かけはし vol.13
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日本青少年育成協会(日青協)に席をおく10年以上前から「国際交流」をライフワークとして業界を支えてこられました。林さんには国際交流・留学業界の発展に尽力されてきた「業界人」の面と、「高校生1学年間プログラム」を指導されてきた「教育者」の面があります。今回はその2つの面についてお話を伺いました。林隆樹常任理事 海留外学留サ学ー協ビ議ス会審査評機議構員 専 務 理 事業界の発展と「教育者」山川異域風月同天「国際交流・留学業界」に法律はありませをもって業界団体を立ち上げた大先輩の指導の下、コンペティターでありながら同志のような数名の志ある同業者と熱く語りかつ呑みながら、まず同志(業界メンバー)を増やすことから始めました。そして10名近くになった頃に、その同志たちで2〜3年をかけて業界の「ガイドライン」を作りました。―――「留学・国際交流」の事業運営ガイドラインですね。林:はい、ご存じない方も多いかもしれませんが、「旅行」には「旅行業法」がありますが、ん。ある意味、誰でもこの事業ができる反面、悪徳業者が入り込むスキもあるわけです。そこで健全な国際交流・留学業界発展のため自主的に国際交流・留学事業者が守るべき「ガイドライン」を作成しました。以降、次第に業界的にも認められ、2011年には留学事業者をチェックし認可する(一社)留学サービス審査機構の立ち上げを消費者庁、文部科学省、経済産業省と協働して行い、現在30社ほどが認可されています。またそれ以降、文科省や厚生労働省の「国際交流・留学」関連事業も受注できるようになってきました。―――そんな歴史があったんですね。では次に、やはり林さんが30年間、思いを込めてなされている「高校生1学年間プログラム」についてお聞かせください。次ページ以降で紹介する卒業生は本当に魅力的な方々ばかりですが、共通して「苦労」「修行」体験が見えてきます。林:このプログラムは、アメリカを例にとりますと、高校の1学年間をボランティアホストファミリーのもとで過ごし、地元の公立高校で一般アメリカ人高校生と同じクラスに入り、クラブ活動なども同じように参加する「アメリカ家庭・高校体験プログラム」です。周りに日本人は一人もいない環境で、日本との連絡も原則禁止されています。―――想像しただけでかなりタフな環境ですね。林:はい、慣れ親しんだ「自文化」を離れ「他文化」の中で生活するということは、「他人」と出会い、「自分」を発見することです。その摩擦軋轢を通して、「社会生活とは?」と「他文化間相互理解とは?」を学ぶことが、このプログラムの目的です。教育の最終的な目標は、「社会貢献できる人材」の育成ですね。社会貢献とは、「社会」という支え合う仕組みへの「自発的な」参加で、文化を越えての社会参加が「グローバル社会参加」です。まあ、私がお題目を語るよりも、具体的には卒業生のコメントを見てみてください。―――それにしても、家族、友人も含めて全てゼロからの人間(社会)関係構築で、しかもそれを英語で…これは鍛えられますね。―――さて、今年1月に新型コロナウイルス災害下の中国へ当協会が支援物資を送り、そこに林さんが記載した「山川異域風月同天」(10〜11ページ参照)が中国で大変な話題となりました。これを国際交流の観点からご説明いただけますか。林:先ほど、他文化理解の話をしましたが、「国際交流」では、他文化と自文化への、なるべく深い勉強(教養)が大切です。この詩は、災害支援の中で「1300年前の日中友好の歴史を踏まえて、中国の皆さんへの連帯感」を表したものです。反響の大きさには驚きましたが、その要因は「漢字文化圏」「詩の力」「歴史のエピソード力」だったと思います。そしてこのことからも、国際交流に携わる人間として、より一層自分と相手の文化についての勉強の必要性を強く感じました。長年にわたり、交流・留学業界のルール整備や国のグローバル人材育成事業への参画等、業界全体に貢献されてきた林委員長。次ページからは、その成果ともいえる卒業生のコメントをご紹介します。 6―――まず、林さんの「業界人」の面からお話を伺います。どのような活動をされてきたのですか。林:はい、私がこの業界に入ったのが今から30年ほど前、ちょうどその頃、(一社)JAOS海外留学協議会の前身である「業界団体」ができました。私はそれまで翻訳の会社におりましたが、本来、国が推進するべき「国際交流・留学」が全く民間に任されており、しかもその業界団体も整備されていないということに驚きました。危機感特集 日青協を支える人々の活動■■■■■■■ ■ ■ 令和元年度 活動の軌跡

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