かけはし vol.13
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自分創造生きる基礎体力をもらった1年間どんな困難にも立ち向かえる自信きみはだれ?どこにゆくの?開始するきっかけになった経験だと思います。留学する生徒は何事にも積極的で自信があり、自分とは縁のない世界だと思っていました。しかし、イキイキと経験談を話している先輩をみて本能的に絶対に留学に行きたいと思い、応募しました。留学中は異文化での生活になかなか慣れず、苦しい思いもしましたが、自分で決めたことだから絶対に成功させたいとがむしゃらに努力をし、なんとか自分の満足のいく形で留学を終えることができました。当時の自分にとって、海外で高校生活を送ることは、想像もできなかったにも関わらず、できないことを一つ一つできることにすることで、気づけば成績もほとんどA+をいただくことができました。前向きに努力をすれば、その先で新しい自分と出会うことができ、その積み重ねが、人生において真の喜びになるんだと気づくことができました。物事に受け身で自己表現力に欠け、そもそも自己なんていうものの欠片もなかった当時15歳の私は、カリフォルニアの強烈な日差しとヒスパニックの友人と個性豊かな先生たちによって大きく図太く成長しました。育ってきた環境や周囲の人々とその価値観の中に溶けてぼんやりしていた自分の輪郭が、ようやくはっきりと浮かび上がってきたような感覚です。自分の弱さや無知、意外な度胸と馬鹿力を知るには、コンフォートゾーンを出る他ありません。 「英語力が身に付くのは、大きなおまけ」―その通りです。語学力よりも得難いもの、他者との関わり方、既存の枠組みや常識にとらわれず自力で生き抜く力を数々の失敗や後悔や涙の先に得ることができました。高校を卒業すると道はどんどん枝分かれし、自分で選択をしなくてはなりません。一つ一つ吟味し、自ら考え選び取っていく主体性と行動力はあの留学なしには身に付きませんでした。アメリカでの生活は想像以上   9  ■■  に毎日楽しく、現地の友人、ホストファミリーに恵まれ充実した1年を過ごすことができた。日本を出て初めて日本の食や文化、歴史の素晴らしさに気付く一方、現地の人の考え方や生活を肌で感じ取ることができ、一気に自分の考え方や視野が広がった。当時SNSや携帯、ネットも普及していたが一切連絡を絶ち切り、日本の友人たちとのやり取りは文通のみ。このおかげで1年という短さで英語力がついたと思う。現在は医師として日々忙しく働いているが、あの1年の留学経験があったからこそ、どんな困難にも立ち向かえる自信がある。そしてこれからの長い人生においてもずっとあの留学が自分の支えになると確信している。自分にとって、アメリカへの高校交換留学とはいったい何だったのだろう? この問いへの答えを、30年が経った今、常々噛み締めているように思います。もちろん英語が飛躍的に上達し、その後日本の大学を出た後も、外資系の企業で働いたり、アメリカの大学院で修士号をとり、現在スイスにある国際機関で勤務していることからも、あの1年なくして今日の自分はなかったと実感するものです。ただ、それは単純に英語ができるようになったからではなく、自分にとって一生かけて関わりたいことは何か、そのままにしておけない世界の問題は何か、自分はどんな人間なのかを考える1年があったからだと言えます。アメリカの田舎で感じた貧困や偏見、自分はどんな人かをゼロから周りの人に知らしめなければならない日々。アメリカの高校での1年間で常に自分の心にあった思いは、自分は何者なのか、日本とはどんな国か、自分はどこに向かいたいか。多感な青年時代に、目の前にその問いを突きつけられた日々こそが、1年間の高校交換留学が残した財産だと感じています。特集プログラム卒業生のコメント木俣佳鷹文部科学省大臣官房総務課 勤務上月光国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)ジュネーブ本部 勤務秦麻理勤務医久米冴季国際交流団体勤務10年前の留学は「自分創造」を■■■■■■■ ■ ■ 令和元年度 活動の軌跡COMMENTCOMMENTCOMMENTCOMMENT■■■■

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