作物育て から 作物育ち (その2)

 生きる力は重要ですが、力は見えません。それらは感じることはできます。電気もエネルギーもそうです。目に見えるわけではないけれど、その効果をそれらが流れている時に感じます。

 だから生物本来の力、というものは目に見えません。でも、たとえばこのブログの「そら日記」で掲載されている「そら」さんの鳥、花、虫たちの写真を見るときに、僕はそれを感じます。皆さんはどうですか?生物本来の持っている力があるように「そら日記」の写真から感じませんか?

 そして、抽象的な大切なものは言葉、写真、絵、工芸品,音楽、それから仕事も、形態はさまざまですが「表現」されないと、みえなくなってしまいます(当たり前ですけど)。それが創造という行為の価値だと思います。

 大切なことは表現され続けないと、伝わっていかないし、存在すらやめてしまう。生物本来の力もそういったもので、それを大切にしていかないと見失われてしまうと、思います。生き物に、無制限な人のエゴにまかせた人工的な手入れをし続けると、見失ってしまうのではないかと、そのように書きました。(9月13日の 超介日記 に)

 生物本来の力を信じた農業(作物育ち)とは、具体的には次のようなことだと思います。日本の伝統的な農業の中で使われる「丹精込めた作物作り」というとき、それは根から茎、葉、花、果実、そして土、気候までも配慮し、種子から発芽して開花、結実するまで、常に「植物全体」に配慮した作物作りということだと思います。これが「作物育ち」を支援する農業「丹精込めた作物作り」だと。つまり存在の承認を大切にする農業が「作物育ち」です。

2 thoughts on “作物育て から 作物育ち (その2)”

  1. 超介さん
     ありがとうございます。
     私の写真をそんなふうに
     感じて下さっている方がいると思うと
     恥ずかしいのですが、でも、とっても嬉しいです。
     自然そのものを承認する農業
     作物が育つ力を支援する農業。
     なるほどなあと思いました。

  2. キヨシです。
    確かに伝わります。
    私たちの見方ひとつなのかもしれないですね。

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