情報を共有する

超介です。

話されるコトバ、書かれたコトバは単なる記号である。だけれども情報はその記号の下にたくさんの意味、内容、マインドやらなにやら(こういうのをコンテクストというらしい)をぶら下げている。つまり海に浮かぶ氷山で言えば海面上に出ているのがコトバ、それの何倍もの体積をもって海面下にあるのがコンテクストだ。

チームで仕事をする時、それが会社であれ、何であれ、このコトバの底にあるコンテクストを共有していればコミュ二ケーションがスムーズにすすむ。

コーチングに出会うまでは、そのことを意識していなかった。正しい考え方、進んだ考え方、適切な考え方(記号としてのコトバ)を示せば人は動くと考えてきたようにおもう。(ずいぶん冷たい奴だと、思われたこともあったに違いない。)

コトバのみで動いてくれる人、動ける人もいるが、でも大きな力、或いはえられる喜びは薄いのではないか?

人と一緒にいるためにはその氷山の一番下まで感じることが大切だ、とわかった。阿吽の呼吸で仕事ができるのはお互いにそのレベルまで情報が共有されているときである。

それで、僕は仕事のやり方をもっともっと情報を共有できるようにと変えている。プロセスから関係者と一緒に進むようにしたい。そうすれば情報の共有具合が高まり、成果も高まるし、得られるものが大きいと考えるからだ。(もちろん時と場合によるが。)

コーチングはみんなと「一緒にいる」ことの重要性を教えてくれた。「私達が・する」このフレーズの使い方の大切さを教えてくれた。(もちろん「私が・する」も大切であるが。)

それが広がり、多くの人と大切なコンテクストを共有できることができれば、もっともっと生活しやすい環境ができるに違いない。コーチングが広がっていくその原動力の一つはそこにあるに違いない。人と社会が進化していく道の一つに違いない。

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