かけはし vol.13
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Q:支援の経緯は?A:1月29日(水)の午後1時半、当協Q:多くの中国人が支援物資に添えられたこの言葉を見て、日本国民に対する感謝と尊敬を覚えました。どのようにしてこの詩を入れることを思いついたのでしょうか。A:《遠因》この詩を最初に知ったのは、A:《直接的原因》この国際交流を象徴        ロジェクトが始まりました。徳岡理事がニューらマスクをお送りしましょう」と提唱し、全スクを買い集め、それを東京の本部に送り、会理事の徳岡臣紀氏(トモノカイ代表)がまず支援しましょうとの声を上げ、メーリングリストで全理事(28名)に発信、この呼びかけに対して理事がすぐに賛同し、支援プスを見て、「HSKフェアにも参加された大学のある武漢でマスクが不足しているらしいか国に散らばっている役員と事務局スタッフがマ本田恵三事務局長が手際よくそれらを取りまとめ、第1便が東京・神楽坂の牛込郵便局から発送できたのが翌30日の午後でした。その際、税関等を速やかに通すため、HSK北京本部のアドバイスにより「日本汉语水平考试 HSK事务局 校物资」と張り紙をして、その下にHSKフェアでも使用した「山川異域風月同天」の文字を私が入れたのでした。この8文字は、当協会の増澤空会長が常々提唱している「架橋力」(人と人、企業と企業、国と国等が連携・協力する力)をも象徴するものであると思います。私が大学生の時に読んだ、井上靖の小説「天平の甍」です。鑑真和上の来朝という古代史の事実を,彼を招くために海を渡った5人の留学僧と、鑑真和上が日本に正しい仏教を伝えるための苦難を描いた小説です。そして、10年程前、私は中学時代の3年間、父の仕事の関係で新潟市に住んでおり、その同窓会に出席した際に「新潟市會津八一記念館」を訪問しました。そこで會津八一のこの色紙(山川異域 共結来縁)を見つけました(會津八一子 は私の新潟の先輩でもあり、私の出身校でもある早稲田大学の先輩でもあり、私の好きな歌人でもあり、私の好きな書道家でも支援湖北高あります)。私は国際交流の仕事に30年以上携わっているので「国際交流を象徴する詩」として、それ以来この色紙は私の書斎に飾ってあり、日ごろから見ていて、それを使用したものでした。する言葉として個人的に好きであった「山川異域風月同天」の詩を公に使用したのは、当協会が4年前から毎年1回秋に実施している「HSK中国留学・就職フェア」で昨年(2019年)10月のことです。このフェアは中国語能力検定試験である風月同天 HSK試験を広く知ってもらい、中国への留学のより活発化を目的とし、その留学の先にある、社会貢献の場としての「就職」も視野に入れたイベントです。具体的には中国から20〜30大学、それら大学の先生方70名程をお招きして、一般参加者2000名程で東京と大阪の2カ所で行う留学説明会、就職説明会です。このイベントに参加された先生方、スタッフの名札に「山川異域風月同天」を入れました。寄諸仏昨年のフェアには、武漢にある「武漢大学」、「華中科技大学」の先生方も参加されていました。今回のウイルス災害で当協会がマスクを支援すると決定した時、まず想ったのが、常日頃一緒に仕事をしているHSKの北京本部の方々、そしてフェアに参加いただいた大学の先生方でした(4回のフェアですから、人数は単純計算で300人にもなります)。一緒に仕事をした仲間として、あのフェアを思い出してほしい、私たちは友達である…という意味を込めてこの「山川異域風月同天」を記載しました(実際に昨年のフェア開催時-REPORT- 国際交流委員会新型コロナウイルス災害支援に際して山川異域 風月同天 国際交流委員会委員長日本青少年育成協会(以下、当協会)は昨年度、2020年1月末から2月初めにかけて、中国・武漢市で感染拡大した「新型コロナウイルス災害」支援のために、当協会の全理事の協力によりマスク26,000枚と赤外線体温計30個を武漢のある湖北省の15大学に送りました。日本政府の支援の早さとも相まって日本からの支援がいろいろと中国で感謝され、当協会の支援ももちろん、常に連絡をとっているHSKの北京本部より大変感謝されました。この時、集まったマスクを詰めた箱に小さく入れた「山川異域 風月同天」の八文字の漢詩が中国で大変話題となり、社会現象化。実際に中国、日本のマスメディアから30件近くの取材がありました。このことについて、マスメディアからのQ&A形式で振り返ってみたいと思います。■■■■■■■ ■ ■ 令和元年度 活動の軌跡10林 隆樹

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