「今ここ」その2

 超介です。

 「今ここ」にある自分の気持ち、状況をしっかりと認識できたときに受身ではなくて、次の積極的な行動が取れる、ということが分かりました。それは(おそらく)どんなにつらいときでも、そのような能力、資質を人間は持っている、ということが分かったということです。

 学びのタイミングは最悪の状況のときほど良いのかもしれません。だから死ぬなと、子供たちに伝えたいと思うのです。いじめ、体罰等のニュースを見聞きしたときにとそう思うのです。

 レジリエンスという、逆境に耐え抜いていく力の源泉は何処にあるのでしょうか。世の中にはそれを強くもてている場合(人、状況)とそうではない場合があるようです。私自身の体験でいえば、小さな逆境(順境ではないけれど、少し弱い逆境)を潜り抜けていくうちに、その人の中にレジリエンスの種がまかれ育っていくように思えます。

 その種(タネ)の一つは「我慢」の体験かもしれません。たとえば小学校入学するまでコーラーは飲ま(せ)ない、誕生日とクリスマスだけにケーキを食べる、とか。生命にかかわりのないものを一定期間我慢す(させ)る様な体験。或いは自然の中で生活する体験―電気も水道もないところで冒険をして過ごす体験とか。受験もひとつのきっかけになりえます。

 また、レジリエンスは自分を客観視できる力とも関係があると思います。逆境(と多くの人が思う状況)を見抜き、時間・場所・対象等々の環境変化を待ったり働きかけたりできる力、見通し、目標、ビジョンを描く力らとともにあるのです。

 生涯をかけてそのような生きていく力(戦っていける力)を磨き続けていこうと思います。

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