かけはし vol.12
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8~日青協を支える人々の活動~――なぜラオスに学校を建設すーで貯めたお金をユニセフに寄付したことがあったのですが、「もっと自分たちのお金を目に見える形で役立てることができないか」といった声が上がったのがきっかけです。当時、当校の7〜8割の生徒は不登校やひきこもりといった課題を抱えていました。そんな彼らが、「自分たちは学校があるのに学校に通えなかった。でも学びたくても学校がなくて通えない子どもたちのために学校を建てたい」と言い出したのです。それは良い発想だと思い、1996年に動 最初は、一番貧しい国や地域を探したのですが、そうするとアフリカの奥地などになるんでることになったのですか。荒井:生徒たちが文化祭のバザ――元々現地との繋がりがあっ終候補になったのですが、当時カンボジアにはすでに多くのボランティア団体によって学校が建てられていました。そこでほとんど支援のないラオスに学校を建てることにしたのです。 とはいえ、学校は誰でも勝手に建てられるわけではありません。教育省との連携をはじめ、必要性の高い村を探したり建設地の許可を取ったりと、煩雑な調整が必要です。そこで、知り合いのつてでラオスの王族ご出身のスワリさんという方にたどり着きました。頼まれた方も大変な仕事ですから、スワリさんに巡り合えたことは幸運でした。――準備も大変だったと思いまとの関わりを持つことが苦手だったり、海外に出ていく勇気をなかなか持てないんですね。そういった子どもたちに、世界的な視野でものを見る機会を与える大きな学びの場になるのではないかという想いがありました。たからではなく、アジアの中で貧困に苦しむ国という理由で選ばれたのですね。荒井:カンボジアとラオスが最すが、そこまでして学校建設に踏み切られた原動力とは?荒井:不登校の子どもたちは人学校建設を進めていく中で、支援をしていたつもりがいつのまにか支援されていた」とおっしゃっておられました。荒井:いざ学校を作ることにな(聞き手:本田恵三事務局長)   き出しました。す。もちろんそこに救いの手を差し伸べることも大事ですが、子どもたちが実際に行って学校を建てるとなるとちょっと遠すぎる。そこで、我々と同じ仲間であるアジアの国にしようということになりました。もちろん現地の子どもたちのためでもあるけれども、当校の生徒たちにとっても非常に大きな経験になるだろうと。――以前荒井先生は、「実際にっても、具体的なことが見えてこないと生徒たちの推進力が落ちてしまいます。ですから、「文化祭のバザーで一生懸命資金を集めて必ず学校を建てよう」ということを皆で合い言葉のように言い合い、気持ちを盛り上げ続けました。そして約3年かかって350万円ほどの資金を調達したのです。 実は当初、生徒たちの中には「自分たちが学校を建ててあげるんだ」という驕りのような気持ちがあったんですね。ところが実際に着工式で村を訪れると、「学校を建ててくれる子どもたちが来てくれる」と想像を超えた歓迎をしてくれるのです。村中の人たちが迎えに出たり、精一杯のご馳走に民族舞踊など。村人たちの心からの感謝の気持ちを肌で感じた生徒たちは皆、涙していましたね。寺子屋のような私塾からスタートし、「楽しくなければ学校じゃない」をコンセプトに子どもたちの自立支援に取り組んできた荒井裕司副会長。生徒ひとり一人が主役となり、伸び伸び・楽しく・安心でき・信頼しあって活動する「子どもたちのための学校」の運営を今回は、恒例行事となったさくら国際高校のラオス小学校建設活動について話を聞いた。 一般社団法人日本青少年育成協会 副会長学校法人上田煌桜学園 理事長トトッッププイインンタタビビュューー特集40年以上続けている。荒井裕司

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