ぼーとする

超介です。

ぼーとしていた方が良い結果が得られる時があります。

意識を集中させすぎると上手くいかないことが幾つかあります。例えば車の運転、いつもぼーとせよ、というわけではありません。注意を周囲に払いつつですが、リラックスして運転することは大切で、とくに初めて訪れる地域、そこは目新しいので、周りの事物に気を取られて目的地を逃してしまうことがあります。目的地のことを頭において、周りを、全体を見つつ運転する、と目当ての光景が飛び込んでくる、もちろんそこからは集中。でも、考えすぎていると、行き過ぎてしまうことがありませんか。もちろん運転に慣れていないうちはダメです。

よくよく訓練されて身についている事柄は無意識裡に入っていて、自動化されているのでほっておきます。その次の課題を意識裡において取り組みます。私は、センスの良い人をみてると、その動作が自然体、それを感じます。そして、練習不十分で肩に力が入っている私。

覚えたことを即、そのまま応用して練習する時期があります。その時は意識して練習すれば良いのですが、次の段階はそれが自然と使えるようになること。この時は、ぼーとしていた方が良いように思えるのです。

練習はしていないのですが、そして、決していま何もしていないわけではないのですが、35年間勤務していた会社を退職して、自宅でせっせと引越しの荷造りをする毎日で感じたことは季節の移り変わりを感じるようになっていること。毎日のルーチンのウオーキングをこなすとき、温度変化がよくわかるようになりました。歩きながら、1日の、会社でのこなすべき仕事を考えたりすること少なくなり、プレッシャーから解放される度合いが減ったように思います。そして、プレッシャーのかかる状態(それがあると感じてしまう時)だと、意識がそこに向かってしまいがちで実力が発揮できません。ですが、今はそこに気を取られていないので、五感が以前より自然に働いているように感じるのです。

意識の集中と拡散、それと合わせて自分の身体的な能力の伸長、発揮をしていくことは大切で、達人への道はその使い方の習得ではないでしょうか。それが達人が多方面に通用する能力を持ちうる所以だろうと、そう思います。必要に応じて意識の集中と拡散のコントロールが出来る人になりたいと思います。

3 thoughts on “ぼーとする”

  1. 超介さん
    意識の集中と拡散のコントロール
    このような両面性が様々な場面で
    重要なポイントとなってくるですね。
    見習います8-)

  2. Gさん
    意識の集中と拡散の
    コントロールのためには
    自由が必要、
    それがやっとわかった段階、
    道遠しです。
    ありがとうございます。

  3. キヨシです。
    必要に応じて。
    また、それをコントロールする。
    そのために必要なことが
    たくさんありますね。

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