『流暢性の罠』

 超介です。

 新しいことを学ぶことについて、他人を見ていれば『それはだめだろう』と、よくわかることがあります。例えば私の主宰する塾でも、学習の方法に関してそれを見受けることがあります。

 課題を「ノートつくりが目的」かのようにやっている生徒もいます。そのように生徒に誤解されやすい「宿題」を学校から出される場合もあるようです。理解できて、定着していると思いこんで、実は作業しているだけとか。それを指摘すると、それに気が付き超えていける人もいますが、気が付きにくい人もいます。私自身も仕事において「ノートつくり」をしていて進んでいない、とハッとすることがあります。適切な方法とタイミングで自身に対して理解度、定着度をチェック(テスト)できるかどうか、覚醒している必要があります。

 自分が何をしているかに意識が向いていて、それが合目的かどうか判断をしつつ行動を継続することは意外と難しく、『フリ』だけしている、そのような事態が起こりがちです。

 最近読んだ書籍「脳が認める勉強法」(べネディクト・キャリー ダイヤモンド社)の中では『流暢性の罠』という言葉で紹介されています。

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