かけはし vol.13
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宿命を悟り 運命が拓けた瞬間の人生でも人に元気を与えることができる、他人が元気になる様子を見るのがたまらなく好きな自分でした。そこから考えると、モノを売る仕事は自分を活かせる仕事ではないなと直感的に思いました。ただ、一方で、映画界には当時全く就職先がないことも知っていました。そして、たまたま映画作りの資金稼ぎのためにやっていた塾講師のアルバイトでピンときたんです。私が大事に思っていたことや、チャレンジしたいことが全て詰まっている仕事があったと。これしかない! こうして、『木村塾』が産声を上げました。なっていくわけですね。すよ! 相変わらず一生懸命でした。部活動と同じように365日休みなしで働きました。本当に全く休まずに。順調に生徒も増え、やっとたどり着いた自分を活かせる道だとも思っていました。「日本にここしかない塾をつくる」というチャレンジのできる仕事でした。ただ、なぜか虚しさがありました。それは結婚後、な本田:なるほど。そこから今の木村塾に木村:いやいや、そんな簡単ではないで         かなか子どもができなかったことです。35才を迎える頃だったと思います。子どもが授かれないということが分かりました。子どもが大好きな自分です。他人の子どもたちでもこれだけ可愛く思えるのに、自分の子どもだったらどれほど可愛いだろう、と思って待ち望んでいました。自分は何のために一生懸命やってきたのだろう、幸せって何だろう、とトコトン考えました。死ぬほど考えました。そしてその虚しさを埋めきれず、死をも考えた時期さえありました。は予想もしなかったです。こんな俺に天はどうしろというのか! と思いました。少し宗教的ですが(笑)。その時ひらめいたのが、自分は利己主義の傾向があるので、もし自分に子どもがいたらおそらく利己主義の人生を送っていただろうと。神様か何かは分からないが、大いなる力がもっと、お前には大きな使命がある。塾に来る生徒たちを自分の子どもだと思え! そう言われているような気がしました。そこからです。以前にも増して、より真剣に人間教育に取り組もうと思いました。自分には特に目立った能力はないけ本田:木村先生からそんな言葉を聞くと木村:そうでしょう? ど、ここまで来られた。それは周りが味方してくれたから。一人の能力を磨くだけでは何も成功はしない。7、8割は運で、と、これは自分の力だけではないはず。生徒たちに、「周りの人たちの幸せを願い、そして周りからも支えてもらえるような人」になってほしい。これが自分の目指すべき道だ! そう考え、思い切って舵を切りました。人間教育重視の木村塾です。そしてその柱になったのが、今も申し上げた「利他」の心です。もしこのマインドを持った子たちが、木村塾からどんどん社会に出ていったらどんなに世の中のためになるだろうか。そうしたら、日本は変わる! ただけでもわくわくしました。世界は変わる! そう考え♦置いてきぼりにしない♦人に元気を与える♦それを身近で感じられる〈卒業生の作文〉(前文略)(前文略)特集 日青協を支える人々の活動

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