蛍から思い出すこと

超介です。

6月4日の深夜、散歩をしていて蛍を見つけました。川沿いの土手を歩いていると、向こうのほうにスーと1,2匹飛んでいて、みていると、スーのあとに光が消えて、また間隔をあけてスーと光りました。こんなに早く、蛍を見るのは初めてなので、近くまでよってみました。小川の草むらに20匹以上の光が点滅しています。

小学生の頃、家族で蛍狩りに行きました。菜種の種をとったあとの枝を集めて箒状のものを作り竹さおの先に取り付け、それで蛍を絡めとります。水を散らした蓬の葉をいれたかごに蛍を入れておきます。
ほんの2,3日の命でした。1日だったかもしれません。

6月に入り、カリンの樹に青い実がなり、琵琶の実が色づいています。実は、今雨量が少なく、松山ではこのままだと、12日から夜間断水(深夜23時から翌日6時まで)が始まります。もう少しで入梅、年中で最も生き物達が活発な動きをする時期になるのですが。

そのような今の蛍であるので、余計に心を引きました。明滅する明かりを見ていると、ふるさとを思い出します。虫たちや、小魚、鳥、植物、石ころ等の自然と遊んでいた時期を。友達が少なく、口数の少ない子どもでした。親はそのことを気にかけ、様々な機会をつくってくれました。人前に出る機会、人と触れ合う機会を作ってくれたのです。小学校の先生も考えてくれていました。そのときの人達の気持ちをありがたくおもい出します。

小学生の私は枯れ梅雨の中を飛ぶ蛍のように、周りからはさびしそうに見えていたかもしれませんが、でも本当は生き生きと過ごしていたのです。人と一緒に遊ぶことよりも、自然と一緒に遊ぶほうが良かったのは、そのほうが未知の世界に出会える気がしたからです。ひとはつまらないと、思っていました。

3 thoughts on “蛍から思い出すこと”

  1. キヨシです。
    蛍ですか。年々見ることが少なくなっていますね。
    ご自身と蛍。
    他に何か共通点はあるのでしょうか?
    人から見るのと自分で感じることの違い。
    人は見たいようにしか見ないですからね。

  2. ○生徒の中には
     友達と関わりを持てない(持たない)
     生徒がいます。
     以前は、そうした生徒を
     ひとりぼっちの寂しい生徒
     人との関わりが出来るように指導しなければならない生徒
     と決めつけて、励ましたり、アドバイスをした経験が
     たくさんあります。
     最近は、そうした決めつけがなくなっています。
     その生徒が寂しいと感じているのかどうか
     感じたり、聞いてみたり
     もっと自由です。
     概念で判断することこそ
     その人にとって迷惑であり
     失礼なことであるとつくづく感じています。
     

  3. キヨシさん、そらさんへ
     いつも丁寧にコメントしてくださってありがとうございます。
     私は友達と「関わりを持ちにくい」子供であったと思います。
     でも反応はしませんでしたが、誰か一緒に居てくれる人やら、
     気持ちを聞いてくれる人が現れたときはうれしかった筈です。
     人と関わりを持ちにくく、それゆえ気持ちが不安定でした。
     辛かったと思います。多様な自然と遊ぶことでバランスをと
     っていたのだと思います。
     中学生の頃から徐々に「関わりを持つことができる」ようになりました。
     その頃の意味は年齢を重ねるにつれ深まり、周囲の人への感謝の思いで
     振り返れるようになりました。
           超介
     

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