小さなコーチングの積み重ねが・・8

○教育コーチングでトランスフォーム中の「そら@内藤」です。

○さて、A君の続きです。
 今日、A君の学級の授業へ行きました。

 まず、全員に聞いてみました。
 私 「今日、家庭学習出してない人はいますか?」
 生徒「はい」(なんと8名ほどが元気よく手を挙げます)
 私 (エッ?! いつも提出率のいい学級なのに・・)
   
 そして、その中にA君もいます。
 なんだよ、やっぱり3日坊主かよ・・という
 判断が一瞬浮かんできます。
 あわせて、このクラスたるんでるのか?という
 決めつけも湧いてきます。
 しかし、そうした判断は脇に置いておいて。

 私 「へえ、出せなかったんだ。どうしたの?」
 生徒「昨日、プリントが配られなませんでした」
 私 「ああ、プリントが配られなかったんだ」
   「じゃあ、出した人はどうしたの?」
 B 「僕は、コピーしてやってきた」
 C 「わたしは、余っていたのを使いました」
 私 「おお、コピーしたり、余ったのをさがしたんだ」

 もしかしたら、やってこなかったことを
 責めることになりかねなかった場面でしたが、
 結局、君たちはすごいなあと言う話しになっていました。
 
 午後の学活で、係がちゃんとプリントを配っていました。
 係だってちゃんと責任を感じていることが伝わってきました。

 

極々私的話ですが・・・

「教育コーチング」修行中の超介です。

 父は地産の農作物販売(道の駅での)の会計をボランティア(手当てなし)でやっている。70歳の頃から学び始めたパソコン(エクセル)を使っているようだ。自分の年齢ではパソコンが使える人が少ない、などといっている(81歳だ!そりゃそうだろう、身内自慢)。

 父は農家の長男で、家屋、田畑、山林を守りぬくことをあたりまえのこととして、山林組合、地元の鉄工所、叔父(父の弟)の会社(大阪)、農地整理組合の仕事、地域の諸々の団体の役員等をこなしつつ、長男としての役割を果たしてきた。

 離れて暮らす長男の息子(私)に「いつ帰ってくる」(丹波に住むの意味)と無言で問いかけてくる。そのことをめぐって言い争ったこともある。いまできるだけのことをする。それでよし、といって自分を許すことにしている。でも、とても切ない気持ちになることもある。

 できないことについてもがくことが多い。よく見わたせば、そこら中に未解決の問題がある。自身の周囲だけでなく、日本中がいや世界中に未解決の問題があふれている。

 自分が変われば世界が変わって見える、これは原理である。

 この原理を信じ、めがねの曇りをゆっくり丁寧に磨く作業をおこなう。5年ほど前からたくさんの本を読みはじめた。特にこの2年ほどはその読書からめがねのくもりをとる方法に出会うことが多くなったように思う。

 ロジカルシンキングを中心とした問題解決法の学び、コーチングからはいったコミュニケションの学び、脳科学、心理学の世界を取り入れた先哲の啓蒙書からの学び等だ。

 壁には結構ぶつかる。以前は、ぶつかることが非常に恐怖であったけれど、今は少しめがねの曇りがとれてきたので「ああ、ぶつかる」てな感じで、すこしラクである。うまくいくこともある、いかないこともある。

 誰かが書いていた、人生はテストであると。実力が発揮できることもある、できないこともある。そう考えて(少し客観的になって)そして真剣に再度テストに取り組んでいこう。

小さなコーチングの積み重ねが・・7

○教育コーチングを楽しんでいる「そら@内藤」です。

○さて、先日から紹介している
 家庭学習を提出できないA君のその後です。

 連休前の金曜日のことでした。
 朝、「おはよう」を言いに教室へ行くと
 私の顔を見たA君が、すぐに言いました。
 A君 「先生、ぼくやったんだけど、家に置いて来ちゃった」
 私  「やったのに、置いて来ちゃったんだ」
 A君 「そう、昨日はテレビを見ないで、すぐにやったんだ。
     そして、机の上に置いておいたんだ。
     朝、そのことを忘れて、そのまま置いて来ちゃった。」
 私  「そうか、ちゃんとやったのになあ」
 A君 「うん」
 私  「で、どんな気分?」
 A君 「うん、なんか進歩したって気分」
 私  「そうか、進歩したんだ」(笑)

○そして、連休明けの今日のことです。
 A君とは、朝会えませんでした。
 また、A君のクラスの授業がなかったので
 今日一日、A君とは顔を会わせませんでした。

 私は、いつものように職員室で、提出された家庭学習をチェックしました。
 なんとA君は家庭学習を4日分提出してありました。
 連休は6日間でしたので2日分は不足でした。
 しかし、随分提出したことのなかったA君が4日分も提出してありました。
 それも、とても丁寧にきちんとやってありました。
 さすが、A君です。
 自分の意志で、自分の行動を決めている感じです。
 嬉しい日でした。

5月の薫風をうけて

「教育コーチング」で変わろうとしている超介です。

故郷丹波に戻り田植えをしてきました。田植機で苗を四条ずつ植えつけていきます。手植えの記憶もおぼろげに残っていますが、大変な重労働でした。機械だと1日で2箇所計0.5ヘクタールばかりの水田の作業が終わります。苗も農協から事前に購入しハウスで育てています。

竹藪には、筍もまだ生えていて、毎朝、両親が採りにいきます。にょきっと曲がっているその内側の地面にクワを入れてグイッと土をおこせば、地下茎と筍の根っこが切れます。一袋1・2本、100円・300円程度の値を付け道の駅に出荷します。安さと新鮮さでなかなかの人気、棚に並ぶのを待っている人もいます。

小川沿いに咲いていた菜の花、その花はもう先っちょに少し残っている程度で、根元には細長い種子の入ったさやが並んでいます。カラスノエンドウの紫色の花が咲き乱れていて、5月の薫風に蓬の葉っぱ、桜の青葉も銀色がかった裏面をみせます。

その風の芯の中には、ほんの少し次の季節の予感があります。歩きながら思わず両手を広げて5月の薫風を受け止めます。そうだこれからはもっと外に出よう、外に目を向けようと、思いました。一人で歩くときも自己との対話ばかりに終始せず、もっと外の世界とつながっていようと。そのような意識になる季節です。

コーチングの自己課題、「一緒にいる」に加えてさらにもっと「信頼」を深めていくために「興味と関心」をその場にもつことにします。『「話す」時の意識のベクトルを自分にでなく相手に向けること。この感覚を掴みましょう』、そう指摘してもらいました。

そんなこともあって、5月の薫風のなか、外への意識とつながりを大切にしようと考えたのです。コーチングや、ファシリテーションにおいても場を構成する人たちの息吹をフルに感じることができるように、もっと自由に場に合わせてうごけるようにします。

おしょうさんの娘育ち日記(5月その1)

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1年前、写真にあるカラーの飛び石を、娘は抱っこされながら、渡っていました。
半年前、手をつなぎながら、渡っていました。
そして、先日。
自分でジャンプしながら、渡ることができるようになりました。
まさに、自立。成長。を目に見える形で、目の前で体感しています。
教育コーチングの講座の中にも、また、わたしが保護者や塾生と話をする中にも、目に見える形を意識して、クライアントに向かい合っています。
娘からは、わたしがコーチをしてもらっている気がします。