『児童心理』コーチング特集号

たびし@小山です。

金子書房から『児童心理・6月号臨時増刊』(⇒クリック)が刊行されました。

丸ごと1冊、「コーチング」です。

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コーチ・トゥエンティワンの伊藤守さんが「コーチングとは」という概略を説明した後、
ビジネスコーチや大学教授、学校の先生など、総勢22人が執筆しています。

小山は、「管理職が行うコーチング」のコーナーを書いています。

コーチング未経験の方からベテランまで、読み応えのある1冊です。
是非、お読みください。

雨のち晴れ

私の塾の勉強ネタとして仕入れた算数パズルの本を
一番下の子が「むずかしい、むずかしい」と言いながらやっている

あんまり言うので覗いてみると
まだまだのレベルです。
やり方そのものが分かっていない感じもしたので
まずはやり方をアドバイス、

しばらく静かに集中しています。
そのうち、「あっ!」とか「だめだっ!」とか「あ・」とか言ってます。
気になりますが、頼られてしまうのがここでは一番避けたいことですから
ほうっておきます。

随分考えたのでしょう
とうとう弱音を吐き始めます
わからないよ・(かわいらしく、女の子っぽく言ってきます)
おしえてよ・
それでもほうっておきます。

ついに近くにすり寄ってきました
「これさ・」
ついに来たか!
こちらは身構えます。
はじめはニコニコしていましたが
こちらが教えてくれないとなると
はっきり「おしえて!」と詰め寄ります。

「自分でいろいろ考えてやってみなさい」
そのとたん、やっぱり!
目から涙が……。

パズルで泣くか・?
と思ったのですが、若干娘には甘いパパになってしまいます。

「どこが選べるの?まだ試してないところあるんじゃない?」
ああ…、答えに近いこと言ってしまったかな?

もうこれはロスタイムのようなものか。
自力では今日は無理かな?と案じていた時、
できました。満面の笑顔。
そんなものなのでしょう。

教えない → 泣き顔と笑顔 → お互いの小さな進化

ウチの塾ではこのバージョンアップ版が本日も繰り広げられます。

出て来い!次世代リーダー

久々登場、たびし@小山です。

今日は東京で、「次世代リーダー育成セミナー」(⇒クリック)でした。

15の法人から34名の「次世代リーダー」が集い、楽しく、熱く、真剣に、
リーダーシップ論を学び、リーダーのコミュニケーションを探究してくださいました。

午前中のリーダーシップ論は日青協理事で、全国学習塾援護会主宰の森智勝先生。(⇒クリック

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何回も聴いた講演ですが、何度聴いても新しい気付きがあり、できていない自分に出会います。
「森先生のリーダーシップセミナー?聴いたよ」じゃなく、何度も何度も反芻する必要性を
改めて感じました。

午後からは私たびし@小山の、教育コーチングワークショップ。
・・・とは言っても、教育コーチングの根底となるリーダーシップコミュニケーションの探究です。

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さすがは塾を代表する皆さん、「目」が違います。
キラキラしたおめめで参加してくださるので、こっちもPowerを引き出されます。

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初対面の先生方とも、どんどんコミュニケーションをとり、どんどんパワーアップされる様子は
圧巻です。

休憩を除き、4時間の研修。
決して受けて終りにはしない皆さんです。
さぁ、どんな違いを作ってきてくださるでしょうか?
2週間後の第2回にお目にかかるのが楽しみ!!!

来週は、大阪会場のスタートです!

思春期…

思春期息子を持つどんママです。

我が家には、中2と中3の息子がいます。
同姓で年子ですが、顔も似ていなければ
性格も食べ物の好みも考え方も全く違います。
『違って当たり前…』と思ってはいても
似ているところがここまで見つからないと
『何によってこうも違うのだろう?』と
ついつい無意識にふたりの違い探しをはじめ、
ため息をつくことが多々ありました。
ところが…
最近、その違い探しがいつの間にか
息子ふたりのいいところ探しに変わっていることに
気がつき、いつの間にかそのいいところ探し(違い)を
楽しんでいる自分に変わっていることに
気がついたのです。

教育コーチングをはじめてから4年…
何度も何度も本を読み、受講もして、コーチとなっても
我が子のことになると、どうもうまくコーチングが
活かされない…それでも諦めず続けようとすると
「はぁ・またコーチング?もうええわぁ。うざい。」と
何度息子にシャットアウトされてきたことか…。

息子ふたりが中学生になり、色々と問題が起こり始め真剣に初めて今までの子育てを振り返った。
そして、いっぱい悩み、いっぱい泣き、いっぱい叫んだ。
それでも、そんな自分もOKと暗示のようにつぶやきながら、思春期の息子と心から向き合い続けた。

思春期は、親子関係を再度築きあげる事が出来る
最後のチャンス時であると何かの本に書いてあった。
本当にそうだなぁ…とつくづく思う今日この頃。

相変わらず思春期ドラマの主人公のような毎日をくり広げてくれる息子たちにハラハラ・ドキドキですが、
そんな息子たちのをいつの間にか、かわいく思えるようになっている自分であることに気づくこともできました。

嵐のような思春期ドラマにも、そのうち感動の最終回がやってき、いつの日か懐かしく愛おしく感じられる時が来ますように…

ECTP準上級教育コーチ養成講座

教育コーチのGです。

昨日と一昨日、京都市烏丸御池(京都国際マンガミュージアムもすぐ近くです)のSCGビルで、ECTP準上級教育コーチ養成講座が開催されました。

準上級教育コーチは、PM(パパママ)級というトレーナーグレードを兼ねた、社団法人日本青少年育成協会認定のコーチ資格です。

しかも、同社団の研究員資格をも同時に取得することになります。

トレーナーの顔ぶれはこちらをクリック→http://www.jyda.jp/coaching/lecture/index3.html

一対一のパーソナルコーチングとしては中級教育コーチで完成をするのですが、トレーナーとしてのあり方を学ぶことにより、さらにコーチングを深めていくことが可能になります。

初級、中級の講座で学んだあり方やスキルの元にはどんな意味があるのかが深く理解されるとともに、さらには集団へのコーチングを身につけることにより、より以上にクライアントを感じとる力、自分自身を振り返る力(セルフコントロール力)などが身についていきます。

このように、トレーナーとしての力を身につけるとともに、コーチ力や自身のあり方を高めていくことが、この準上級教育コーチ養成講座の大きな特徴です。

講座の中身は、ヒ・ミ・ツ(というわけではありませんが、ここでは書ききれません)。

みなさん、ぜひ、初級・中級と教育コーチの認定を取得され、準上級教育コーチ養成講座をご受講ください。

素晴らしく豊かで、承認に満ちた、それでいてとてもとても鋭く、学び深い場が、みなさんをお待ちしています。

おしょうさんの娘育ち日記(5月その1)

娘たちから幸せのパワーをもらっている

教育コーチのおしょうさんです。

みなさんは、ご自身のお名前を言えるようになったのは

いつでしょうか?覚えていらっしゃいますか?

偶然ですが、下の娘(1歳6カ月)が、はじめて

自分の名前を言ったところを目撃?しました。

自分のお鼻をおさえながら、

「ちしぇー!(正確には知世ですが)」

奥さんと上の娘と感激して、

そのあとおそらく数十分、同じ動作を

くりかえしさせていました。

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GW中に、水族館に行ったり、親戚と会ったりしたのが、

いい刺激になったのかもしれません。

神社の周りには鬱蒼とした森があった(その2)

里山が荒れている、ように思える。人の手が入っていないようにおもえる。どんどん里の近くにまで木が生え、草はらが穏やかに広がり徐々に山になっていた地域がなくなり、伐採がされないままに伸びた林が民家の近くまで押し寄せているのである。里山にはクヌギやら、栗の木もあって、カブトムシやらクワガタムシ(僕たちはオニムシとよんでいた)が樹液の匂いに集まってくる。地区の子供たちは、どこにそんな樹木があるのかよく知っていて、夏休みには早朝から取りに行くのだ。そのうちの一本の木の近くで網をふってオオムラサキを捕まえたことが一度ある。紫というよりも濃い青色を翅の中にひそませていた。(後でそれがオオムラサキという日本の国蝶であることを図鑑で調べたのだ。)それからは一度も捕まえたこともみたこともない。幻の蝶となった。

神社の土塀の庇にはタテハ蝶の(一種であったと思うが)さなぎがぶら下がっていることがあった。羽化する蝶を見たことがあるし、境内の大木の下で角を生やした蝉の幼虫(冬草夏虫、という漢方薬の材料にも使われるらしきもの、蝉の幼虫に菌類が寄生したものである。)をとったこともある。また、土中の蝉の幼虫をそっとつかみだし、家に持ち帰り、植木の下におく。その夜真っ白に羽化した成体をみたり、朝方、翅に体液が沁み、色づいて飛んでいく油蝉やらニイ二イ蝉の観察を何回も繰り返した。自然の不思議さ は何回見ても私を飽きさせなかった。

里山の近くにはイノシシがよく出てきていたが、たまに猿も出てきていた。タヌキが民家の横を通る水路を出たり入ったりしながら愛嬌のある顔を出していたこともあった。ところが近年はいないらしい、どこに行ったのだろうか?それに代わってこの頃農家の作物を荒らすのは鹿である。夜陰に乗じて野菜、木々の若芽を食べているらしい。鹿用の背の高い防御の電気柵を張り巡らした畑が山のふもとにある。去年には、なんと 私の実家では両親が家屋に入り込んで棲んでいた帰化したと思われる アライグマ を捕まえたのである。何が起こっているのだろうか?田畑だけでなく、山の中も変化しているのであろうか?

整備された圃場は米つくりの仕事を効率化した。数反の田も1日もあれば十分田植えも済む、稲刈りも1日である。水路は整備され、川からモーターで組み上げられた水が勢いよく田植えシーズンにはよどみなくたっぷり流れている。人口の水路と区画整備された整然とした水田、そこに田植え機が入りエンジン音を響かせながら田植えは進む。除草剤、除虫剤を適宜散布して、水を調整していればほとんど計画通りの収穫が得られる。しかし稲作による収益は赤字か、せいぜいトントンではないのだろうか。投資にすごくお金がかかるのである。

1955年頃からの日本における高度経済成長の波は、農家にテレビ、洗濯機、冷蔵庫、掃除機等々電化製品を次々と運び込み、同時に耕運機、コンバイン、軽トラック、田植え機等々エンジンつきのものを運んだ。子どもたちは、都会に行き、成長の波の中で夢を見つけようと思い、成績の良い高校生は偏差値の高い大学を志向した。自己を掘り下げなくとも夢が外側にあるように思った。教師も大学を目指すことを奨励したものが多かったように思う。親も跡を継いでほしい(代々守ってきた家屋、山林、田畑を守ってほしい)けれど、子が将来を帰郷し同居することを期待しつつムラをでて、町に行くことを認めた。多くの人々は疑わなかったし、深くは考えず、流れを信じていた。やがて、経済的に無理をしてでも子供たちに大学までいかせる家庭が増えていった。若者はどんどんムラから離れて進学就職し、過疎化、高齢化が進んだ。

40戸ほどのムラにも小学生が20人ほどはいたように思うが40年後の今は2人(それも都会から移住してきた家族の子供)だけらしい。若者の多くはムラを離れた。ムラは激変した。これから、どうなるのだろうか?

ガッツの幸せ日記?

■動物園デビュー

GWのある休日、私は次男(小2)と長女(2歳)をつれて動物園へ

この日は娘の動物園デビュー

最近の父ちゃんは休みは野球・野球で兄ちゃんびいきだったので
素直に反省、そして、即行動!
ということで、朝10時我が家出発!
(母ちゃんは仕事、兄ちゃんはスポ少の体力測定で学校。)

私電の最寄り駅まで歩きながら・・・
小さな幸せを見つけた。

てくてく・・・
天気は快晴、風も穏やかで、草木のいい匂いが心地よい。

てくてくてく・・・
いつもは悪たれ坊主の次男が、しきりに妹に話しかける
「あかりちゃん、かぁかぁ・・しようか?」
「あかりちゃん、しーしーだいじょうぶ?」
「あかりちゃん、チュンチュンいるよ・・・」
「あかりちゃん、おはながでてるよ・・・?」
と、二人の隠語で一生懸命問いかけている。

妹も
「もーちゃん(次男)、おっっおぁ、**@&#\・・・」
「もーちゃん、チーパプ35729・・・」
「もーちゃん、トーチババ35729・・・」
と一生懸命、アイメーセージと隠語で応えている。

てくてくてく・・・・
次男は最高の笑顔で妹を承認し、おまけに頭や顔をなでなでしている。
父ちゃん、まいった!

てくてくてく・・・・
歩きながら次男に
父「父ちゃん、とも(次男)にまいったわぁ・お前は、すごいな!」
とも「へぇぇぇ・・???」

とも「父ちゃん、たい焼き買って?」
父「ええよぉ、(こいつ、うまいな)」
と思いながらも、たい焼きを5つも買ってしまった。

てくてく・・・どっこいしょ・・・
道端の大きな木の下で
親子3人仲良くたい焼きを食べた。

しかし
しあわせ気分はこの30分だけ・・・

動物園につくやいやな歩き疲れた長女は、
眠たいのと、お母ちゃんがいないのと、
実物の動物よりアンパンマンやトーマスがいいということで、
だっこ・抱っこと泣きわめき、
しまいに娘を肩に抱えて強制送還・・・

とても疲れた動物園デビューでした。

セルフコーチング

教育コーチのGです。

 今日、どうしてもコーチングを受けたいテーマがありました。

 「あのコーチに頼もうか、このコーチに連絡しようか、でも電話コーチングではもう一つだな。ええい、京都まで車で一っ走りして、コーチングを受けてくるか。」などと考えたのですが、すぐ近くに信頼できるコーチがいることに気がつきました。

 そう、日本青少年育成協会の認定上級教育コーチである自分自身です。

 さっそく、自分自身にコーチングを受けることにしました。

 自「コーチングを受けたいテーマがあって・・・、少し迷いがあるんです。」

 コ「そうか、君はどうしたいんだ?」

 自「未来の自分から言葉がもらいたいです。」

 コ「そうか、何年後の自分から言葉をもらいたい?」

 自「5年後、いや、3年後の自分からです。」

 コ「そうか、それじゃ目の前に3年後の自分をありありと思い描いて、その3年後の自分をしっかりと感じてみようか。」

 自「はい・・・・・、目の前でニコニコしています。」

 コ「そうか、それじゃそこまで歩いていって、3年後の自分自身とアソシエイトしてみよう。」

 自「はい。(3歩前に歩いて)」

 コ「・・・・3年後の自分はなんて言っている?」

 自「優しく微笑みながら、『自分自身を許しているか』と問いかけてくれています。」

 コ「そうか」

 自「自分を許していない自分がいます。そんな自分を許します。」

 コ「・・・・」

 自「OKです。」

 コ「そうか、まだ何かある?」

 自「はい、今感じているものを身体の外に取り出したいです。」

 コ「そうか、それじゃその感じているものをさらに深く深く感じてみて。」

 自「はい・・・・・、深く感じています。」

 コ「それは身体のどこにある?」

 自「肩から胸にかけての広い範囲に大きく存在しています。」

 コ「身体の外に取り出してみようか。」

 自「はい・・・・・、取り出しました。」

 コ「どんな感じがする?」

 自「とても大きくて柔らかいです。」

 コ「どうしたい?」

 自「ほとんどをちぎって捨てて、一部分だけを身体に戻したいです。」

 コ「そうか、やりたいようにやってみて。」

 自「はい。(大きくちぎって、その大部分を投げ捨てて、ほんの小さな一部分を体に戻す)」

 コ「いま、何がある?」

 自「とても落ち着いています。」

 コ「そうか、まだ何かある?」

 自「OKです。ありがとうございました。」

 こんなセルフコーチングで、時間にして5分強でした。

 改めて、認定教育コーチのコーチングに感動するとともに、教育コーチングの威力の絶大さに驚きました。

 自慢? いえいえ、本当のことなんです。

大きな変化はゆっくり進む(その3)  神社の周りには鬱蒼とした森があった

神社の境内からは子供たちのソフトボールをする歓声が聞こえていた。鳥居を超えればホームランであり、そこを一部の運動能力の高い少年達はバットでうち超えた。境内北側には石垣がありその奥は神社を外界から遮るかのように森があった。さらに西側には幅12,3メートルほどの川が流れていて、それほど高低差はないが堰があり、水音が神社の境内まで聞こえてきていた。

境内の南東から東の位置に川は流れていて、その岸には竹林が広がっている。また西側には一段高いところがあり、そこには祠と小さな鳥居、樹齢が百年以上の樹、むくろがあって中にも何かが祭ってあるような大木やら、銀杏の木、大人の背丈の数倍もある巨岩等々があった。神社はたくさんの自然に取り囲まれていたのだ。

鳥居から神社に入れば、そこは日常とは異なる空間であったのである。それが40年後のいまではすっかり取り払われ、境内の樹木こそ残っているが、森はゲートボール用のグラウンドになり、竹林は切り倒され、川は圃場整備に伴って流れを変えられ、その水音は境内には聞こえてこない。開けた空間になり、何かがそこに住まわっているような物語は生まれなくなった。

神社の変化も大きいが、それは衛生的で明るくなったともいえる。それよりも大きな変化は、そしてこっちのほうが重大ではないかと感じるのは虫たちがその種類も、量も劇的に減っていることである。

5月の連休に丹波の里に帰った時、とくに気がついたのはそのことであった。まるでレイチェルカーソンの「沈黙の春」ではないか、そう感じてしまった。虫取り網とかごをもって菜種畑に行ってみればモンシロチョウやらモンキチョウやらが複数匹がまとわりながら飛んでいたり、花を見れば蜂やらあるいは小さないくつかの種類の甲虫たちが身を潜めていたように思う。時には小さなカミキリムシもいた。が今は視界に入るのはやっと2匹くらいの頼りないモンシロチョウだけであり、花に虫はいない。

虫がいないのは、嫌いな人にはいいかもしれないが、でも虫がいないと多くの果実は実らない。