苦手な分野への取り組みは時間をかけて周辺から

超介です

人生の様々な場面で、考え方やら、行動からこの人はこんな人なんだ、と理解することは悪いことではありません。「一事が万事」というのはそのことをもいうのだと思います。

私には論理的な思考が苦手だと思った時期がありました。特に、それを感じたのは確率や生物の遺伝、地学の天文、物理の計算を高校になって学んだ時からです。理系に進みたいけれど、この理詰めで考えることが不得意であったので、進路選択に迷いがありました。理系、文系にかかわらず議論も苦手でした。観察や、事例を調べることは嫌いではなかったのですが、体系化、理論化されているものをんだり使ったりするのは苦手だという意識がありました。

それでも、何とか大学を卒業して、就職して30代後半でこの不得意分野を何とかしたいと考える時がきました。仕事上の議論やら、人間関係においてうまく進めることができず、何とかしたいと思ったのです。その時に取り組んだのが知能クイズでした。数字パズルや論理クイズの本を買ってきて、何冊も解いていると、コツがわかり面白くなり始めました。仕事で企画書、計画書を作るようになると、その関連でロジカルシンキング、論理思考の本も読むようになりフェルミ推定の問題集を解いたりするようになりました。これらのきっかけになったのがクイズでした。
いまは、得意というわけではありませんが、苦手意識はありません。最近、英文を読んでいるときでした。わたしには難しい、わかりにくい文を読んでいるとき構文理解とクイズを解く思考が似ていると感じることができました。もし苦手意識を抱えたままであったら、英語を学ぶことを諦めているかもしれません。
ひとの能力や性格の弱点は様々な場面でやりたいことを阻害するかもしれません。それらは、その場では根本解決はできないまでも、意識の片隅にそれを置いとくことはできます。そして、チャンスがあった時にちょっと手を出してみると面白い展開がありえます。

人は様々な場面で同じ問題に悩まされます。特効薬は見つけにくいですが、その一点を突破すると、事態が前に進み、違う場面が開けるように思えるのです。それは、いくつになっても。

 

対話の失敗

超介です。

人と対話していると「ああ、この人はこんな人なんだな」とその人の性格や行動様式が見えてきて、理解がしやすくなる。それとその人らしさが見えてくる。そうすると、少なくとも相手に対する自分の態度が決まって自分は安心する。「たぶん、こういってくるだろうから、このように対応しよう」というように。それは、手っ取り早くて経済的なコミュニケーションの取り方だ。

しかしながらこの方法の弱点は相手の立場に立った会話が成立しにくいことにある。相手は決められてしまうので、何を言っても枠にはめられたような感じがして、話を聞いてもらっている気がしないのだ。当然、心は開きにくくなる。傾聴ではない。

私は、特に身近にいる人に対してはこういう風に決めつけで話をする傾向がある。そして、身近な人もそのように私のことを見る傾向がある。それで、このようなことが重なると時には関係に行き詰まりが起こる。

仕事を増やす

超介です

退職し、故郷の丹波へ戻り約4年が経過し、小さな個人塾を始めて3年が経ちました。その間は、自治体の仕事以外は、全部自分の意志で決めることができる立場で過ごしています。やりたいことをやりたいようにして一日を過ごしていますが、それが増えてくるとき、工夫が必要です。

今やっていることに加えて、自治体の仕事(役割)が減る予定なので、これからは農業を今まで以上にきちんとやっていこうと考えています。午前中から午後にかけては英語の勉強とギターの練習、そして農業に費やし、昼過ぎからは教室に行って塾の運営をする、その間に家事をこなす、大雑把にはそのようにします。英語の勉強もギターの練習も上達したいのでもっとたくさん量を増やしたいのですが、時間をとっても集中できません。途中で疲れてきて、うまく進まないことがあります。
豊かな山々に囲まれた地に住んでいるので、自然観察やら、登山、日本海への釣り、それに本も書くので、それぞれの仕事をどのように工夫してこなしていくのかを考え、試しています。仕事のスタイルを磨いていきます。

何が「ふつう」なのか

皆さん,こんにちは。 自宅は雪の中,今いる研究室は時折晴れ間を見せる場所。 三重県は縦に長いのだなぁと,今更ながらに感じている,教育コーチのいっすぅぃ~です。

さて,年末から楽しみにしていた行事が一つ終わりました。 娘との「吉本新喜劇ツアー」です。互助会主催ということで特別な料金で行けるとあって,ツアーは2日間でバス2台が満席になったようです。 私は,新喜劇が大好きな娘と行けるとあって,朝一にFaxをして,チケットをゲットしました。

そんなことは置いておくとして,そんな特別な日だから「ふつうってなに?」の話しでして。

大阪・難波の降車場所に辿り着こうという直前にヤマ○電気があったんです。 開店前のそのお店には30名ほどの方々が列を成しておりました。
「何があるんかなぁ」と言うと,娘は
「あんなとこに並んでるぐらいなら,家で論文を書いてた方がええよなぁ」

???

最近,私が家でやっていることと言えば,パソコンに向かって修士論文を書くことですが…。
「論文を書くこと」は,あまり一般的ではないんですけどねぇ。

同じく修士論文を書いている友人の娘さんが,小学校で講演会が開かれた夜のこと。
「今日、話してくれた人が『あなたたちのお父さん・お母さんは,家で本を読まないでしょ』って。そんなことないでって,むっちゃ腹立ったわぁ」って。

何が「ふつう」で,何が「ふつうでない」のか。
いろいろとあるかと思いますが,子どもがそのことを見抜いていたり,その言葉の先にあるものを見透かしていたり,言いたいことが別にあったり。

なんだか,ほっこりとした瞬間でした。

Honesty is my policy! いっすぅぃ~でした。

戊戌の干支の意味を立てる

超介です。

クラッシックギターをネットで注文して手に入れたのが2年前の1月上旬でしたから、弾き始めてから2年間経ちました。数種類の教本を手に入れ、雑誌を定期購読し、練習の方法を改善していき、ようやく独習が1年半ぐらいたったとき、小さな発表会でカルカッシという古典的なテキストの中級編の練習曲数曲を弾かせてもらいました。それが昨年の8月のことでした。その頃、音階、和音などの基本と様々なスキル、そして初級、中級の練習曲の練習メニューができて、あとは年数さえかければ、あと2年ほどで名曲に挑戦できるかなあ、と思っていました。

ところが、残念ながらそう順調には進まなくなったのです。それは(もうこれは当然のことですが)、プロの方の演奏を知って、同じ練習曲であるのにその差に愕然としたのです。同じ曲とは思えないのです。心に響く演奏なのです。そしてその演奏法の解説が動画で公開されたので、それを見て練習を始めますが、全くついていけません。行き詰まったのです。それが昨年の12月末です。それまでは毎日1時間半から2時間ほどは練習していましたが、10分ほども弾いていられなくなりました。

この辺りの事情は長くなるので端折りますが、その後、今は、また練習が再開できるようになりました。その糸口になったのが「戊戌の干支」の意味するところなのです。戊も戌も繁茂の様相を示しますが、その中で戌の字の「横一は陽気を示す」とのこと。「それを大切にしなさい」というように意味を立てることにしたのです。

ギターの練習でいえば、色々と練習しているけれども、「その横一を大切にしなさい」というように意味を立てたのです。そして、その「横一」が「音楽性」とか「表現したいもの」であることに気がついたのです。楽器や歌を練習している人にとっては当然のことだと思いますが、それを考えつつ練習することが、いかに重要で、上達への道であるかということにやっと気が付きました。

この戊戌の干支は、塾の仕事の中にも、そして今年力を入れようとしている農業にも意味を見出せるのです。

戊戌の年 (その2 干支の意味)

超介です。

ひとは、3次元に加え、時間軸の一方向のみに推移しながら動く世界で生きています。そして、我々は空間の次元は自由に行き来できますが、時間軸の方向は自由には進むことができません。もしも時間軸をも含む4次元の世界で自由に動けたなら、世界の事象を「静止」した環境で捉えることができて、それを詳しく観察することができます。そこから見えてくる法則性、原理のようなものも調べることができます。それらが、易学やらあるいは占星術の元になるものだと思うのです。

その法則性、原理を完全なる4次元での表現ではなく、人が生きている次元、つまり3次元+(一方向の)時間次元で表したものが 易学やら「 干支」と捉えることができると思います。世界で起こる様々な事象の本質を抽出して表現したのです。それは完璧な法則性、原理ではないけれどもそれらに近い形をしているのではないでしょうか。そこで示される型にあてはめて、現実を見ると、意味を見つけることができると思えるのです。

そう考えて、毎年干支を調べて意味を見つける(意味を立てる)ことをしてきました。事象を抽出したものであるので、干支は何事にも具体化できると思うのです。解釈は一通りではなく、その人によって意味が違ってくると思います。

戊戌の年の陽気が示すものとは、私にとって何かと意味を見つけるときに、それは様々なところで顔を出しているのですが、わかりやすい例で言いますと、例えば昨年から初めてそろそろ2年になるクラッシックギターの練習の例をあげます。

次の投稿で、それについて書こうと思います。

戊戌の年に

超介です。

今年は戊戌(ぼじゅ、つちのえいぬ)の年です。毎年、干支を調べてその中に意味を立てるようにしています。出典元は「干支の活学」(正岡正篤著 プレジデント社)です。

戊も戌も共に繁茂、茂という意味を持ちます。戌は戊に一を加えただけの構成となっています。点を加えた戍と戌は別の文字とのこと。戌は「戊に一を加えたもので、茂と同義語。(点を加えた戍は守るという意味で戌と別字)。すなわち枝葉末節が茂って、日当たりが悪くなり、風が通らなくなることで、いわゆる抹消的煩瑣とか過剰を表す文字である。」(同書p108)とのこと。そして戌の一はその中でも完全に抹消的ではなくて、一箇所は陽気が残っていることを示すとのこと。

で肝心なことは、そのように煩瑣に、抹消的過剰になってはいるので、陽気を表す一のところを残して、一切バッサリとやりましょう。というふうに捉えると意味が生まれるようです。

そのことを、自身に捉えて見回せば、故里丹波に戻りリセットしてもうすぐ4年が経過しようとしています。今年は農業に力を入れていこうとしていますが、塾 j.スクール、自治会の仕事、英語の勉強や、クラッッシックギターの練習やら、出版、山登りと色々と手を出してきて煩瑣にすぎるということかもしれません。このままでは、煩瑣すぎて末枯れるかも。

では一は何かといえば、これはこれらを通じて私が何をしようとしているのか、その中核であろうと思えるのです。その中核を大事にして、そこから離れたところは整理する、ということに戊戌の意味を立てました。

さらにこの中核が何かについては、次の機会に書こうと思います。

皆さんもご自身を振り返り、戊戌の、皆さんにとっての意味を立ててみてください。

2018年、スタートですね。

皆さま

(遅れながら、明けましておめでとうございます。)

こんにちは。

そら@内藤です。

 

南アルプスから昇る太陽です。

1月1日、7:28 撮影です。

力強い初日の出、ありがたいことです。

DSC02731

で、この写真を撮っている時気がついたのですが、

雲の切れ間からスポットライトがある地区にだけ当たっているのです。

DSC02739-2

 

思い出したのは、吉野さんのこの詩です。

虹と初日の違いはありますが、

今、あることの幸せをしっかり感じていたいと思います。

皆さまにとって、良い年でありますように。

 

「虹の足」/吉野 弘

雨があがって
雲間から
乾麺みたいに真直な
陽射しがたくさん地上に刺さり
行手に榛名山が見えたころ
山路を登るバスの中で見たのだ、虹の足を。
眼下にひろがる田圃の上に
虹がそっと足を下ろしたのを!
野面にすらりと足を置いて
虹のアーチが軽やかに
すっくと空に立ったのを!
その虹の足の底に
小さな村といくつかの家が
すっぽり抱かれて染められていたのだ。
それなのに
家から飛び出して虹の足にさわろうとする人影は見えない。
―――おーい、君の家が虹の中にあるぞオ
乗客たちは頬を火照らせ
野面に立った虹の足に見とれた。
多分、あれはバスの中の僕らには見えて
村の人々には見えないのだ。
そんなこともあるのだろう
他人には見えて
自分には見えない幸福の中で
格別驚きもせず
幸福に生きていることが――。

 

 

学びの意欲を引き出すもの

みなさんいつもありがとうございます。

トレーナーの修業僧です。

今日は                                      学びが続くとき,続かないときの違い                        について,ぼやきます

くり返す,同じことを反復する                        これは,地味で結構しんどい作業です

このくり返すという作業が                          続きときと,続かないときには違いがあります

「その先にあるものが明確であるか」

です。

部活指導や学習指導をしていると                       その部分は完璧にできるが

他の問いに埋め込まれたり,                         試合や試験という大きな枠組みになると

とたんに力が発揮できないことがあります

普段の練習が目的(ゴール)となっていて                     その先で何ができるようになりたいのかが曖昧なために

本来の理想とする姿と結びつかず                       練習のプロではあるが,本番の素人になってしまう状況

が起こりやすいと思っています

いま,わけあってコーチングセッションを年間何本行う             という反復作業をくり返しています。

私の場合,昨日お伝えしたように                       もやもやを意味づけして表現する「ため」に                   この反復をくり返そうと決めています

勝手に,もやもやしていますので,なんとも言えませんが

コーチングは話題によって                          いつくかのカテゴリーに分けて整理できると思っています

それが実現することで                               自分がより焦点化した支援ができ                       みんなにより,コーチングをわかりやすく伝える

ことができるのではともやもやと思っています。                  (雑記帳にはイメージが落書きレベルでたまっています)

その先にあるものを明確化することで                               毎回,焦点を当て続けて

「こんなことが見えた,気づいた」「次は何が見えるか」

と継続する勇気や意欲がわいてきます。

ある活動を通して,

「何ができるようになりたいのか」

この「できるようになる」は                         スキル(do)より,どんな人になりたいのか(be)                   というレベルに焦点が当たると,

より行動が具体化したり,意欲的になり                    そのための反復や学びが続くともいえます。

その先にどんなものをつかみたいのか                     その先にどんな人になりたいのか

意図することが                                学ぶ意欲を引き出す

一つのコツなようです。                            教育コーチングの引き出すコミュニケーションはこんな場面でも活躍します。

一見,当たり前なようですが,目標設定という従来からあった「基本の型」が

あふれるほどマスターできているか

この年末に再点検する価値がありそうです

道をきわめるとは〇〇が欠かせない

いつもありがとうございます。トレーナーの修業僧です。

AL型授業も日常としてずいぶん普及してきました。それでも,今までの教え方を捨てなければという不自由さにとらわれている方も見受けられます。 この点に関して一考をつぶやいてみます。

「型破り」という言葉をご存じでしょうか。                  言葉どおり,既成の枠組みを超えて新しいものを生み出すという言葉です。

しかし,最近は従来の過度の協調教育への反省から,              過度の個性重視への傾向もあるように感じられています。

舞伎界の故中村勘三郎さんは次のように言っていました。            「型を身につけなければ、型破りにはなれない。                型を身につけてから破る。だから『型破り』って言うんだよ」

「若い人はすぐ『型破り』をやりたがるけど、                 型を会得していない人間がそれをやろうとするのは、              ただの『形なし』だ」

まずは,基本の型を満たす。                         その中であふれてきた「もっとこうしたら」を                 追究することがスペシャリティー。

そのスペシャリティーを一流に仕上げることが「型破り」ともいえますね。

ALも同じように捉えてみてはいかがでしょうか。                昨今「今までの教え方じゃだめなのか」「捨てなきゃだめなのか」        という悩みと出会います。

今まで培ってきた教え方は,                         伝統そのものであり,成果を生み出してきた                  キラキラ輝く教授の型なのです。

みなさんは,その基本の型を満たしている人。

解釈を少しだけ変えてみましょう。

捨てるのではなく,破るのです。                       みなさんがそれぞれの基本の型に甘んじることなく,

破ることでみなさんの中にある                        教育と教授の「主体」「対話」「省察」が融合した                 スペシャリティーあふれるAL型授業になるのです。

そして,AL型授業が基本の型として満たすことで                さらに,AL型授業を破り,その先にある何かに                 たどり着くのではないでしょうか。

「道をきわめる」には,

基礎の模倣や反復は欠かせないようです。

授業でも,従来通り                              教えるところはしっかりとレクチャーで教授し                 模倣してほしいところはしっかりとリクエストする

といった基本を継承したうえで,

今の社会,これからの社会が求めている価値を融合               していけばよいのです。

今までのレガシーともいえる財産をすてるなんてもったいない!         全ては意味のある,価値のある個性です。

全部つかいきりましょう!