ありのままを受け容れる

栃木は雨が続いています。教育コーチの修業僧です。
 雨が降ったとき,傘を差すという行為をよく見かけます。私はよほどの雨,長距離ではないときは傘を手放して,雨を感じるようにしています。
人は不快にであうと,防御のために鎧や盾を装備して回避を試みようとします。怒り,絶望,あきらめ,といった怖れの感情から逃れようとします。
私の中にある自立は,「自己を受容する」があります。自己受容は,いい自分,イケていないと感じる自分,不快な感情になっている自分,それらがすべて自分であると認めていくことでもあります。
自己受容のトレーニングとして,雨に抵抗せず,ありのまま受けてみよう。雨が不快と決めるのは早いのかもしれない。なんて考えながら少々の雨を受容しています。
 そもそも,人,雨は原子や素粒子レベルまで分解すれば同じエネルギー体として見ることができます。すると,「自分と同じものを拒否する自分って何だ?」と自問が沸いてきます。
 雨に抵抗することは,ひょっとしたら,自分に抵抗していること,世界に抵抗していることなのかもしれないな…。と思ったりしています。
「雨の日は傘を」という常識の中にも,自己を探求する素材はあります。
みなさまも,日常の中から自己を探求する気づきにたくさん出会えますよう…。

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