「コーチング」と「癒し」

いっすぅぃ・です。

先日、『特定保健指導』を行う保健士さん達を対象に
して、コーチングセミナーが実施されました。
私たち三重県のメンバーが、そのセミナーのお手伝い
をしました。

アンケートの幾つかに「癒されました」という言葉を見つ
けることが出来ました。

まだ、コーチングに携わって間もなかった頃、「コーチン
グとは」に続く言葉が「癒し」になるとは思ってもいなか
ったこと。

それは、今ある世界がコミュニケーションを望んでいる
のに上手くできないでいることを示唆しているのか。
それは、私たちの行う『教育コーチング』が、己を認め、
己を許すことを出発点としているからなのか。

何が伝わり、何が伝わらず、何を伝えて、何を伝えな
いのか、来年の大きな課題になりそうです。

越えるとき

いっすぅぃ・です。

「僕、プラレールやってくる・」というので、
放っておいたら、いつの間にやら。。。

今回のは、越えられました。
私の想像力を。
立体交差2カ所、入り組んだ分岐。

こうやって、子は親を越えていく、親は子に越えられて
いくのかなぁと。しみじみ思ったのでした。
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意味のある今このとき

いっすぅぃ・です。
もう12月はすぐそこですね。
「総括」ってワケじゃあないんですが、今年は良い年だ
ったと振り返っています。

この『教育コーチング』に携わってから、人生がいい方
向へ回り始めています。もっと、前からそうであり、一つ
の標としてこの『教育コーチング』がある、そうなのかも
しれませんが、私自身と他の人たちとの関わり、この世
界との関わりが明らかに変わったのは、この『教育コー
チング』に出会ってからです。

こんなところに書くことか?!ですが。
私の父はやくざでした。「やくざな人」ではなく、職業とし
てのです。小学校3年になる頃に、かたぎになってくれ
ました。その世界では成功していたようなので、子ども
を想ってのことだったと想像できます。

しかしながら、そのあとに色々とあって、別々の人生を
歩んでいました。その父は再婚して、子どもも生まれた
と聞きました。そんなこともあり、年賀状は届いている
から元気なんだろう、程度の付き合いでいました。

私には3歳年下の弟がいます。彼はそんな父に憧れた
のか、やくざになってしまいました。
たまにの連絡は取り合うものの、違う世界で生きている
という感じでした。

9月18日にその弟に子どもが生まれました。いつ正式
に結婚したのかも知らないうちに、ですが。。。
しかし、これを機に、連絡を取り合うようになりました。
別の人生を歩んでいた父とも連絡を取るようになりまし
た。
やっと、皆がみんな、どんな暮らしぶりをしているか、が
分かるようになりました。

ちょうど一ヶ月前の10月27日。
弟が杯を返し、カタギになったと連絡がありました。
弟35歳、私38歳。なんだか、人生が大きく動いている
のを感じました。

「子どもの力」かもしれないし、「子を想う父の力」かもし
れないし、偶然の産物かもしれないし。
でも、願った方向に世界は動く!そんな意味のあるとき
を覚えておきたいと振り返る現在です。
そしてまた、その中心に在るのは、驕らず・謙虚に・自
分自身だと確信し、今を生きたい。そんな想いで一杯で
す。

12月6日。
その父と弟の家族と私の家族と、出会うことになってい
ます。

声かけ

いっすぅぃ・です。

 明日、大きな吹奏楽の演奏会を開かせていただけます。
この地区の高校5校と、全国大会常連校の愛工大名電高校と。

 とうとう明日です。やっと明日です。
事務局を担当していた私としては。。。

 今日の午前、体育の授業に混じって5kmほど走りました。
 走っている間、近くにいた生徒に
「歩幅がながいなぁ・」 ますます幅広くなりビュ・ン。
「ええピッチやなぁ」 ますます上がってヒュ・ン。
置いていかれてるんです。。。

 「あっこまでがんばろか」「ラストスパートやでぇ」
その声は生徒に行って、自分に返って来てます。

 そのちょっと先の目印まで、そしてもっと遠くの大目標。

 明日、キラキラにいけてる演奏、してきますわ。

自立せよと哲学者の声あり

 いっすぅぃ・です。
この東海地区では、地方紙であるはずの中日新聞さんが大きな新聞社です。
それはもう、他の地域では考えられないのですが、全国紙を取っている家庭の方が圧倒的に少ないです。
そんな中日新聞の朝刊コラム(中日春秋)の10月20日の記事のことです。

・・・・・・以下、記事・・・・・
 人間は先入観にとらわれるとなかなか抜け出せない。哲学は難解。これもその類(たぐい)である。でもフランスのある哲学者の言葉を借りれば、どうして、どこへ、なぜ、どんなふうに、といった疑問はすべて、哲学の領域になる。
 それならば、世界が直面している金融危機や景気後退という重大事について、哲学者に疑問をぶつけてもいいのだろう。ハイデッガー研究の第一人者として知られている木田元さんを訪ねた。
 海軍兵学校で終戦を迎え、哲学を学ぶ前に闇屋で生活費を稼いだり、農林専門学校に入学したりと、いくつもの回り道をした苦労人でもある。八十歳を機に『哲学は人生の役に立つのか』と題した本を著した。
 資本に関するくだりがある。現状を<みんなが自己増殖する資本独自の動きに翻弄(ほんろう)され、こき使われて、右往左往させられているだけ>と分析。人間がコントロールできるはずだという考え方を改めて、<不気味なもの>だと思った方がいいと指摘している。
 確かに今の動きは、不気味という言葉が当てはまる。不安は簡単に解消されそうにない。では「これからどうしたらいいのか」と尋ねると、要は人間が「謙虚になること」だという答えが返ってきた。
 恐れを知らぬふるまいをしていれば、いつかは痛い目に遭う。事の大小に関係なく、人間のやることすべてに共通する原理なのかもしれない。
・・・・・以上、記事・・・・・

なんか、ピン!と来ました。
人間が謙虚になること。
そうです。 「成果のトライアングル」。
痛い目にあってからじゃあ遅いんだよなぁ。。。(ブツブツ)

What a wonderful world

いっすぅぃ・です。
この土曜日に、うちの子が通う保育園で運動会がありました。
うちの息子は6歳で年長、娘は3歳です。
なので、息子にとっては保育園で最後の運動会。いつもはクラブ指導の私も休みを取り、ビデオ撮影隊員です。

保育園の運動会のプログラムは「メインは年長クラス」といった感じで、年長クラスの出番は一番多く、年下のお友だちのお手伝いも沢山します。

その中でビックリな大きな拍手が、障害物競走での一場面でありました。
競争といっても、2人一組で途中途中で助け合いながらゴールを目指すというものです。
登り棒が出来ない相棒のためにおしりを下から押してあげたり、平均棒の怖い相棒を見守ったり。
最後に逆上がり。逆上がりをしたある子に向けてひときわ大きな拍手が上がりました。私もつられて!とたんに会場中に響く大きな拍手。
見送りや迎えに来ているお父さんお母さんはその子が毎日「逆上がりができへん、できへん」と悔しがりながら練習をしているのを知っていたのです。

最後は太鼓です。
この太鼓は、毎年決まっているものではなく、子ども達が選びました。ダンスや集団でやれるものになるようです。
なので、太鼓の中にダンスのようなものも混じっています。
観ている私はなんだかジ・ンとしています。これだけでなく、障害物競争やソーラン節のときにもでしたが、もっと深く感じています。
保護者の方々に目をやると、あちらこちらで目に涙を浮かべています。昨年の年長クラスを担任し産休に入っている先生の目にも涙。この春まで園長さんだった先生の目にも涙。
なんと、運動会後には年長クラス担任の先生を胴上げ!!!!

お母さん、お父さん、先生方の強い思いがあり、それに応えようとする子ども達の姿があり。強い絆があり。。。
What a wonderful world!

子どもの心

「はじめまして」のブログ登場、いっすぅぃ・です。
三重県で高校教諭をしています。よろしくお願いしま・す。
私には子どもが2人いまして、毎晩、寝るときに絵本の読み聞かせをしています。ま、早く帰っていて出来るときは、ですが。

息子の大好きな絵本の1つに『おこだでませんように』(小学館)というものがあります。
「パパ・ママコーチ」のトレーナー資格試験を受験する友人に、ちょっと読んでみようって持って行ったこともあります。ココんとこに、ずど・んと来るんです。
絵本だからって馬鹿にしちゃあいけません。ほんまにウルウルやられまっせ。

小学館の紹介では・
怒られてばかりいる子の心の中を描いた絵本
「ぼくは、いつでもおこられる。家でも学校でも…。休み時間に、友だちがなかまはずれにするからなぐったら、先生にしかられた」いつも誤解されて損ばかりしている少年が、七夕さまの短冊に書いた願いごとは…? ・
とあります。

教育コーチングをご存じの方には、より深・いところでボンと爆発しますよ。きっと。
『4つのトライアングル』の信念のトライアングル:「人は成長する生き物だ」&「人はそれぞれ」&「人は心の中に答えを持っている」、よりパワフルな確信になりまっせ。
『4つのトライアングル』のあり方のトライアングル:「愛情」&「信頼」&「尊重」、これがよりグレートになりまっせ。