かけはし vol.13
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木村吉宏副会長(木村塾グループ)代表取締役株式会社ヒューマレッジ宿命を悟り、運命を開き、天職に出逢って、構築された木村哲学劣等感でいっぱいの中学時代日の当たる場所へのあこがれから映画製作との出逢い本田:中学時代はマイナー人生だったと木村:中学ではサッカーをやっていまし木村副会長(以下、木村先生)のイメージは、とにかくおもしろい話をして他人から笑顔を引き出すことばかり考えている人。また、先生らしくない明るい関西のおっちゃん! どうしてもそんな一面が先行します。人に歴史あり、です。そんな木村先生    2にも光と陰の時代がありました。その陰の部分を中心に、今のお姿からは想像できない話を、あけっぴろげに木村先生らしくお話してくださいました。「なるほど、今の木村塾が存在するのはこんな経験があったからなのか」ということが分かり、大変貴重な時間でした。(聞き手:本田恵三事務局長)ご自身で振り返っておられますが、詳しくお聞かせください。たが、ずっと微妙でした。ぎりぎりレギュ本田:そんな少年時代の経験が今の木村木村:大ありです! ラーでしたが、いつ替えられるかわからない、冷や冷やのレベル。周りは上手な子ばかりでいつも劣等感でいっぱいでした。周りの活躍もあり、兵庫県優勝という輝かしい成績を残しましたが、「自分で勝ち取った」という手応えはほとんどなく、「みんなに優勝戦まで連れて行ってもらった」という感覚でしたね。さらに不思議と周りは皆イケメン、かつ聡明で、運動能力も高い、という三拍子そろった子たちが多く、私は決して目立つ存在ではありませんでした。一年で一番嫌いな日は、バレンタインデー! 仲のいい友達は大きな袋にあふれるほどのチョコレートをもらっているのに、自分だけがチロルチョコ(笑)。「木村君のこと、4番目に好き」ってこれまた微妙に言われていました。「4番目ってなんやねん」(笑)って感じですよ! も自分は中途半端なパッとしない星の下に生まれて来たのでは…と、薄々感じ始めた時代でした。塾につながっているということはありますか。木村塾は、「日の当たらない生徒たちに光を当てる塾」といどううコンセプトで始めました。そして生徒たちには、「絶対にクラブ活動は辞めるな」と指導しています。うちの塾は部活動をやっている生徒が多く、その割合はずっと98%くらいです。また社員も、とことんクラブ活動をやってきた人を優先的に採用することにしています。私の中学でのサッカー部の3年間は、劣等感でいっ本田:高校時代はどうでしたか。木村:サッカーに見切りを付けました。理由は劣等感から抜け出したかったから。目立ちたかったし、中学校で燃え尽きた感がありました。そこで小学校時代にあこがれたトランペット、これなら日の当たる場所に行けると思ってブラスバンド部に入部しました。180度の転換です。カッコよくトランペットを吹いて「ヒーロー」になりたかった〜(笑)。これもかなりの努力はしましたけど、相変わらずパッとしない実績で終わりました。ところが文化祭で、ふとしたきっかけからクラスで私が脚本・監督の映画を製ぱいでしたが、それでも最後まで辞めずに「血ヘドを吐くような猛練習」を続けたことが、今の自分にとてつもなく役立っていると思うからです。ここで大切なのは、たとえ「ド下手でも」「結果が出なくても」3年間辞めなかったということです。特集 日青協を支える人々の活動「合格祝賀会で」(20年前の「仮装」の木村副会長)■■■■■■■ ■ ■ 令和元年度 活動の軌跡

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