やはり「繋がりの中にいる私」

こんにちは。おばあちゃん子だったいっすぅぃ〜です。

木曜日に妻の祖父が亡くなりました。98歳でした。
その日の朝、「食べなくなった。けれど点滴は打たないようだ」と聞き、食欲がないというのは、、、と覚悟をしていた矢先のこと。ですが、亡くなった日の昼には、妻の父や母が会話を交わしたと話すように、突然のことでもありました。というわけで、昨日は葬儀でした。

祖父が住むのは、四日市の山の方、菰野という場所です。志賀直哉が『菰野』という小説を残していたり、昨年『グッドラック〜恋結びの里』という映画が放映され、少し名前が売れている地域です。

そんな小説や映画に残されているのは、趣があったり、日本古来の<型>が残っているからでしょうか。今回の葬儀にあたって感じたのは、地区の方々の「繋がりの深さ」と「伝統」でした。地区の方々が通夜の段取りから運営からとお手伝いをいただき、儀式も流れていったのです。

お葬式の後に火葬、その後家に戻ってお寺さんや地区の方々に来ていただきお参り、これからの日程を決めて墓地へ、地区の大きなお墓を参ってから家のお墓をお参り。と一連が進んでいったのです。色々と知らないことの連続で、土地の風習・慣習に溢れ、興味の沸くものでした。全てが終えたのは5時あたり。まさに一日掛かりではあったのですが、その団結力、手際のよさ、風習の意味に関心してばかりの一日でした。

子供たちは今日も、♪そうだ僕は僕だけで出来てるわけじゃない 100年1000年前の遺伝子に 誉めてもらえるように いまを生きてる♪と歌っていました。考えてみると、目の前に100年前の遺伝子がいたんじゃない、と微笑み、語っていました。

One thought on “やはり「繋がりの中にいる私」”

  1. キヨシです。
    私の父方の祖母が亡くなった時も、
    近くの公民館で町葬のようなものが
    あり、多くの方に見送っていただいた
    ことを記憶しています。
    生きてる生きてく。
    ですね。

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