ふるさと丹波から(その3)

教育コーチの超介です。

「・・・・・さよならだけが人生だ!」
この・・・・にみなさんはどんなフレーズをいれますか?

丹波市から高速にのって(僕の車はあちこち傷はありますが、漆黒のトヨタのWISHプレートNOは1111です。)舞鶴道、中国道、播但道、山陽道、瀬戸大橋、高松道、松山道とおよそ380kmを駆け抜け四国松山市に戻りました。

その途上、瀬戸大橋線のサービスエリア(与島)の店内でこのPCを開いた時、中学校の同窓生からのメールが届いていたのに気がつきました。

もう数年で「アラ環世代」の彼・彼女らに、私の近況と「帰るよ」とメッセージをおくっていたのですが、その返事をいただいたのです。彼女もちょうど同じ頃、帰郷、ここ2年ほどで 今生の別れ となったご両親の墓前にお参りしたとのこと。

私は、墓前に向かい手をとじる彼女の姿が目に浮かび、そして50年ほど前のお父様のご様子を思い出し(私が小学校に上がる前の頃でした。ある特殊な仕事につかれていた、当時30代のそのお父様の仕事の様子を思い出したのです)一つ、二つの文を記述し、返信しました。直後に再返信があり「懐かしい父の姿、ありがとう」の感謝と、遠距離の移動の私へのねぎらいをもらいました。

そのときに冒頭の「・・・・さよならだけが人生だ!」というフレーズが、僕の心にたまらない切なさを伴って浮かんでたのです。

松山まで、ハンドルを握りつつその言葉を繰り返していました。

親と子はそれぞれの親と子(親とだけの人もありますが)といつかは必ず今生の別れを持ちます。
もうそれは宿命です。世界は 別れ であふれかえっています。親と子、夫婦、兄弟、恋人、友人、知人、見知らぬ人とも、愛していても、憎しみあっていても、知らぬ仲でも必ず別れます。

でも、同時に、別れがあるということは「出会い」も同じ数だけあるのです。「・・・・・さよならだけが人生だ」が切なく響くのは出会いから別れまでの、その間に意味があるからなのです。きっとそうだと思います。

2 thoughts on “ふるさと丹波から(その3)”

  1. そら@内藤です。
    できることは「今」しかないんですよね。
    じっと読みながらそう思いました。
    黒のWISH「1111」ですか。
    どこかで会ったらすぐ分かりそうです。(笑)

  2. キヨシです。
    「また会おうとさよならだけが人生だ!」
    意味はありませんが・・・。
    思い浮かんだままです。

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