春の感傷

 超介です。

 低気温のために開花が遅い川原の桜も、わずか1週間ほどで散ってしまい、いまや枝には若芽と1/10ほどの花びら、草原の上にピンクの点々を残しています。先週末は、温暖な松山も嵐に見舞われ、気温も下がって一時期冬に戻ったかのようでした。桜も一気に散りました。
 (こちらは散る前の、ほんの10日ほど前の川原の桜)
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  春は移動の時期、別れと出会いがそこここで繰り返されて新たな思いで歩み始めておられる方も多いと思います。私もそのうちの一人。教育コーチングを学びはじめてから、どんどん人生が変わり始めました。人生の隅に積み残していた課題が片付き始め、また、思わぬところから貴重なものが出てきたりしました。
 (これは今週初めの同じ桜)
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  10年以上前の春先、松山から高知県幡多郡の漁港に一人でよく釣行しました。ゆったりとカーブを描く、しかし ぎざぎざのリアス式海岸の地図上の一点の漁港を目指して海に向かう。深夜峠を越えて、眼下に漁港の桟橋の常夜灯の明かりが見え、ほっとしたこともあります。ほとんどが初めての土地なので、それは冒険とも探検ともいえるような釣行でした。何を求め、深夜、片道4時間以上もかけ、一人海に向かったのでしょうか。

  暗いうちに漁船が出港し、海鳥が鳴き始め、朝日があたりを染め始め時間が進んでいきます。ジワリと時には一気に沈み込む浮きに竿を合わせ、リールを巻き上げ、海中の生き物の手ごたえを感じる。朝の海辺の風、潮、土と木々のかおり、その豊かさ、竿先の生き物の躍動の手ごたえを目ざして釣行していたように思います。

  年末から今年の桜の散るつい最近までに、出会い、身体の変化、新たな言語(英語とIT)の学び、そして人との出会い と別れなど、なんと色々なことが、次々と起こったことでしょう。凸凹のリアス式海岸のように激しい、でも豊かな人生の海との出会いでもあった春。

  I-podを購入しました。今春の総括そして今後の思いを込めて、『気高い夢を見よう。それがあなたの人生になる。』(ジェームズ アレン)という言葉を選び印字してもらいました。豊かな海の獲物の手ごたえを感じながらスタートできる幸せ。

新生活。正直、母は寂しいです。

教育コーチの なおです

広島の公立小学校・中学校は 本日入学式でした

”入学式の花”って 勝手に名前をつけている
我が家の カリンの花が咲きました
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毎年 入学式の日には咲くんです
今年は 3月温かくって 先週寒い 
昨日は固いつぼみばかりに思え
今年は無理かな〜って 半ば諦めていたのに
咲きました:heart:

18年前 
カリンの花が揺れるたび
キャッキャ:hahaha: キャッキャ:hahaha: と
手足を動かし 体全体で 生きる喜びを表現していた
赤ん坊も

先週から一人暮らし 
緊張や寂しさもあるでしょうが

LINEを活用して
東京・京都・広島・福岡・・・
各地に散らばった高校時代の友人達と情報交換

自炊を始めた友の料理の様子
サークルの情報
文学部のH君は サンスクリット語を履修する ETC

まずまずのスタートでしょうが

母は 寂しいです

おいしそ〜うなパンを見つけて いつもの分量 購入
車に乗り込み エンジンをかけた頃に

あっ8-|

こんなにたくさん :ase: 
食べる人いないんだ =:[

ジャガイモ これまでと同じ分量 皮をむいてしまって

あっ:ase: ・・・・

長男の時も 次男の時も 同じ

GW頃には 「あっ :ase:」 が無くなるか :-D

ようこそ

 皆さん、こんにちは。教育コーチのいっすぅぃ〜です。

 外は、大雨が降っています。8日の月曜日は、私の勤める高校では入学式。そして、私は学年主任。
どんな生徒が入学してくるのかな。どんな思いを持って入学してくるのかな。1学年の先生方の思いはどんなものだろう。私にまとめられるのだろうか・・・・・・。
 たくさんの期待と一抹の不安。

 この雨で、さくらはどうなるんだろう、と窓の外を見ると、写真のさくらはまだ頑張っていました。
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 新入生のために、もうしばらく頑張ってください。 お願いをしました:heart:

「決まりきったステップ」とはちがう一歩を踏み出したとき素晴らしいことは起こる

 
超介です。

 表題の内容は、「決まりきったこと」の中には「無意識の中に潜む固定観念」それもこの程度であろうという、一見「常識」的なものの見方、とらわれの「概念」からの脱出のすすめ、というような意味です。

 できるのに、できないと思い込んでいた自分に気がつくことがありませんか?もう年だから、男だから、女だから、田舎だから、内気だから、そうそう、上司があんなだから、幹部があんなだから、パートナーが〜だから、・・・・、と依存をして、何もやらないこと或いはできない理由を見つけようとしたりしていることはありませんか。僕はよくあります。

 でも、少しだけそのことに自覚的であるようになり始めたので、少しずつ変わるようになりました。できないのではなく、やらない、行けないのではなく、行かないと言う回数が増えました。

 ほんの些細な『違う一歩』であるのに、素敵なことが起こり始めます。心の中で自由を感じ始めるのです。その自由とは自分の生き方は自分で決める、本来もっていたのに、どこかで置き忘れていた自由だと思います。

 これは心の持ち方の問題ではありません。行動の変革です。

さくら さくら 力の限り咲く さくら

 超介です。

 さくら、さくら、力の限り咲く、さくら
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 松山では3月31日の日曜日、桜の最盛期を迎えました。土曜日から日曜日にかけては、お天気もよく、石手川公園、城山、道後公園、等をはじめいたるところでピンクの花が咲き、やさしい春の日差しの中で人々は過ごすことができました。

 私も、華やぐ薄桃色の雲のような樹木に見とれ、1日をすごしました。そうして、そのとき『力の限り』『精一杯』という言葉が心に浮かびました。華麗な花の美しさの奥にはある、ひょっとしたら、狂気にも近いひたむきさ。。

 その後これは、この桜からだけではなくちょうど今読んでいる、それこそ私の能力からすれば『精一杯背伸びした』語学力でもって読んでいる英文のペーパーバックの内容にも満ち溢ると。そこからも連想を呼び込む力がきたのだと。

 それがこれ
          『20歳のときに知っておきたかったこと』
         (WhatIWish I Knew When IWas 20)
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 訳書の帯には 
       いくつになっても人生は変えられる 
       「決まりきった次のステップ」とは違う一歩を踏み出したときすばらしいことは起きる。

 とあります。
   
  はじめは英文では挫折するかな、と思っていましたが読み出すと、何回か英文を音読し始めると楽しくなり、あと、2,3週間後には終えてしまいそうなのです。もちろん日本語訳を眺めつつイメージを捉えるのです。意外と英文のほうが著者の『思い』も伝わってくるような箇所があります。

  さくら、は夜も昼も美しく咲き、松山をまさにピンク色に染めあげてくれました。
  流れるようなさくら
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  よるもさくさくら
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  万華鏡のさくら
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さあ、新年度スタートです。

そら@内藤です。

私の学校では、年度末で異動された先生が大勢いたので
3月は大忙しでした。

そして明日は、もう4月1日。
新年度が始まります。

明日は、準備職員会や学年会です。
新しいスタートです。
頑張ります。

昨日・今日とリフレッシュしてきました。

上野公園の桜はもう終わっているかなぁと思いましたが、
寒さが戻っていたので、お花見も楽しめました。

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子育てって楽しいで〜!

教育コーチのあるくです。

京都では、
桜の花がいい感じにほころび始めました:-D

里帰りして約1ヶ月。

地元の生活にあっという間になじみました。

勝手知ったる我が家、
30年間住んだ地元、
長いつきあいの幼なじみたち。

なんとも幸せなことです:**:

先日、
幼稚園から高校まで同じ学校に通った、
幼なじみMの家を訪れました。

私より一足早く一児の母となったM。

「どんなおしゃべりができるかな〜」

と楽しみに訪問。

そんな私たちを4つのころから
見守ってくれているMのお母さんとしゃべるのが
これまた楽しい:heart:

30年前の新米ママの心境、
しつけの話、
学校の話、
習い事の話、
色んなおしゃべりに花が咲きました:heart:

帰り際には、

「子育てって楽しいで〜!
自分の知らない世界を子どもを通して
知ることができるんやから!」

とMのお母さん。

ハタチくらいの時は、
外で遊びたい盛りのMと
壮絶なバトルを繰り広げていたはず・・・。

思い切りぶつかるだけぶつかったあのとき。

今振り返って、
そんな風に思えるなんて、
素敵:oops:

母親の他にも、
素敵なおかん大先輩たちが
地元にいる私、
幸せ〜:heart:

おしょうさんの子育ち日記(3月その2)

教育コーチのおしょうさんです。

3月は別れの時期ですね。

小2娘の担任は、松本から小諸へ。

年少娘の担任は、車で30分以上かかる保育園へ。

それぞれ異動されます。

娘たちは、それぞれ、寂しさと、悲しさ、

そして、この1年に思い出にひたっています。

なぜか、翌朝、彼女たちは、具合が悪くなります。

ココロとカラダは、つながっているのですね。

そんな我が家で恒例の行事が、3月のプリクラを撮ることです。

上の娘が、1歳の誕生日から続いています。

本邦初公開?家族4人の写真です。

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無常

 超介です。

 徳島への高速道路上で桜の開花に気付きました。途中休憩の際立ち寄った吉野川SAでも咲き始めていました。
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    年年歳歳花相似たり  歳歳年年人同じからず

心にあらわれたのは次のこと
  今年も桜の花が毎年同じように清く咲く。
  出会いと別れの場面、不連続の人の生き様。

 連続な数直線を切断すれば、片方の端一点で決定することができるがもう一方は端がないということ。それが連続の意味(たとえば片方を1以上とすれば片方は1未満、1以上は、1が端で、その1点で終わり、未満のほうは永遠に1にちかより、端はありません)。ところが、人生の数直線は両方に端があるかのごとく、距離があります。それ以上は近寄れない。不連続なのです。

 不連続さに思わず、立ち止まり奈落の底を見るかのごとくの、厳しさを味わうのです。特に生き死にかかわらず、別離の場面では。

 でも、どんどん近寄ることができる人もいます。相手との人間関係は限りなく近くなってきます。(でもぴったりとは合わない) その条件は、関係つくりの、その人たちの言葉が何処から出てくるか、です。自らの心を振り返りながら、確かめながら言葉をつむぎだす人たちはどんどん近づいていけるのに。そうでない人とのギャップは、そのままでは埋まらない。

 これまでのコーチング体験で、そのことを強く感じました。自らの人生の課題と向き合って生きる人(たとえば病気、別れ(死別、離別)、起業、転職・・・・の時など)とのコーチングです。彼らは、自らの考えを、感じたことを振り返りながら、思考を重ね、五感をフルに使い、最後に直感で次の1歩を見出し発話します。

 僕は、そのような人たちと話をしてもらうことにより、たくさんのエネルギーをもらいます。クライアントもコーチもともに成長できる機会がセッションに出てくるのです。共生的コーチング。

ガッツの幸せ日記??

■私のなかの「ふたつの家族」:**:

先日、実家の父が体調を崩して手術をしました。
(父は昭和6年生まれ、母は9年生まれです)

病気とはあまり縁のない家族であったので、父の入院・手術は
実家の母、それに隣町に嫁いでいる四つ上の実姉までもを不安にさせました。
でもおかげ様で術後の経過もよく父は数日で退院できました。:-D

この出来事を通して私は何十年ぶりかで
幼いころの家族の味を感じることができました。:-P

私には現在、妻と3人の子どもの父親という大津の家族と
祖父母・両親そして姉の6人で18年間過ごした出石(兵庫県)の家族があります。
(大津と出石は車で3時間ほどかかります)

ここ30年の間は出石の家族のことは遠い遠い昔の記憶でしかありませんでした。8-|

しかし今回の、父の病気を通して姉を久しぶりに「ねえちゃん!」って呼んだり、
母の弱音を生まれて初めて聞いたりと・・・。8-|

そんなこんなで昔の記憶がドどっと雪崩のごとく蘇ってきました。:ase:

これからの人生は、昔の家族模様が自分のなかにちょくちょく現れそうです。

人生とはおもしろいです、楽しいです。ワクワクです!:hahaha:

※追伸:star1.0:

年初めに帰省した時のことです。
友人との話題が年老いた両親の介護問題が多くなっているなあと気づきました。

同じ大津に住んでいるS君はこの帰省で実家にワンタッチで画像が送られてくる器具を
設置したそうです。
それを毎朝、両親にボタンを押すように言ってきたといいます。

なんとも便利な世の中になったと思う反面、
いよいよ私たちの世代も子育てを終え、次は親の介護という年齢にきてしまったんだと痛感しました。