弱さの指摘が意味を持つとき

超介です。

何かができないことを指摘することは、しかも原因付き、理由付きでそうすることは、できる人からすれば容易ですが、それが相手にとって意味があるかどうかは別です。意味があって、良い方向に相手が向く場合もあるし、向かわない場合もあります。

原因や理由を見つけたことで有頂天になってしまい、そのことを得意げに伝える、などの失敗を何度も繰り返してきました。最低もう一段深く構えておくべきなのに。親御さんから親子関係のお話を伺う時にも、それを感じることが結構頻繁にあります。

もちろん、もう一段深い構えとは、相手の状態を踏まえているかどうか、です。それを伝えるとき、相手がそれを承認できるかどうかです。当然ですが、受け入れることができない状態では伝わりません。伝わらないし、関係やら、事態を悪化させることが起こり得ます。

教育コーチングで扱うのは、その相手の状態、関係に関わることです。そこを大切にします。じっくりと、ゆっくりと確かめながら進めるのです。

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目標を見失う

超介です。

毎日、繰り返して反復練習もして効果も出てきてたのに、途中で継続することに最初ほどは意欲的になれなくなるときがあります。

一時期は、少し焦って力を入れて練習や学習を継続するようにしていましたが、この頃はそれから離れられるようになりました。その事態を承認します。理屈ではなくて、心がどういう風になっているかを感じるのです。言葉にできる理由があるかもしれないし、ないかもしれません。その上で、再開するときもあれば、やめてしまうこともあり得ます。

何かをみうしなってしまうとき、焦って次の行動を繰り出すのではなく、一旦立ち止まって事実をじっくり味わい次を選択したいと思います。

コーチとして自分をコーチできるようになりつつあるのかなあ?

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宝石に変わる

超介です。

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始める時には、義務感やら目的感から「やらねばならぬ、やるしかない」と始めた行為が、一定の期間それが継続できると、時に急に効果が上がり始める。それで効果ありとして、目的を達成してなくても途中でやめるのも良い。

時には、他の事情で継続が困難な時もありうる。その時、振り返ればはじめは「やらねばならぬ、やるしかない」と始めた自分の気持ちが「やりたい」に変わっていることに気がつく。

それは炭素が高温高圧下でダイヤモンドに変わる様に、美しく変化し宝物になるのと似ている。

その時のことを「心の発火点」と命名し、運営している塾の理念にした。

一流と呼ばれている人たちはそのことがよくわかっていて、それをそれぞれの言葉で残している。エジソンは電球のフィラメントの素材を発見するのに数えきれぬ試行をしたが、それは失意の繰り返しではない、としている。

その変化は誰かにコントロールされることではない。自分で行動し気がついていくことである。自立がベースになっている。

2018年農業中間報告

超介です。

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会社人としての人生から第二の人生に入って4年が経過しました。今年は自宅の田圃の米作りをきちんとやろうと決めました。田作り、田植えを終え70アールほどの田圃には今青々と稲が育っています。

特別な思い入れや目的があったわけではありません。家族がやってきた農業、田んぼも畑もあるし、農機具も揃っている。父が一昨年他界し、母も農業をやるには高齢すぎて無理になりました。他の人に依頼してやっていただく選択も、田圃をほっておく選択もありました。選択したのは今年はお米作りに専念することでした。農業をすることに興味があったからです。それに、食料の供給は大切な仕事です。

田植えと稲刈りは一人では負担が大きすぎるので手伝ってもらう人を頼みますが、他は自分でやろうと。

そこに道があるので歩いてみよう。風景が違って見えるかもしれないと。その程度の思いで始めたのですが、作業の種類と時期、内容、方法、そしてそれぞれの作業に必要な農機具(トラクター、田植え機、草刈機、肥料頒布機、溝切り機、運搬機、コンバイン等)の使い方とメンテナンス等体験できる内容豊富です。大変苦労するし、疲れるしでも充実感ありです。

目的を決めて邁進するのもいいですが、そこに道があるので歩いてみよう、から始める生き方もいいと思います。

思い込みのあやうさ(その3)

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自分には数学ができない、と思い込んでいる人がいたとします。塾を運営しているとよく出会います。

その思い込みはなかなかはずしがたいです。チャンスは自分にできることを取り扱うことから生まれます。その目的は自信をつけてもらうことです。できない重力圏から、自由な宇宙空間へ飛び出す時に必要な最低限のエネルギーを蓄えてもらうことです。

そのために私がコーチとしてやっていることは、環境の整備と提案です。やってはいけなくて、かつできることは、やはり、このひとはできないんだ、という思い込みです。これを脇においておくことです。さらに、提案をしてそれを受け入れてくれなかった場合に、それを私が承認できること、そのような提案しかしないことです。

この間の事情は結構複雑です。かつ心の中で行ったり来たりがあります。こうしようか、ああしようか、とかその提案がどこからきているのか考えたり、迷ったり。

極端な場合、表向きは提案を装っていても、実はじぶんの思い込みを確認するために提案して、やっぱりできないね、という確認を得るための行動ではないか、とか。

スマートではありません。結構ドロドロやってます。

 

思い込みのあやうさ (その2)

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そうであろう、と無意識に思い込んでしまっていて、でも現実は違っていてショックを受けてしまう、そんなことが時に起こります。自然災害などもそうです。

無意識な思い込みは、変化が想定できない状況になっているのですが、それは変化を想定することにエネルギーが必要だからであることと、起こる事がすごく稀なことをいちいち想定していたら生きにくくなるからです。

私の場合の最近の例です。母親の老化にハッと気がついた瞬間がありました。医療機関でその事実を確認した時にはショックでした。そういえば、と思い至る状況がありましたが、その時々は何事もない母の後ろに隠れてしまい、というか私が隠してしまい事実を突きつけられるまで認識できていませんでした。

人を外観でパッと判断することは、おそらく人類が長期間、本当に長期間敵や環境と直接に戦って生き残って適応して磨いてきた能力でしょうから、それは自由に操られる必要があります。

そのような気づきがうまくいくためには、興味と関心がその対象に注がれている事が必要条件です。無関心な対象には気づきは起こりえません。

思い込みのあやうさ

超介です。

あの人はあのような人であると、肯定的にしろ、否定的にしろ思い込んでしまうことは人間観として正しくはありません。

正しくはないのですが、そのような思い込みで人を見てしまう弱さを私たちは持ちやすいようです。そう思った方が理解しやすく、何かの説明をしたり、時には自分の行動を正当化しやすいからです。

特に自分の近くにいる人ほどそのような目で見てしまい、時には関係をうまく作れないことがあります。ありのままの事実を承認することのなんと難しいことか。そのようにできない自分の中に潜んでいるものは何か?

事実を承認して、そして何ができるかを考えて行動できる人でありたいと思います。

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良い質問(理由を説明する)から日本語が鍛えられる

超介です。

    メタ認知も言葉で行いますから的確な日本語を有していないとそれは始まりません。比較的簡単な、ゲームのような思考はそれほど多くの日本語は必要ありませんが、少し込み入ったり抽象的な思考をするにはそれ相応の日本語を駆使しないとできません。私は、日本語で書かれた英語の文法書などでさえ、未だにすぐに理解できず(笑)、哲学書などはチンプンカンプン、論理を追うことができません。私は、本を日本人の平均と比べても多く読んできた方だと思うのですが、言葉は少し知っていても思考は深くない(恥!)とよく感じます。

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  かつて、仕事上の必要性から、論理的思考等の本を読んだり、フェルミ推定の問題を解いたり練習してきましたが、実生活において思考の積み重ねをした経験が少ないので、身についているとは言い難いと感じます。日本語が使える、ということは日常会話ができるというだけではなく、実生活や仕事上の課題を見つけて、理解して、さらに答えを見つけるということができるか、です。なぜならば、それらは全部日本語を使って考えているからです。どうすれば良いだろうか、という問いと、その答えも日本語でおこなっているからです。その思考はAIには絶対にできません。

    それは日常生活で感じる疑問を大切にし、その答えを自分の頭で考えることから深まっていきます。世界について興味を向け始める子供の時代から、その思考が、つまり日本語が、習慣付くと効果的です。そのような疑問が普通に起こる環境は自然にこそ多くあると思います。自然で遊ぶことから子供はそれを学ぶことができます。それはその人の成長の鍵になると思います。

必要な努力を理解する(メタ認知と日本語)

超介です

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クラシックギターを練習する時、ひとつの曲が弾けるようになるまでに、現在の私の実力の場合は、1、2分程度の簡単な練習曲ですが、いくつかの段階を経ます。まずその曲がどのようかを譜面や、時には音源が有る場合は、それを何回か試聴して理解します。そのつぎに右手と左手の運指を一小節づつ譜面を見つつ確認します。それできれば、最初はゆっくり弾いて、それを繰り返します。譜面を見つつ一通り弾ければ、その後は繰り返しです。いまの私のレベルで、次の曲に進むためには、およそ300回は最低でも繰り返さないと到達出来ません。ということが分かりました。そして現在、課題として練習する曲の場合は、1日最高5回まで弾くことにしていまから、最低でも2ヶ月は練習することにしています。

もちろん、生まれ持っての「才能」とそこまでの学習体験による差はあるでしょうが、ある分野での学習をしていく時に、どの程度の努力とトレーニングを伴う作業が必要かを理解することはとても大切です。それがないと、そもそも継続ができません。このために必要な能力がメタ認知、つまり客観視です。人の学びをサポートする仕事をしていて、このメタ認知、客観視する必要性を感じ、また学ぶ人にそれどう理解してもらうかに注力しています。

このメタ認知、客観視する力を支えるのが私の仕事においては、言語力だと感じています。言葉で伝えようとする時に、その言葉の意味を相手が理解できていない、あるいは実感できていないと、伝わらないように思えるのです。会話レベルの日本語だけではなく、思考を支える日本語を駆使できないと伝わっていかないように感じます。

徹底してやる

超介です。

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社会が苦手な中学生が、春季講座で学校の課題をこなしていました。1回めは教材に書き込んでやって、2回めは教材に、出来た、できなかったがわかるように解答欄に色分けしたシールを貼って答えを隠してやり、さらにその後今度はその教材の各ページをスマホで写真に撮りそれを見て解き直していました。何回やったの?と聞くと、だいぶやりました、と答えました。すごいね、徹底してやってるね、じゃあこれをやって見る、と別の教材を渡しました。

あまり得意でない、苦手なことを徹底してやることはなかなか難しいことです。それをこなすために絶対必要なのは能動性です。この能動性を得るためにはこうすればできるようになるという合理的な考え方を持つことです。私は継続力が持つ可能性を信じています。それを教えてもらったのは職場の上司です。そしてそれを、何冊もの啓蒙書等本を読んで確認しました。
効果が出ない時期にも、適切な努力を継続している限りいつか効果が出てきます。階段状に変わっていく成長曲線があることを知っていれば、それも努力を継続させる動機になり得ます。効果は目に見える効果です。

でも目に見えなくともその人が継続して努力を続けている限り、何かの良い変化を感じているはずです。内面的な変化は学習者が自ら探して確認することができるのです。この作業を良いコーチは学習者と同じ視点に立って手助けし、承認します。それは学習者にエネルギーを与えます。