Honesty is the best policy

 ”Honesty is the best policy.”が座右の銘、のいっすぅぃ・です。

 この2つ前の楽鬼さん記述にあるように、9月19日、
「2009年度指導者育成
委員会」「教育コーチングトレーナー総会」がありました。

 全国から集まった【同志】。私の中の熱いものが、さらに熱くなっています。

 冒頭にあげた文ですが「正直は最良の策」と訳されます。がしかし、バカ正直、
単細胞、騙されるぞ、と揶揄され敬遠されることもあるようです。
ビリー・ジョエルが
Honesty is such a lonely word, everyone is so untrue.
(「誠実さ」ってのは死語になっちゃったね。皆がみんな、嘘っぱちなんだもの)
と歌うように。

 19日は圧倒的に違いました。
 それどころか、そこにはuntrueなんてありませんでした。

 ビリー・ジョエルは、確か、こう結んでいました。
Honesty is hardly ever heard, but mostly what I need from you.
(「誠実さ」って今じゃあんまり聞かない、けれど、僕はあなたに求めたい)

 自分自身の【核】に正直になる。もっと、なる。強い私がいます。

素 (友、その3)

『人生航海図』、開催真っ只中ですね。
参加したいと思いながら、まだ参加したことのないいっすぅぃ・です。
きっと、魂のぶつかり合いが繰り広げられていることと想像します。
一皮も二皮もむけ、「素」の参加者がそこにいるのでしょう。

「教育コーチング」が大事にしているその人の「在り方」。
私がその「在り方」、つまりは「素」を意識したのは大学生の時だと思います。

大学生の頃からの一番の友人がK。彼が私を今ある私にした。
英訳せよ、なんて言えそうな文、そのままを授けたい人です。

大学入学数ヶ月が過ぎ、女の子達と飲みに行ったときのことです。
その夜、私は、そのKの部屋に泊まることになっていたので、その
女の子達と地下鉄の改札でお別れ。本来ならここで終わりのはず。
地下鉄のその駅は、真ん中に線路が2本、両側にそれぞれ反対方向
行きのホーム。
Kはおもむろにバイバ・イ、ありがと・、そしてホームに土下座。
これは面白い!と私も土下座。ありがと・・、と。
反対側の女の子達はどうしたかというと、そのまま土下座。
そして、お互い、ありがと・・・。

ある意味、ショッキングな出来事でした。

その頃の友人達は、なぜだか「訳あり」な苦労をしているのが多く、
きっと、引き寄せ合うものが合ったからだろうけれど。
認め合えるから、バカが良いから、「素」でいることが恥ずかしいこと
でもなんでもなく。
世界が明るくなっていきました。

そのKは論理派、私は感覚派、と言われ、でも2人一緒。
片方がいないと、「もう1人は?」なんて聞かれる。
だから He made me what I am.

「素」でええやん、男前やでぇ・、かっこええでぇ・、と力強くなっていく
「教育コーチング」の道。
だから、好きなんですわ。

あこがれ

吹奏楽コンクールも終わり、僅かながらの休日を終えたいっすぅぃ・です。

「あこがれ」は人を動かす大きな力になる、言うまでもないことだと思うのですが。。。

お盆に、千葉県から親戚が里帰り。向かいにある私の家に、ちひろくん:3人兄弟
末っ子(中学一年生)が、遊びに来てくれました。
琉太朗も琉里子も、とても嬉しそうに、楽しそうに、一緒に遊んでもらっていました。

次の日には、別の方に会いに行きそして帰路に着く、というタフな道のりにも関わらず、
子どもたちの「おにいちゃんも一緒にいこう・」という強いリクエストに応え、ちひろくん、
午前中は近くのプールについて行ってくれました。

さて、その夜のことです。
小学校に入り夜尿がなくなった琉太朗、夜中に「おしっこ」といい、起きてトイレに行く
ではありませんか!!

次の日、「これまでとなにが違ったの?」と訊いてみると、「ちひろにいちゃんが僕たち
のお世話をいっぱいしてくれたから、僕もしっかりしようと思ったん」と。

「教育コーチング」の『信念』にある「人は育とうとする生き物だ」。
お、お、と思えるこんな瞬間。
それを逃さずに出会えると、ますます揺るがないものになっていきますね。

あり方

三重県のいっすぅぃ・です。

全国版のニュースにもなっていましたので、ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、
7月29日・8月2日、三重県では、『第33回全国高等学校総合文化祭』が開催されました。
http://www.pref.mie.jp/MIESOBUN/

私は器楽部門(オーケストラやギター・マンドリンなど)のステージ係として、お手伝いを
いたしました。

「ステージ係」というお仕事は面白いものです。具体的には、ステージの配置図通りに
椅子や譜面台を並べたり、進行がタイムスケジュール通りに進むようにお手伝いをする
仕事です。ですので、全ての出場団体の本番直前から直後までの様子をうかがうことが
できるのです。

舞台の配置図や椅子・譜面台の数間違えはもちろん、直前になって楽器の調子が悪い、
演奏者が緊張のあまり、指揮者が・・・トラブルも多々あります。もちろん対応できる範囲で
対応をします。

『教育コーチング』の学びを深めることは、ひとえに「あり方」を揺るぎないものにすることだ
と感じています。
また、自分自身の「あり方」を研ぎ澄ましていくと、周りの方々の「あり方」を敏感に感じ
るようになります。

“本番直前”という時間帯、取り繕ってなんかいられません。
♪稽古不足を幕は待たない♪
指導者の方々の“素”が見えてきます。

そして、ステージ係のいっすぅぃ・は確信に至るんです。「あり方」が確固たるほど、
演奏者の顔が良い、音が柔らかい、響きが多い、、、と。

びわいち (友、その2)

夏です。勤務校の隣にあるダム湖をランニングし、来たる秋&冬に備えるいっすぅぃ・です。

ところで、「びわいち」って言葉、ご存知ですか?

前回の日記に紹介した友人と私が、高校2年の夏休みに成し遂げたことです。
願兼於業(がんけんおごう)という言葉をプレゼントしてくれた友人です。

巷では、最近、流行っているということですね。

<自転車で琵琶湖一週>

私たちは時計回りに廻りました。琵琶湖の北東から北西にかけてが本当に美しかった
ことを覚えています。
そして、東にあるバス停(小屋なんですよ!)で寝たことも忘れません。

あのことがあったから、へこたれない自分がある。
東京に出た浪人時代。新聞配達で自転車を漕ぐ背中を押してくれたことも多々あります。

少しずつでも進めば、何処かへたどり着くことを知っている自分がある。
フルマラソンに参加し、ゴールできるのもそんな確信があるからでしょう。

親を、親戚を、世間を、恨むことしか出来なかった私の傍にいて、
「他人は変えられない。自分が変わるんだ」と何度も諭してくれた友人でした。

どうしようもない私に対して、「教育コーチング」の在り方にあたる<愛情・信頼・尊重>
をもって、寄り添い、応援してくれていました。

何年も経ってから言ってもかもしれないけれど、今だから言えますね。
「ありがとう」

この時期は、野球応援で日に日に黒くなっていくいっすぅぃ・です。

私ね、育ちが悪いんですわ。
2008-11-27に書いた『意味のある今このとき』に書いたことその
ままが私の育ちですから、誇れるようなものはなく。

それが、昨年の今頃のことです。
たびさんがここで報告されている「学校教育相談実技研修会」
をお手伝いする。PM級トレーナー資格の受験をするというころ
になって、私自身が大きく変わりました。それを実感しました。

高校生の頃には親を憎んでさえいた私です。それがそのうち、
諦念というものに変わっていきました。ところが今は、感謝さえして
います。

なぜだろう?

なぜかはわからない。

なぜかは分かっていても言葉にはしたくない。

おそるべし「教育コーチング」。

親のことを憎んでいた高校生の頃から、私に寄り添っていてくれた
友人がいます。
なんで私になんか、と思うものの、人生や縁といったことに思いを
馳せないわけにはいかなくなってきます。

この友人だけでなく、友人には本当に恵まれた私でした。
だから、こうやって、間違いなく、生きて来れたんだと振り返ります。

高校時代の友人が教えてくれた言葉です。
「願兼於業」。仏教用語の一つです。

願ってあなたのところに生まれてきた、願ってこの人生を生きること
にした。そうした使命感に立った生き方の中に、一見、業としか
思えないような境遇をも乗り越え、縁深い人々とも一緒に、生きる
意味を見いだしていく力がある。
(願兼於業という言葉がありますが、まさにそういうことです。
経文のなかにある言葉ですが、生き方の中でしか読めないことだ
と思う)

今の私自身を肯定し、友人達に感謝し、今日をまた生きる。
「今日を強く生きたい」という想いを、朝から噛みしめています。

明日からも、こうして、生きていくだろうと

先週末は、なんだか、ヌケヌケ大マヌケのいっすぅぃ・でした。

木曜日:とんでもない頭痛&吐き気。死ぬかと思うぐらいでした。
救急車を呼ばなくてよかった。
演奏会前だというのに、欠勤してしましました。

金曜日:昨日の頭痛が残っている。吹奏楽部演奏会のリハーサル。
なんとか、ハイパーな私でいたい。もっと、盛り上がっていきた・い
って気だけで乗り切ったような。

土曜日:朝早く起きて譜読みをしていたら、2曲のスコアーを
自宅に忘れる。暗譜してたから、その方がええか、と自身を説得し
て本番。新しく書き込んだこともあったのに。。。マヌケ。

日曜日:風の谷at長島中部小学校
私の参加する吹奏楽団の演奏会!楽譜を忘れた。本番が続くので
車に乗せておこうと思って用意をしていたのに。 あ、そう言えば、
小銭入れもない、、、ってことに気付く。
演奏会後に缶ジュースを飲んだとこか?? はたまたご飯を食べに
行ったところか???
楽譜はパートの方々に助けられ、コピーで大丈夫に。
お世話になりました。みなさん、ご馳走しますよ・、ご飯を食べに
行きましょう・・・っ。あ、鞄がない。 家か。 財布がない。
鞄の中だもの。トホホノホ。お金を借りる。 
と、昨日ご飯を食べたところから電話が。小銭入れがあった。

帰宅すると、琉太朗が熱と吐き気でうなされている。夜、体が真っ赤。
病院に連れて行くと、「溶連菌感染症」だとか。。。

忘れたもの、失くしたかと思ったものは全て、戻ってきました。
もう琉太朗も元気です。
でも、ほんま、あかんなぁ・、私って。
「自立」しなきゃとつくづく思ったのでした。

周りの方々に沢山の迷惑をかけ、いっぱい助けられ、
♪私は今日まで生きてみました♪♪そして今私は思っています♪

ほんまに ほんまに ありがとうございます
これからも、よろしくお願いします

時間/TIME

いっすぅぃ・です。
今日はクラブ指導で、学校に来ています。
公私ともに本番があり、充実しています。

20日土曜日が『桑名西高校吹奏楽部ファミリーコンサート』
21日日曜日が『四日市風の谷ウィンドアンサンブルin長島中部小学校』
演奏会本番が2日続きます。
土曜日は指揮者、日曜日はトランペッター。

あ、“宣伝”ってワケじゃあ、ありません。
この本番前になって、曲が仕上がってくると感じることと、
コーチングやセミナーor授業をしていて感じることの共通点を、
書いてみたいなぁと思ってです。

曲が仕上がってくると、それぞれが楽譜の読み間違いや演奏
のミスはなくなってきます。
そうしたときに、私が前に立って気になるのは、TIMEに関する
ことです。実は、これ、コーチングやセミナーor授業を進める側
にいるときに感じることと似ているんです。私の場合。

それぞれの曲にはそれぞれのテンポというものがあります。
そのテンポに合わせて演奏するというのは、まずは、当たり前
です。そうしないと、「合奏」はバラバラになってしまいます。
そのテンポが合っていても、なんだか、ザワザワ、バラバラ、
ということが、よくあります。音の高さやプレーヤーそれぞれの音量
が揃っていてもです。
テンポの感じ方が少しずれていたり、そのために音色が違って
いたりするからです。それを音色で感じる人もいるようですが、
私の場合は、TIMEの感じ方、テンポの感じ方が違うからかなぁ、
と理屈ではなく、そのことを身体で感じるんです。
そんなときは、拍をとり直したり、呼吸を合わせたり、歌ったり
をすることで、修正していきます。すると“ハタ・ッ”と合ってくる。
静けさを持った音楽になってくるという印象です。

コーチングやセミナーor授業を進めるとき、ずれを感じるときが
あります。
何て言ったらいいでしょうか。なんだか雑音でザワザワします。
そんなとき、そこにいる人に呼吸を合わせてみます。心拍数を
合わせるように。
立ち位置を合わせてみます。ものの見方をあわせるように。
なんだか、ピッタリと寄ってくるんです。

求められる力

今、『学校別説明会』と題される行事から席に戻りました。
いっすぅぃ・です。

私は○○女子大学の担当でした。
大学から来ていただいた方の話し方がバツグン!
どこかで「話し方」を勉強されたのですか?と、授業後に
質問をしてしまうぐらいでした。
きっと、どこの大学も、広報課には素晴らしい力を備えた
方々がいらっしゃるのかなぁ、と想像していました。

話の内容は、
その大学のことだけに限らず、
卒業した後のことを考えての学部の見方
就職率のオモテとウラ
入試の方法
入試を突破する力とは
などを、色々と興味深い話を交えながら。

最後に、「企業が新入社員に求める力」ってなにか分かり
ますか?
じつはそんな調査がされたんです。
複数回答可能で調査です。 じゃあ、いきますよ。
?ダ深造?
?ぅ船礇譽鵐舷?
??主体性
??協調性
1位は何だと思いますか?
1位は79.5%。
そこまでは50%程度なのに、1位は80%です。

1位はコミュニケーション能力です。
自分のことばっかり話して人の言うことを聴かない社員に
辟易きてる企業が多いということでしょうね。

ということは、大学受験でコミュニケーション能力をアピール
出来れば。こうやって磨いてきましたってのがあれば、AO
入試を突破できるのに違いない!! とその先生が。

おぉ、そういうニーズもあったか、と。

聴くということ

おはようございます。いっすぅぃ・です。

三重県の3学期制の公立普通科高校の多くは先週辺り
に中間考査を行っています。

私の隣りにいらっしゃるのは国語科の先生。この先生は、
前任校でも一緒で、子どもが生まれたときに、毎日、何か
したいんだけどと言うと、絵本の読み聞かせを紹介してく
ださった方です。

その先生の採点している問題になんだか気になる言葉が
チラリ。「聴くということ」
すかさず、問題を見せてもらいました。問題は全文ではな
さそう。著者は鷲田清一。
問題だけでなく、教科書全文をコピーしてもらいました。

こんな文章で始まります。
 聴くといえば、だれもがおそらく、耳で、と答えるだろう
 聴覚は鼓膜に伝わる空気の振動を聴覚神経が大脳
 に伝えて・・・と、昔学校で習った記憶がある。しかし、
 聴くという行為が、耳でする、ただ単に音響情報を受
 け取るという受動的な行為だとはとても信じられな
 い。

おぉ、でした。高校生はこの文章を知っている、ということ
がまずもって嬉しかったのです。そして先を知りたかった。

 聴くというのは、相手のことばをきちんと受け止めるこ
 とである。理解できるかできないかは、普通思われて
 いるほど重要ではない。

 心を一つにするのでも、理解できるというのでもなく、
 ことばをそのまま受け止めるということそのことに意味
 がある。

 聴くというのは相手の鏡になろうとすることでもある。

「教育コーチング」そのものやないかぁ、と思いながら、も
う一度、生徒達はこの文章を知っている、と反駁しました。
知っているということは、生徒達は、実践はできていなくと
も、そういった視点を持ってるんだ。と気付いたのです。

調べてみると、鷲田清一さんは現在の大阪大学の総長を
務められているようです。
シロウト目で考えると、きっと彼の論が認められているん
だろうなぁ。きっと実践されているんだろうなぁ。

私のココんところにストーンと来たんです。「4つのトライア
ングル」やなぁって。

最後の文章はこの様なものでした。

 ホスピタリティ、つまり歓待(=他者を暖かく迎えると
 いうこと)においては、聞き上手といった素質の問題で
 はなく、どのようにして他者に身を開いているかとい
 う、聴く者の態度や生き方が、常に問われているよう
 に思う。