小林 宏明氏(株式会社Perk 代表取締役 クリエイティブプロデューサー)

僕が留学していたのは今からちょうど20年前。 高校3年生の時でした。
洋楽にハマっており、当時コピーバンドもやっていて英語の歌詞で歌ったりしてるのに英語喋れないのはダサい
な、とか、英語を流暢に喋れたらモテそうだな。そんな下心満載で留学を決意しました。

そんな、海外への漠然とした憧れからスタートした留学生活でしたが当時のぼくは今よりもコミュニケーション
能力も低く、物事を割と斜に構えて見る性格だったので中々ホストファミリーとも打ち解ける事が出来ず、学校
でも英語力不足や自らのパッシブな姿勢から友達が中々出来ずに気がつくと全くアメリカの生活に馴染めず、半
年の時が流れていました。

このままでは当初描いていた華々しい異国での生活や語学の習得どころか、アメリカに来た意味などひとつも見
出せずに帰国の途に着くことになってしまうかもしれないという焦りからどんどん泥沼にはまっていってるのが
自分でもわかりました。

そんな真っ暗な洞窟の中の様な異国での生活から抜け出せずにいた僕も、もがき苦しみながらも光明を見出して
いきます。

まずは自分から、変なこだわりを捨てようと決め当時興味もなかったスケートボードを始めて友達を作る努力を
したり、ストリートバスケに明け暮れて年齢も関係なく友達を作ったり、ドラゴンボールが好きだと言う子を見
つけては日本のアニメの魅力を語ったりするうちにだんだんと周りに友達が増えていったのです。

1年という、長い様で短い時間をアメリカで過ごし、僕が今でも一生の宝だと感じていることは日本というある種
居心地の良い環境では気付くことのできない、体験することの出来ない自分の力ではどうすることもできない様
な理不尽や不条理、不都合とどう立ち向かうべきなのかという姿勢や状況適応能力を自然と身につけることが出
来た事かなと思っています。

また、日本にいては受けることのない差別が実際に存在していることや(英語が喋れないとわかった瞬間にシャ
ットダウンされることは当たり前に毎日のようにあり、バスケットボール部のトライアウトも英語力が原因で落
とされましたし、街を歩いてて白人のグループにイエローモンキーと罵られたこともありました。)僕らの常識
が全く通用しない土地に身を置くことの大切さを今振り返ってみると本当にかけがえのない時間であったなと思
います。

ダイバシティという言葉が多用される世の中ですが、この留学生活でその言葉の本当の大切さや自分の中での正
義感などが確信に変わりその言葉が頭に浮かぶ以前に物事や人をフラットに見れるようになったのも大きな収穫
だと思います。

親元を離れ、自分の力が全く通用しない土地に身を置き、簡単には得ることの出来ない本質に気づき、今まで見
ることの出来なかった景色をこれから留学される方々へも見れるようになっていただきたいと願っています。

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