学んで時に之を習う(?)

超介です。

霧芋という、丹波篠山特産の山芋があります。小学生の頃、我が家では食べていたようですが、半世紀たった最近その芋をいただき、初めて見た外形に感動しました。初めて意識して見たんだと思います。握りこぶし2つ分ほどの、おおよそ球形ですが、少し凸凹ののある、ザラザラしていますがなだらかな球面のあるお芋です。

その芋が土の中から出てきた時に、隕石を想像させる、と直感しました。畑にそれがたくさん植えてあって、地上の植物体はたくさん、何回も見ていたのに、土中にそんな形の物が埋まっていたとは想像出来ませんでした。それで、おがくずの入った袋の中に大切にしまわれていたそれを、しばらく眺めました。

「昔よく食べとったやろ?」と家族がいいましたが、思い出せません。とろろにして食べてみて初めて思い出しました。「ああ、これは美味しいと思っていなかった味だ」と。そして、当時と違う「美味い」と味わっている自分に気がつきました。「味覚が広がっている」ということだと思います。

感覚が深まる、という様な、脳の中の物事に対する基準が多様化していくことは人生を豊かにしてくれます。「学んで時に之を習う、亦楽しからずや」はこのことも含むのかもしれません。この「時」は今回の霧芋の味わいでは、半世紀も立った時間の流れになってしまいましたが、この「時」の中で変わってきた自分を感じることが楽しいのです。

One thought on “学んで時に之を習う(?)”

  1. キヨシです。
    霧芋ですか。
    聞いたことも食べたことも
    ないですが、知らないうちに
    口にしているかもしれないですね。

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