィスパーといいます。(旧準上級、今は中級、で教えてもらいました。)

 子どもはゲームが大好きです。特に手に負えないことにぶつかったときによくゲームになります。ゲームのことをよくわかっていないとき、僕は一緒にゲームをしていました。

 でもいまは、そのことに気がついたので、相手がゲームを始めると巻き込まれたり、加熱しないように離れて、さまそうとしてみたり、質問をしたりします。ゲームから本来の課題に取り組むようにフォローするのです。(大人に対してもそうしたいと思っています。)

 その場に存在するだけでゲームをやめさせるパワーを持った人がいます。いわゆる空気を変えることができる人です。ある種の「雰囲気」を持っている人です。

 このような人のパワーはどこから来るのでしょうか?

 情報とは言葉ではなく、言葉にぶら下がっている内容物、さらに音にならない言葉(その人から来る印象とか)もあります。それらが空気を通して凛として伝わってきます。放射能みたいにそれを浴びると影響を受けてしまいます。

 このパワーは知識だけからでは出てこない、行動に結びついている知識(胆識?)までも備えていないといけないようです。よい意味で自分中心に物事を考えることができていて、そのことに完全にコミットしていて、責任を取りきる人、こういう人が世界を変えていく人だと思うのです。

こういう人の持っている色を「VSOP」(very superior old pale、深沈厚重)で捉えています。