やる気が出ないので勉強できない??

超介です。

私の教室では、カリキュラムは塾生が全部決めます。教科も、内容も、方法も塾生が決めます。私はコーチとして関わるのみです。もちろん質問には答えますし、塾生が決めることに感想を述べたりはしますし、時には提案も行います。さらに、ネット上の教材やら、様々な教具、かなり幅広いジャンルの書籍、パズル、おもちゃ等々を自由に使えるように置いています。塾生たちは自分ができることから始めます。そして、通塾しているうちに自分なりの学びのスタイルを身につけていきます。そうなると自信が出てきて、どんどん強くなります。

塾生は、一コマ90分間、自分のすべきこと、したいことを やります。それは自分と向き合うことです。しかし時には「やる気が起こらない」といって悩む者も現れます。時間もあって、眠くもない、しかし学習がすすまない、学習に集中できない、という状態です。

926800D6-D547-4FE9-81F8-C8BC9B603568

しかし、この状態はとても大切な機会です。自分の中でセルフコントロールできない(と思っている)状態があること、そしてそれにどう向かい合えるか、それを知ることは人の成長に重要だからです。その方法として「邪魔するもの」を想定してそれを取り扱う方法もあります。ある人は「象使いと象」になぞらえて、状況をその人自身に理解させています。脳の機能から説明する人もいます。その時々に応じて対処するのが私のコーチとしての仕事です。

それは、大人の場合も同じで大人の場合は子供の「やる気が起こらない」の理由に対応するのは、多くの場合は「忙しい」とか「何々があるので」とかが多いようです。

それらの理由は、そのように考えればその状況の説明がつくので、そう表明しているだけです。多くの場合はじっくり取り組むとできることであったり、やらないでいいことであったりします。ただ、できることから始めればよいだけであって、やる気は必要ありません。継続していると副産物としてやる気はでてきますが、なくてもできるのです。

体験セミナーin鶴岡 まなびのいえ開校記念

みなさんこんにちは。トレーナーのね↑です。

3/20(火)18:30~まなびのいえにて開校記念セミナーとして
教育コーチング体験セミナーin鶴岡を開催しました。

参加者は少なかったのですが、
その分たくさんの「話す」を体感していただき、
「傾聴」がわかりやすかった。スタッフ教育に取り入れたいと
嬉しいお言葉を頂戴しました。

今度は4/1(日)13:30~15:30、まなびのいえにて開催予定です。
皆さんも「話す」の心地よさを体感してみませんか。

開始前の様子
開始前の様子 お茶を飲みながらゆったりとセミナーにご参加いただきました。

相手の立場に立つ

超介です。

人間関係でも、組織と組織、国家と国家においてもどのような関係を作るかは、とても重要な選択です。時には関わらない方が良い場合は結構あるように思います。ここでは、関係を良くしようという選択をした場合においてのことです。どのように選択するかの過程についてはここでは書きません。

相手の立場に立って考えるとは、正確には「たったつもりで考える」のが精一杯の意味で、「正確に相手の立場に立つ」ことなどは基本的にできません。そこから考えれば、まずは理解するように努力して、「このような意味かな?」と想像したり、その範囲を絞りこむぐらいです。

上の者が下の者の行動を見る時、上から目線で、批判的に見、考えを伝える、意見を述べる時には「相手の立場に立ったつもりで考えていて」そしてそれが相手に受け入れてもらえないことがよく起こります。その結果、関係がまずくなることが多くて、関係が疎遠になる、衝突が起こるということがそこらじゅうで起こっています。

そのようなことは親子や、生徒先生あるいは上司部下等の近い関係ほど起こりがちです。相手のことをわかっていると判断してしまいがちだからです。私も、塾で働いていた経験から、そのような苦い経験を繰り返してきました。学習態度が良くない塾生を否定的に見、叩き直そうとしたり批判を続けたりして結局は休んだり、退塾してしまったり。塾の場合はやめれば済みますが、そうでない、あるいは閉鎖的な場合やら、離れられない強制力が働く場合はさらに悲劇までが起こる場合があります。家庭やら、学校、あるいは企業なども離れればいくところがない、あるいは生活できない場合です。

ED187B1E-86A2-4753-830C-CD5988F80ACEいくつかの苦い経験から私が学んだことは、「理解できると思わない」けれどそれに向かい「努力を続ける」ということと「尊重」することの有効性です。それを維持するだけでも、関係がずいぶん変わりました。こちらの方がより良い結果に結びつく可能性が高まるように思うのです。そのような態度で接していると、突然に相手が心を開いてくれたように思える瞬間(心にブリッジがかかる)があるのです。それは、はっきりと五感で自覚できるのです。

身の回りのものでやりくりする力

超介です。

「分数ができない大学生」という本がありましたが、大学生でできないのであれば当然高校生にも相当な数の「分数ができない高校生」がいると思います。

ある高校生が積分計算をしていたときのことです。計算途中で帯分数が出てきてそれを計算するときに「帯分数ってなんでしたっけ?」と質問してくるので「えっ‼️ 知らんの?」と聞くと「小学校の時、分数の計算が苦手やったんです。」と。帯分数の意味と意味とその加減乗除を簡単に説明しました。

E0986176-AE1E-4AFD-86F1-911198159D8D

わたしが驚いたのは、そのような算数の基礎知識がないままに、よくぞ積分計算ができるようになったな、ということです。中高での計算、関数、方程式、図形、統計等々の内容をよく乗り越えてきたな、ということです。ここ2年ほどの彼女の数学の質問は、たしかに、どの場合にどの種の計算をするのかという型に関することが多かったのです。理由を説明しても、其処は理解せず、その方法、結論だけを覚えていたようです。

高校内の授業も「この場合は、こうする」という説明に注目して聞いたようです。彼女のノートは、その「場合分け」が赤で記入されていて、計算もびっしりと書かれてます。確かに計算はこまめに、きちんと正確にできています。定期テストは平均点よりかなり上でした。

彼女なりのスタイルに感心しました。かなりの試行錯誤をしつつ、ここまで追求してきたんだなあと、思ったからです。小学校の時に身につけるべきことを忘れていた、あるいは学ばなかったのは別にして、いまわかっている、あるいは身につけているものでやりくりして現実に対処するそのスタイルは大変有用だからです。

意欲と自信が生まれる過程

超介です。

BB8DD999-4175-40C8-9859-5744F57E2F19

2月中旬に1泊2日で、四国松山を4年ぶりに自治会役員5名で訪問しました。市内のお城や、道後温泉には40年間のうちに、よく行きました。住居が近く、其れらの観光地から徒歩10分内にアパートを借りたり、あるいは車で15分ほどの距離に家を建てたりしていたのです。気軽に行けました。夕方、城山から瀬戸内海を見、故郷丹波の方向を確かめたり、道後温泉本館の湯けむりの湯船の中や、陽光が指す新しい椿湯でゆったりと時を過ごしたことがありました。それらの地へ4年ぶりに訪れたとき、過去の個々のエピソードではなく、まず、愛着の様な感情が湧き上がりました。それは、自然に沸き起こってくる心地よさです。現実世界や心の中での何回もの出会いのうちに、はっと気がつく「恋愛感情」と同じです。少し切なさを帯びた感情。繰り返して訪れたり、出会っているうちにそれら、あるいはその人をよく理解したり、其処に含まれる一定の形、型に気がつくうちに沸き起こるものです。それらの形やら、型は自分にしっくりと合って安心したりすることができるものです。その人の感じ方、スタイルと共鳴しているのです。時に同じような人を好きになったり、その人の行動にその人らしさが現れるのは、その原型、原形があるからだと思います。

そのことによく似た体験、つまり繰り返してある行動をしていくときに人の心身に産まれてくるものに「意欲」そして、そのあとで生まれてくるものに「自信」 があります。多くの人が、そのような経験を重ねて自分を作っていきます。運営している塾でも、塾生たちの学びを見ているとそのスタイルをうまく発展させている人、その準備をしている段階の人など様々。うまく発展させている人には、意欲と自信が派生しています。そして、そのうちに、こだわりと自由さが同時にあることは大切なポイントだと思います。この自由さは開放性のことであり、あることにこだわりつつ、つまり継続しつつ、一方で新しいことも取り入れていく開放性。これらの人たちがそれぞれに進化していける場を提供していきたいと思っています。

自律と学び

超介です。

自律とは、「自立している状態からさらに意識して何か行動したり、制限したりしていること」と、勝手に定義しています。自律している、その時の状態は脳により深く刻まれるように思います。少なくとも、習慣のように意識せずとも行動するのではなく、きちんと意識して何かを行う方が学習には効果的です。

人の学びを観察していると、それがよくわかります。記憶の伴う学び、例えば、漢字の書き取りを行なっているとき、同じ漢字をただ、何回も繰り返して書くことはあまり効果的ではありません。そうではなく、漢字を構成する部分のうち書きにくいところだけを意識して、手本を見て一回だけ書く、そして今度は手本を見ずに一通りかく、そのような自律的な学びの方が記憶にのこるのです。

英単語を覚える場合も、例えばrepairを知っているとき、似た意味を持つrecoverが新たに出てくればその2語の違いを理解する、さらにrestoreやreformが 出てきたときそれらの違いを理解するというようにします。違い、共通点を見つけたり、それが使われる文脈やら背景を理解するのです。そうしていけば、そこには混乱が生じず整理ができて、無駄なエネルギーを使わず収まりがつきます。

数学の問題を学ぶのを見ていると、それはよりはっきりとして表れます。数学ができない人はその解き方の意味がつかめていない場合が多いのです。理論を理解して解くでも、理論を理解せず、場合を分けてとくでも、どちらでもいいのです。自律的にとければできるようになります。最初は、場合に分けてといて解き方を覚える、それから次に理論を理解するのが一般的な手順です。できない人はそれができないのです。

これらのことには、集中することとそれをある一定時間持続すること、つまり我慢することが必要です。

松山再訪

超介です。

54A85168-41D2-46DF-8371-A237EF21B182

40年間過ごした松山を4年ぶりに訪れる機会がありました。18歳から58歳までを過ごしました。この間に其処で大学に入学し、就職して、家庭を持ち、子育てが終わり、退職してそして18歳まで過ごした丹波に戻りました。今回、道後温泉にも、松山城にも訪れることができました。40年間にはそれらの観光地にも一人で、あるいは誰かと一緒に訪れましたが、それらの思い出は個々には浮かびません。

松山での40年のうちに住居だけでも9回引越し、仕事でも松山だけでなく南予にも、東予にも香川にも行き来してきたのでこれらの地域に対する想いは深くて広いです。

今回、道後温泉本館前や、松山城の広場に立った時にジワリと切ない感情が込み上げてきます。それは悲しさでもなく、嬉しさでもありません。その地に対する愛情に近い想いです。時に、断片的にあるシーンがそのときの自分の感情とともに脳裏へ蘇り、涙腺が緩みます。

見知らぬ土地へ、誰も知った人がいない土地へ18歳で行き、58歳で去るまでなんといろいろなことがあったのかと。それらを整理して、次の人生に向かうべくスタートした4年間です。準備をしながら仕事にも私生活にも課題を決め進みだしましたが、この40年間は貴重な体験財産となって今を支えてくれているようです。

青写真を描く

超介です。

やりたいこととやることの間には何があるんでしょうか。やるべきこととやりたいことが一致していても、それとやることの間にはギャップがある、時があります。もちろんギャップなくスムースに進むときもあります。

私がそれを知ったのは、仕事ができる先輩からでした。答えは完成青写真が描けているかどうかです。少なくとも、行動の起点となるところは最低クリアに描けてないと始めることはできません。彼は、いつも明瞭に青写真を描いていました。それは計画、企画書あるいは戦略書でした。事業運営に関わることですが、分野が異なっても同じです。人が目的に向かった行動を起こすのは、どこに向かっているかが明確かどうかで随分異なるのです。

やりたいこと、やるべきことはわかっているけれども行動が結びついていないとき、それの青写真が明瞭でなく、なんとなくでしか描けていない場合が多いのです。さらに、青写真以上にカラー写真だと行動して達成もできます。

苦手な分野への取り組みは時間をかけて周辺から

超介です

人生の様々な場面で、考え方やら、行動からこの人はこんな人なんだ、と理解することは悪いことではありません。「一事が万事」というのはそのことをもいうのだと思います。

私には論理的な思考が苦手だと思った時期がありました。特に、それを感じたのは確率や生物の遺伝、地学の天文、物理の計算を高校になって学んだ時からです。理系に進みたいけれど、この理詰めで考えることが不得意であったので、進路選択に迷いがありました。理系、文系にかかわらず議論も苦手でした。観察や、事例を調べることは嫌いではなかったのですが、体系化、理論化されているものをんだり使ったりするのは苦手だという意識がありました。

それでも、何とか大学を卒業して、就職して30代後半でこの不得意分野を何とかしたいと考える時がきました。仕事上の議論やら、人間関係においてうまく進めることができず、何とかしたいと思ったのです。その時に取り組んだのが知能クイズでした。数字パズルや論理クイズの本を買ってきて、何冊も解いていると、コツがわかり面白くなり始めました。仕事で企画書、計画書を作るようになると、その関連でロジカルシンキング、論理思考の本も読むようになりフェルミ推定の問題集を解いたりするようになりました。これらのきっかけになったのがクイズでした。
いまは、得意というわけではありませんが、苦手意識はありません。最近、英文を読んでいるときでした。わたしには難しい、わかりにくい文を読んでいるとき構文理解とクイズを解く思考が似ていると感じることができました。もし苦手意識を抱えたままであったら、英語を学ぶことを諦めているかもしれません。
ひとの能力や性格の弱点は様々な場面でやりたいことを阻害するかもしれません。それらは、その場では根本解決はできないまでも、意識の片隅にそれを置いとくことはできます。そして、チャンスがあった時にちょっと手を出してみると面白い展開がありえます。

人は様々な場面で同じ問題に悩まされます。特効薬は見つけにくいですが、その一点を突破すると、事態が前に進み、違う場面が開けるように思えるのです。それは、いくつになっても。

 

対話の失敗

超介です。

人と対話していると「ああ、この人はこんな人なんだな」とその人の性格や行動様式が見えてきて、理解がしやすくなる。それとその人らしさが見えてくる。そうすると、少なくとも相手に対する自分の態度が決まって自分は安心する。「たぶん、こういってくるだろうから、このように対応しよう」というように。それは、手っ取り早くて経済的なコミュニケーションの取り方だ。

しかしながらこの方法の弱点は相手の立場に立った会話が成立しにくいことにある。相手は決められてしまうので、何を言っても枠にはめられたような感じがして、話を聞いてもらっている気がしないのだ。当然、心は開きにくくなる。傾聴ではない。

私は、特に身近にいる人に対してはこういう風に決めつけで話をする傾向がある。そして、身近な人もそのように私のことを見る傾向がある。それで、このようなことが重なると時には関係に行き詰まりが起こる。