娘が進学しましたが・・・

新潟県で教育コーチングをひっそり広めている強子です(^^)
今日は、娘のことについてお話します。

この春、娘が大学に進学しました。

がんばって頑張って第一志望校に合格し
元気よく登校し始めました。

2〜3ヶ月したら、大学近くに下宿をする予定ですが
今は 2時間弱かけて、自宅から通っています。

バラ色の大学生活をイメージして
ルンルンの娘でしたが、
1日目、2日目、と日数を重ねるごとに
どんどん暗い表情になっていきました。

友達ができない・・・

他の子達は、日を追うごとに
がっちりと固まったグループになっていき
自分の立ち位置が定まらないまま
高校時代の友人との時間を思い出し
気づくと涙があふれてくる状態。

友達も作りたいけれど、
やりたいことをやるために入った大学だから
学ぶことに集中して がんばらなきゃ
というセリフを自分に言い聞かせるように
つぶやく日々。

でも、ふと気づくと涙が・・・
という状態が1週間続きました。

週末は、気分転換に外に連れ出そうと思っていましたが
大学の友達と履修登録をするから 私と出かける予定を
変更していいか と遠慮がちに娘に言われ、
是非、お出かけください!と少し安心して送り出しました。

これで きっかけをつかめたかな・・・と思いましたが
読みが甘かった!!

週明けの夕方、事務仕事を片づけながら 気になって連絡をとると
既に帰宅しており 祖父母を心配させないため
部屋で泣いていたとのこと。

「自分でもわけわからなくなってきた」

・・・まずい状態に踏み込みそうだと感じたので
急ぎ家から連れ出し 話を聴くことにしました。

今までも私に話しながら 自分で思考の整理をして
こうしてみる、と切り換えていたので
話しを聴き、見守っている状態でした。

しかし今回は、抱えているモヤモヤを
1つひとつ しっかり受け取りメモしていきました。

娘の話を聴きながら書いたメモ(マインドマップ)

すると、今まで友達作りに悩んでいた
とばかり思っていましたが
それ以外の要因も 見えてきました。

1番マズかったのは、自分の反応を全て否定していたこと。

感じたこと、思ったことを
「こんなことを感じてしまって、自分はなんて不真面目なんだ!」
「こんなことを思ってしまって、自分はなんて心が狭い人間なんだ!」
と いちいち否定していたのです。

そこで、私が娘にしたアドバイスは、
「今私は こう感じた。以上!」
「今は私は こう思った。以上!」

いちいち評価しない!

自分でコントロールできな部分の
深い自分が感じたことを
ことあるごとに否定してきた結果、

自分を失い、自己コントロール感を失い、
思考も行動も「ヤバい」状態に陥りつつあったのです。

だから自分の反応をそのまま受け取る。

何か感じたら、思ったら、評価しそうになる前に
かぎかっこ閉じの形→ “ 」 ” これを右手でやりながら
「以上!」と言う!

これを提案しました。

そして、娘もそれを受け止めてくれました。

さて、明日からの娘の復活ふりが楽しみです(*^^*)

おしょうさんの子育ち日記(4月その1)

教育コーチのおしょうさんです。

4月1回目の投稿が遅くなりました。

私は、仕事上、休みがなかなか取れず。

娘たちは、満喫した春休み、

そして新年度のお祭りを楽しんでいるようです。

春休みは、祖母・母・娘2人で

横浜へ。車ではなく、初の電車の旅。

ズーラシアやみなとみらいをめぐって、

中華街で食事。

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飲茶をほおばる娘たち。

いいなあ〜。

そして地域のお祭り。

上の娘は最後の参加。

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ほんとに大きくなりました。

勝手に子どもは大きくなりますね。

一緒に生活する時間の方が短いのかなあ:?::!!::cry::

これが必然。

 皆さま、こんにちは。 この春から大学院生の教育コーチ、いっすぅぃ〜です。

さて、私はこの3月に46歳になりました。 つまりは、46歳になってからの大学院生。 

「何かを始めるのに遅すぎるなんてことはないんだよ」なんてことを体現しようとしたのでもなければ、やんごとなき理由があってという訳でもないのですが、この道を選びました。 心の渇きを埋めたくて、なんて言えると格好いいのかもしれませんが:roll:

 で、生活の一歩目はと言いますと。
実際に入ってみると、かなり孤独です。 学部生の時って、周りには煩いぐらいに人がいました。 居住も「寮」でした。 2人一部屋の。 だから、どこでも誰かが傍にいる。 孤独なんていらない、そんな生活でした。

 ところが、今回。 同じ専攻の同級生はいない。 例年なら一緒に授業を受けるという留学生、いるのはいても、同じ専攻にはいない。 つまりは、M2の先輩が学校に来ない日は、ひとりぼっちです。 黙々と原書に向かいます。 むぁあ〜っと声を出しても、不思議な顔をする人は誰もいません。 先週の木曜日なんか、学食で「ありがとう」と口にした一言以外、大学内で誰かに向かって話すことはありませんでした。。。

 でも、反面、こんなに英語をぶっ続けで読んだのって、卒論以来か?という感じで、ヘトヘトに頭ン中グルグルに格闘、充実した時間を過ごせています。
きっと、これこそが、求めていたもので、これまでに欠けていたものなんだろうな、と。

 余談にはなりますが、入学式にももちろん参加しました。 で、そこでは、入学前からの知人が入学式答辞:新入生代表のあいさつでした。 彼にしかできない、本当に素晴らしい内容で、それこそ必然、我々の向学心に火がつく内容でした:**:

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情熱を持つこと(『心の発火点』)

 超介です。

 情熱を持つこととは、それが人であれ、物事であれそれに向かう愛と考えれば、愛するとは動詞なので、その対象が人であれ、物事であれ自ら繰り出す行動如何になります。対象に向かって自らがどのように能動的に行動するか、次第であると。つまり情熱が枯渇する状態はそのような行動が繰り出せない状況なのです。

 したがって、本人の自由な意志の発動がなくて、コントロールされた状態では情熱は生まれにくいことが分かります。私の生活している地方においても、人口減少、少子高齢化等々の変動にさらされていて、従来の枠組みでは不都合が生じ、うまくいかないことがたくさん表れています。そして、そのような事柄は一地方にとどまらず日本全体で起こっていることだと思います。

 仕事の種類にしても人工知能の進化に伴い、単純な作業から人が解放され、人にしかできない範疇の仕事は残りますが、そうでない仕事は機械に置き換えられていきます。この人にしかできない仕事の大本は情熱、つまり物事により組む姿勢が能動的かどうか、この割合が大変大きいと思います。

 一つの仕事、学びをするにしても、自らの意志でやるのか、強制されてやらされるのかの差は大きいと思うのです。結果は同じでも、それが意識されているかどうかは継続していけば大きな差となっていきます。この意識を「心の発火点」として大切にしたいと思っています。

ガッツの幸せ日記??

教育コーチのガッツです

■ガッツの人体探訪:**::**::**:

春ですね。うちの子どもたちも春休みで躍動しています。
若いっていいですね。
肌もぴちぴち・・・、筋肉もりもり・・・、流れる汗も眩しいくらい光っています。
まさに子どもたちの肉体は桜満開といったかんじですね。

では、ガッツさんはどうでしょうか、自分の体の探究をしてみます。

☆足
今朝、目覚めたのと同時に左足のふくらはぎが攣ってしまい、湿布とサポーターで頑丈に固定しています。
歩けない、走れない、、、右のふくらはぎの肉離れがやっと癒えたとこなのに。。。

☆胃腸
昨夜(深夜)の食べ過ぎ(天ぷら大皿3、ポテトチップス大袋1、発泡酒2本)がたたり久々の腹痛(下痢)です。
一昨日も食べ過ぎで調子が悪かったのですが薬を飲んで治ったはず、、と思い、昨夜にまた食べ過ぎてしましました。
今日は・・・ひかえよう!

☆眼
先日、眼鏡が壊れて、新しく購入しました。手元にはまだ届かず、数年前のもので代用しております。
それが、度もあわず2m先からぼやけています。車もバイクも乗れません。 
近視に乱視、そして老眼・・・。肩こり、腰痛も発症です!

☆花粉症
今年はまだましですが、花粉症でティッシュを離せません。
力をいれて鼻をかむので、毛細血管が破裂し、鼻血ブー。
おかげでごみ箱は血で染まっています。

☆おまけ
会社のある研修で脈をはかったのですが、
私だけ脈がない?わからないと・・・ 
まっちゃんファイト!
大好きなあかりちゃんが癒してくれますよ!

■追伸
はやくGWになってほしい。
ゆっくり充電をしたいです。

イマジン

教育コーチの なおです

ピカピカの新入生、新社会人の姿に
こちらまで背筋が伸びる季節ですね

NHK Eテレで「不老不死は実現するのか」という番組がありました
様々な分野の科学者が登場し
映画俳優のモーガンフリーマンさんが案内役

その中で
「1200歳(120ではありません)まで寿命を伸ばすことは可能です」とか
「20代の若さを保ち続けることは可能です」とか



科学者の方々が色んなことをおっしゃる

もし、1200歳まで生きたら、記憶はどうなるの?
歴史の年表だって1200年分大変なのに

もし、20代の若さを保ちつつ1200歳まで生きたら
オリンピック何回出場可能?
「出場100回目で念願の初優勝:**:」なんてことも出てくる?

もし、街を歩く人が皆30歳以下の若さだったら?

出来ないって決めつけずに
もし可能だとしたら :?: もし実現したら :?:
想像を巡らす〜 :roll: あー楽しい:hahaha:

幸せじゃあ〜

教育コーチのりんです。

今日の京都は、雨・・・雨・・・
近所の桜が散ってしまいました。

春休みで、我が家に遊びに来た
小学3年生の甥っ子ちゃん。

「京都に来られて、幸せじゃあ〜」
「ありがとう〜」
「自分でやるんじゃぁ」
「すげぇ〜じゃろぉ〜」

甥っ子の言葉に、思わず笑顔になってしまう:heart:
そして、「幸せ」「ありがとう」って言葉を、
私ももっとたくさん言いたくなりました!

外出の時は、手をつないで。
小さな手が愛おしい:heart:
癒された5日間でした:heart:

昨夜、帰ってしまい、とってもさびしい・・・です。

j.スクール開校2年目

 超介です。
 
 情熱を持ち続けることが習慣になれば、その習慣がさらに人を変えていくことを知っているので、その習慣を作りあげることは本当に重要なことです。そして、さらに愛情を支えるものは情熱であることに気が付けば、愛情が枯渇しているように見えるのは情熱がその人の中に顔を出したことがない、隠れているからではないかと思うのです。

 人が、若いうちにこの習慣を身につければ、とても大きな財産を手に入れたことになるので、これを提案する塾として「心の発火点」を理念としました。開業して4月で1年が経ちました。一人の塾生から始まって12名の塾生が学びに来てくれました。半数の人たちが中3生、高校受験をし卒塾した人もいて現在8名の人で2年目を迎えました。

 「あなたは何をしたいのか?」というように、問うことを中心に場を運営してきました。
塾生の自立的な学びに対応できるように場を整備し、私自身の対応の能力も増えるように努めてきました。学ぼうという気がないように見える人もいましたが、でも心のどこかでは意識は必ずあるので、リクエストはしますが、コントロールはしません。環境が整えば、彼、彼女らも必ず自主的に学びます。

 通塾に抵抗がないように、各講座の料金も抑え、学べる時間数を増やすこと、教室も過ごしやすい環境にしました。今年は、どこにいても自立的に学べるようなネットを使った学習システムの導入、HPを使った情報の公開、場の拡充等の整備を進めていきます。

 春季講座が今日終了しました。明日から通常講座を再開します。これからの新しい人たちとの出会いも楽しみです。

新年度の一歩

 皆さん、こんにちは。新年度になりましたね。 
「明けましておめでとうございます」とでも言うべきところでしょうか(笑) 
この4月から大学院生になった教育コーチのいっすぅぃ〜です。

 巷に、アクティブラーニング型授業の<やり方>に関心が集まり、「そもそも」が忘れられているからでしょうか。 
少し前から、「アクティブ・ラーニングの根源的な目標は、『アクティブ・ラーナー』を育てることだ、と強調して言われるようになりましたね。
 でも、まぁ、これは当たり前のこと。 教育コーチングをベースとした「アクティブラーニング実践講座」に参加された方なら、何を今更、とさえ感じていることでしょう。

 教育コーチングの目的は、執者(たぬき)を育てることですから:!!:

 これこそが、アクティブ・ラーニングのベースに教育コーチングがある<真骨頂>だと捉えています。

 さて、この新年度授業から、どんな授業をやろうかなぁ〜、なんて考えています。
特には「学習目標・指導方法・評価のあり方」のますますの一体化を図りたい、と企んでいます。
 この評価、特に形成的評価(学習のプロセスで行われる評価)には、これまでリフレクション・シートを使っていたんだけれど、より進化したものにしたいな、と。で、リフレクション・シート(改訂版)を作成もしました。
 このリフレクション・シートが充実していれば、授業者の私にもより鋭いフィードバック、生徒たちの学習にもより良いフィードバック、そして承認ができるんですものね。 
これまでの授業でのリフレクション・シートは、本当に楽しく、私の授業力を上げてくれたと感じています。 
だからこその改訂:heart: 進化の、意味のある一歩を踏み出しました8-)

本音と建前

超介です。

「本音と建前が自在に使えること、彼はそれができる。」と大先輩からある人物像の解説を聞いたことがあります。この場合の「建前」とは「あるべき姿」に近い意味を持っています。その当時、すぐにはその意味が理解できませんでした。後年、改めてその意味を考え直す時、その言葉の奥深さと、それを兼ね備えていた人物の大きさを感じました。

 問題を解決するのに本音が話せる場が必要、といいますが、本音を語れば、わかりあえて問題が解決するとは限りません。心の中にある、本能に近い欲求を掘り下げて自覚しても、自己責任の範疇ではそれで済みますが、他とかかわりあう、社会的存在としては解決できないことが大変多いです。他者の本音は自分の本音と異なるからです。自己責任の範疇ですら、未来の自分は他者ですからそれとのかかわりでは解決できません。

  「あなたの本音はわかった、それでどうするの?」と問いかけるとき、本音を超えた「あるべき姿」を見つけることができます。本音は、この質問に人が答えを見出すために必要です。本音を話せば、その束縛をほどく糸口が見つかることが多いからです。人が自由になるときこそが、さらに深い思考を始めるときです。

  コーチングはそのためにとても有用です。