合格発表

京都では、1月17日を中心に中学校の入試が行われました。その、合格結果が届いています。

ある、女の子は「○○中学に入って、理数系の
勉強をして、将来、遺伝子の研究をする」といって、合格を手に入れました。

また、ある男の子は、結果不合格でしたが、
「この受験で出した力を続けられれば、きっと
翻訳家になれるよね」といって、新しい目標を
定めたようです。

「なりたい自分に向かって、今何をするか?」
受験という12歳にとっては過酷な山を登りきった後に
彼ら全員が手に入れた大きな力だと思います。

裸の王様

超介です。

 雑談をしているときに、その相手から少しショックな指摘を受けた。

 「話しかけにくいときがあります」そういわれて、自分にその自覚がないときのほうが多いようにおもったので、もう少し聞いてみると、「私には関係ない!」というような表現(キレているようにみえる)をとっているらしい。裸の王様の心境。

もう20年以上前のこと。ある人に「相手(生徒)理解」という言葉を教えてもらった。簡単な言葉だが、その意味を実感理解できた。

勉強ができなかったり、素行が悪かったりする中学生をお預かりして悪戦苦闘しているとき、悩みをきいてもらっていた業界の先輩からである。生徒指導の大ベテランだった。

「相手のことを一つ理解して、それまで、と終えるとダメだよ、どんどん人は変わるし、見えない部分もあるので、踏み込んで、踏み込んでわかろうとしていくんだよ。相手の一つの言動だけで相手を、決めつけてはいけない、どのような意味を含んだ言動であるのか常に理解しようと心がけなさい。」

そのような意味だった。相手への理解が深まるにつれて、関係がしっかりしてくること、そのような効果があることが意識できるようになった。理解が深まるにつれて信頼関係が強化される。

それは相手が子どもでも大人でもおなじこと。

そうであるのに「話かけにくいときがあります」といわれる人では、信頼の関係は強化されないし、エネルギーも生まれない。

なにか元気が出ないな、自身のエネルギーが低調であるな・・・・と感じていたら、その原因は自分自身・・・・? うう・・・。

 「教育コーチング」は、人が相手のやる気と能力を引き出し、自立を支援する教育メソッドです。
 
 「改めて学ぶ必要なんか無い。私は『相手のやる気と能力を引き出す』ことをやっているし、『自立を支援』している」・・・そんな思いに至られる方もいらっしゃるかもしれません。
 しかしその実、「相手にやらせる」行為であるケースが少なくありません。

 “education”の語源は“educe”(潜在しているものを引き出す)です。これを「教育」と訳し、多くの指導者や保護者が「教える」ことこそが自分の責任だと理解しています。
 その責任を果たそうとして“teach” (教える、教授する)に偏重し、さらには“ram”(押し付ける、詰め込む)や“control”(支配する、統制する、操縦する、制御する)、“manipulate”(巧みに扱う、操る、小細工を弄する)、さらには “force”(強制する、しいて…させる、力ずくで壊す、強奪する)を行いがちです。
 
 今一度動詞を並べます。
 教える、教授する、押し付ける、詰め込む、支配する、統制する、操縦する、制御する、巧みに扱う、操る、小細工を弄する、強制する、しいて…させる、力ずくで壊す、強奪する—さてこれで、教育を受ける子どもは、青少年は、欲しい成果を手にできるでしょうか。例えば志望校合格、短期決戦勝利などは可能でしょう。しかし、教育が本来目指すべき「自立」からどんどんかけ離れていくと言っても過言ではありません。

 “educe”(潜在しているものを引き出す)の技術は“teach”(教える、教授する)に比して抽象的です。それだけに個々の“educe”のノウハウは可視化・共有化されず、暗黙知になっています。「子どもたちの学習意欲に火をつけたい」「青少年の生きる力を育みたい」と願いながら、その方法論を十分に持ちえていない指導者の方、保護者方が数多いのではないでしょうか。
 これから学んでいただく「教育コーチング」は、まさにこの“educe”を具体化したものです。青少年の指導に、社会人教育に関わられているすべての方々のOS(基本ソフトウェア)として活きるものと確信します。

・・・今、ECTP各講座テキストの改訂作業を行っています。
 その冒頭に置こうと考えている文章です。

 書いてみて思います。
 まだまだ僕は“ram”や“control”や“manipulate”をやっている。 “force”さえやっているかも・・・。
 そして僕の回りにも、まだまだそれらのコミュニケーションがあります。

 僕は、Coachであることを追求します。
 
 皆さんも、どうぞCoachであってください。
 子どもたちの未来の為に、この国の未来の為に、教育コーチングを身につけてください。実践してください。
 一緒にやりましょう!

 私の切なる願いです。

パーソナルミッション

魂をゆさぶる本物の教育メソッドを確立し

生きる・学ぶ・考える力を身につけた

感性豊かな人づくりに

深い愛情と情熱をかけ続けること

これが辛子のパーソナルミッションです。

ここ数日の出来事は
自分がパーソナルミッションを持って
生きていることへの感謝を
思い出させてくれました。

そして心に深く改めて
パーソナルミッションを
刻みました。

たび@小山です。

先日、ムスコ創6歳と二人、一泊で実家に帰りました。
私はそこで熱を出してダウン・・・。

小3の従兄、中1の従姉、おばあちゃんが全面的にムスコの面倒見てくれました。

ムスコにとって実家は帝国。この日は皇帝度も最高潮に達し、わがまま炸裂。私も二度ほどコーチングを試みるも玉砕。叱るとスネてフテ寝。

フトコロの深・い従兄姉たちも、やさしいおばあちゃんもつきあいきれず何度かキレた。帰る頃にはぐったり・・・。
おばあちゃん曰く「どんな子に育つんか、末恐ろしいわ・・・」

帰りの車の中での会話。

ム:とうたん、居眠り運転したらあかんから、しりとりしよう。
私:うん、しりとりもええねんけどさ、とうたんさ、創の二日間の様子を今思い出しててん。その話しよっか。
ム:うん、いいよ。
私:創はこの二日間どんな子だったと思う?
ム:ん・・・ふつう。
私:(内心、はあ?)そうか、ふつうか・・・。楽しく遊べた?
ム:うん、まあまあ。
私:(内心、はあ?)どうしたら「めっちゃ楽しかったあ!」って言えたの?
ム:・・・もっとカイちゃん(従兄)たちの言うこときいたらよかった。
私:言うこときけへんかったんかぁ。なんでやろ?
ム:分からん。
私:「言うこときけてないなぁ」っていつごろ気付いたの?
ム:今日の朝ぐらい。
私:気付いて、どうした?
ム:ちゃんと言うこときこうって思ったんやけど・・・どうしてもきけえへんかった。
私:(何か苦悩みたいなものが伝わってきた)そうか、どうしてもきけえへんかったんや。何が邪魔したん?
ム:分からん・・・たぶん・・・わがままな気持ち。
私:(ありゃ、素直に言うじゃん)そうか、わがままな気持ちか・・・。幼稚園でもそういうことあるの?
ム:無い。
私:家ではどう?
ム:ある。ママがなんか言うたらすぐ言い返してしまうねん。そしたらママも言い返すし、僕もまた言い返すから、すぐケンカになるねん。
私:どんな気持ちなん?
ム:あかんとは思うんやけど、なんか負けるのくやしいねん。ムカつくし。
私:ママはどんな気持ちなんやろ。
ム:さあ?す・ぐ怒るし。めっちゃ腹立ってるんちゃう?知らんけどさ、ふっ(鼻鳴らす)。
私:(内心、おっさんみたいな言い方やなぁ・・・)そうか。・・・でさぁ、創はどうしたい?
ム:・・・・・・・・。
私:・・・・・・・・。(ワクワク)
ム:・・・あのな、何か言う前にな、「こんなこと言うたら相手がどんな気持ちになるやろ」って考える。・・・すぐに言い返したりするんやなくて、言葉を言う前にちょっと考えてみて、「いやな気持ちにならはるかなぁ」っていう気がしたら言うのやめたり、やさしい言葉に言いかえたりしてみる。
私:(けっこう感動)そうか・・・すごいなぁ、そうしてみるか。
ム:うん。・・・たまにはぁ、できひんこともあるかもしれへんけど、やってみる。
私:とうたんが見ててさぁ、「あ!創は人の気持ちを考えられてへんなぁ」って感じた時はどうしたらいい?
ム:・・・だまって見てて。自分で考えてみるし。
私:じゃあそうする。創はホントはちゃ・んと相手の気持ちを考えられる子や。とうたん知ってんねん。
ム:ありがとう。
私:おじいちゃんはそういう人やったな。人の気持ちを大切にするやさしい人やった。とうたんは、おじいちゃんみたいな人になりたい。
ム:とうたん、やさしいやん。
私:ありがとう。でもやさしくできなくて、自分が悔しいこともあんねん。
ム:ふ・ん・・・。

あれから1週間・・・。彼はかなり平穏な家庭生活を送っている模様でした。
そして今朝。久しぶりに寝起きが悪い。
励ましてみるが強烈に抵抗され、私は放置プレー。
妻が機関銃を乱射するが「いやや!起こさんといて!いじめるな!鬼!夜まで寝る!幼稚園なんてぜ・ったい行かへん!あっち行け!」と大泣き、大暴れしてゴネる。やがて妻のバズーガ砲が炸裂!
・・・幼稚園への道すがら、

私:今朝は相手の気持ちを考えるの、どうやった?
ム:別に・・・。
私:そうか、別にか・・・。
ム:うん・・・ちょっと失敗。眠すぎてわがまま言うた。

一進一退しながら彼は彼なりの理想に向かって進んでいます。
私も親として、コーチとして、一進一退の毎日です。

トランポリン

あるくです。

あるお母さんのパーソナルコーチングをしています。

先日のセッションで。

「(お子さんの受験を間近に控えて)
この一週間、どんな感じでしたか?」と聞くと、

「前は硬い壁みたいだった自分が、
今はトランポリンみたいな感じなんです。」
とのこと。

「自分の希望しないことが起きたとき、
前は壁が跳ね返すか、いやなことが壁を突き破って
無理やり中に入ってくるって感じだったんです。

今は、明らかに違う。
一旦受け止めるしなやかさがあるって感じでしょうか・・・。トランポリンみたいな感じなんです」

受験を通して、
お子さんとともにすごい成長を遂げたお母さん。
すごくかっこいい。

応援してますよ・。

つながっています。

○そらです。

○3連休は、構成的グループエンカウンターに
 どっぷりと漬かってきました。
 
 全国から集まってきた仲間の人生や心と
 ふれあっていきました。 

 苦しいほどの思いを受け止めたり
 生きることの感動にふるえたり
 温かさをもらったり・・・

 私にとっての課題は
 ちょっと苦手な感じの人や
 抵抗を起こしてしまいそうな人の言動も
 そのまま感じて認めて赦して
 自然な自分でいることでした。
 90%の満足感があります。

 コーチとして求めるありかたと全く同じことです。
 
○さらに、嬉しかったのは、その場に
 教育コーチの仲間がいたことです。
 つながっていました。
 ありがとうございました。
 
 

点→線→面

明けましておめでとうございます。
いっすぅぃ・です。

今年の私の挑戦、題して『点から線へ、そして面へ』。

この土曜日にアンサンブルコンテストと言われるものが実施さ
れたのですが、私の指導する吹奏楽部部員の動きが
・・・。
考えさせられました。問題を突きつけられました。だか
ら余計に、このことに。

点は、場面場面での関わりや日々の指導。
点から線へは、それぞれを繋げること。これはコーチン
グでの関わりを行っていくことで発展してくる。
線から面へ、点から線へでの関わりが上手くいけば、
そのことを応用してくれる。

まさに『教育コーチング』そのものなんですよね。

点の指導や関わりは出来ても、線での関わりへの変
化、進化また深化。そして面への広がりを動機付ける
に当たって。

そこがポイントになるのでしょうが、難しい。
多人数が相手だからとか言い訳を上げればキリがな
い。
ギナギナと行きますわ。

「あなた以外にあなたを傷つけられる人は誰もいません」

超介です。

正月休みに、近所の書店で「偉大なる選択」(スティーブン・R・コビィー:「7つの習慣」の著者)という本を見つけ購入しました。リーダーズダイジェストに記載された数々のストーリーやら名言が選ばれて7つの主要なテーマ毎にまとめられています。

その中の話、インドのマハトマ・ガンジーがある女性に与えた言葉。

「あなた以外にあなたを傷つけられる人は誰もいま せん」

読書習慣があると、気づくことですが、そのとき抱えている問題への解決の糸口につながる言葉やら、文章によく出くわします。きっと(人は自分の中に答えを持っている、し人は育とうとする生き物 だから)無意識裡に本を選択しているのでしょう。この言葉が私の心の釣り針にかかってきたのも、その一つ、たぶん。

些細なことが引き金になり、マイナスの感情にまみれ、そして自動的に被害者意識を派生させてしまう。さらには、その被害者意識から、敵意、憎悪を周囲に対していだいてしまう。本当は他の反応も選択できるはずであるのに、そのように自動的に受身の反応をしてしまう。

マイナスの感情を持つことはあってもおかしくない、事情によってはもって当然、持たないとおかしいこともあると思います。問題はその次、それをどう捉えるか。流されていくのか、それとも踏みとどまり強い人としての反応を選択するのか、その精神の分水嶺に立とうとする時に勇気をつけてくれる言葉。

寛大というテーマの中に収められた文章にあるこの言葉をここ数日、反芻しています。