「愛する」について(その6 心のモードチェンジ)

 超介です。

 一日の終わりに、その日のことを思い出したり、朝、前日のことを思い出したりする人は多いと思います。心の中が雑然、ざわざわしてくるとき、さまざまな不安定さを伴う心中、鎮魂し、モードチェンジを行います。

 分析思考傾向が強くて、ついついこれまでの経験、体験、環境と心の不安定さを関係づけてしまいがち。でも分析しても心、鎮魂せぬことの方が多く、分析せずにありのままを受け取ろうと。(じぶんをゆるす)

 目を閉じ、何かあるいは誰かからの、『やらないといけない攻撃』(これは他人からの、どこか依存した思考、自分自身からではない)を脇におき、自分を取り戻す、自分だけになるのです。物思いにふけるように、自分ひとりになろうと、心に決めて。

 どんなところからでもよい、他人の思考に依存しないで生きようと決意して(まるで中学生か、高校生のようですね。五十路の半ばなのに!!)います。壁にぶつかり、心が折れそうになるたび、『いかん、いかんよりかかっている、しっかりせい』と。

 ふと気が緩み、どうかした瞬間に、『愛される人になりたい』と依存してしまい、卑屈になります。そうではなくて『愛する人になること』を選択します。でも、まだどこか甘えが出、同時に安易な感情に押し流され、やっと依存心に気がつき、鎮魂、自分を取り戻すことを始めるのです。

 それでモードチェンジを試みます。

 心全体のモードチェンジ、次元をあげる。
 
  超えるぞ、 進化していくぞ、と。

2 thoughts on “「愛する」について(その6 心のモードチェンジ)”

  1. りんです。
    何歳になっても、甘えたい:heart:
    私も、あります!
    かわいくっていいです、超介さん。
    それもあり:oops:
    超える、進化するもあり:mrgreen:

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です