7月の体験セミナー

山形のね↑です。
7月23日(月)、体験セミナーを開催しました。
受講者は最近お知り合いになった方で
キャリアコンサルタントや産業カウンセラーの資格を持ち
就職セミナーや、企業コンサルなどをしているキラキラママ。
好きな仕事ですが、もやもやすることもあるそうで…
キツネとタヌキのアニメをご覧になって
「私、今日キツネだったんだわ」とポロリ。
「あの人がドキツネだ」ではなく、「自分が」。
人のせいにせず、自分のことをしっかり顧みる強い芯を感じました。
職場の人間関係や、お子さんとのかかわりや、ご自分と親とのかかわりなど
いろいろと思いを巡らせた2時間だったそうです。
こんな風に、毎回「意味のないことは起こらない」
魔法のような出来事に、感動するね↑でした。体験セミナーまなびのいえ7月

6月の体験セミナー

みなさんこんにちは!
山形県のコーチのね↑です。
6月19日(火)にまなびのいえで体験セミナーを開催しました。
「ママコーチとしての視点、かかわりをもつ」ということに
目からウロコ!だったそうです。
小学生と幼稚園のお子さんのママであり、
子育てや女性支援をしている団体の職員をされている
とっても愛くるしいママさんです。
新しいこと、面白そうなことにどんどんチャレンジし
子育ても楽しむママ、なんてすてきなんでしょう。
ママの素直さやお茶目さにすっかりうれしくなったね↑でした。
まなびのいえでは
できる限り毎月「体験セミナー」を開催できるようにしております。
東北の方、ぜひぜひお越しくださいね。
体験セミナーまなびのいえ

弱さの指摘が意味を持つとき

超介です。
何かができないことを指摘することは、しかも原因付き、理由付きでそうすることは、できる人からすれば容易ですが、それが相手にとって意味があるかどうかは別です。意味があって、良い方向に相手が向く場合もあるし、向かわない場合もあります。
原因や理由を見つけたことで有頂天になってしまい、そのことを得意げに伝える、などの失敗を何度も繰り返してきました。最低もう一段深く構えておくべきなのに。親御さんから親子関係のお話を伺う時にも、それを感じることが結構頻繁にあります。
もちろん、もう一段深い構えとは、相手の状態を踏まえているかどうか、です。それを伝えるとき、相手がそれを承認できるかどうかです。当然ですが、受け入れることができない状態では伝わりません。伝わらないし、関係やら、事態を悪化させることが起こり得ます。
教育コーチングで扱うのは、その相手の状態、関係に関わることです。そこを大切にします。じっくりと、ゆっくりと確かめながら進めるのです。
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目標を見失う

超介です。
毎日、繰り返して反復練習もして効果も出てきてたのに、途中で継続することに最初ほどは意欲的になれなくなるときがあります。
一時期は、少し焦って力を入れて練習や学習を継続するようにしていましたが、この頃はそれから離れられるようになりました。その事態を承認します。理屈ではなくて、心がどういう風になっているかを感じるのです。言葉にできる理由があるかもしれないし、ないかもしれません。その上で、再開するときもあれば、やめてしまうこともあり得ます。
何かをみうしなってしまうとき、焦って次の行動を繰り出すのではなく、一旦立ち止まって事実をじっくり味わい次を選択したいと思います。
コーチとして自分をコーチできるようになりつつあるのかなあ?
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宝石に変わる

超介です。
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始める時には、義務感やら目的感から「やらねばならぬ、やるしかない」と始めた行為が、一定の期間それが継続できると、時に急に効果が上がり始める。それで効果ありとして、目的を達成してなくても途中でやめるのも良い。
時には、他の事情で継続が困難な時もありうる。その時、振り返ればはじめは「やらねばならぬ、やるしかない」と始めた自分の気持ちが「やりたい」に変わっていることに気がつく。
それは炭素が高温高圧下でダイヤモンドに変わる様に、美しく変化し宝物になるのと似ている。
その時のことを「心の発火点」と命名し、運営している塾の理念にした。
一流と呼ばれている人たちはそのことがよくわかっていて、それをそれぞれの言葉で残している。エジソンは電球のフィラメントの素材を発見するのに数えきれぬ試行をしたが、それは失意の繰り返しではない、としている。
その変化は誰かにコントロールされることではない。自分で行動し気がついていくことである。自立がベースになっている。

2018年農業中間報告

超介です。
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会社人としての人生から第二の人生に入って4年が経過しました。今年は自宅の田圃の米作りをきちんとやろうと決めました。田作り、田植えを終え70アールほどの田圃には今青々と稲が育っています。
特別な思い入れや目的があったわけではありません。家族がやってきた農業、田んぼも畑もあるし、農機具も揃っている。父が一昨年他界し、母も農業をやるには高齢すぎて無理になりました。他の人に依頼してやっていただく選択も、田圃をほっておく選択もありました。選択したのは今年はお米作りに専念することでした。農業をすることに興味があったからです。それに、食料の供給は大切な仕事です。
田植えと稲刈りは一人では負担が大きすぎるので手伝ってもらう人を頼みますが、他は自分でやろうと。
そこに道があるので歩いてみよう。風景が違って見えるかもしれないと。その程度の思いで始めたのですが、作業の種類と時期、内容、方法、そしてそれぞれの作業に必要な農機具(トラクター、田植え機、草刈機、肥料頒布機、溝切り機、運搬機、コンバイン等)の使い方とメンテナンス等体験できる内容豊富です。大変苦労するし、疲れるしでも充実感ありです。
目的を決めて邁進するのもいいですが、そこに道があるので歩いてみよう、から始める生き方もいいと思います。

思い込みのあやうさ(その3)

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自分には数学ができない、と思い込んでいる人がいたとします。塾を運営しているとよく出会います。
その思い込みはなかなかはずしがたいです。チャンスは自分にできることを取り扱うことから生まれます。その目的は自信をつけてもらうことです。できない重力圏から、自由な宇宙空間へ飛び出す時に必要な最低限のエネルギーを蓄えてもらうことです。
そのために私がコーチとしてやっていることは、環境の整備と提案です。やってはいけなくて、かつできることは、やはり、このひとはできないんだ、という思い込みです。これを脇においておくことです。さらに、提案をしてそれを受け入れてくれなかった場合に、それを私が承認できること、そのような提案しかしないことです。
この間の事情は結構複雑です。かつ心の中で行ったり来たりがあります。こうしようか、ああしようか、とかその提案がどこからきているのか考えたり、迷ったり。
極端な場合、表向きは提案を装っていても、実はじぶんの思い込みを確認するために提案して、やっぱりできないね、という確認を得るための行動ではないか、とか。
スマートではありません。結構ドロドロやってます。
 

思い込みのあやうさ (その2)

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そうであろう、と無意識に思い込んでしまっていて、でも現実は違っていてショックを受けてしまう、そんなことが時に起こります。自然災害などもそうです。
無意識な思い込みは、変化が想定できない状況になっているのですが、それは変化を想定することにエネルギーが必要だからであることと、起こる事がすごく稀なことをいちいち想定していたら生きにくくなるからです。
私の場合の最近の例です。母親の老化にハッと気がついた瞬間がありました。医療機関でその事実を確認した時にはショックでした。そういえば、と思い至る状況がありましたが、その時々は何事もない母の後ろに隠れてしまい、というか私が隠してしまい事実を突きつけられるまで認識できていませんでした。
人を外観でパッと判断することは、おそらく人類が長期間、本当に長期間敵や環境と直接に戦って生き残って適応して磨いてきた能力でしょうから、それは自由に操られる必要があります。
そのような気づきがうまくいくためには、興味と関心がその対象に注がれている事が必要条件です。無関心な対象には気づきは起こりえません。

思い込みのあやうさ

超介です。
あの人はあのような人であると、肯定的にしろ、否定的にしろ思い込んでしまうことは人間観として正しくはありません。
正しくはないのですが、そのような思い込みで人を見てしまう弱さを私たちは持ちやすいようです。そう思った方が理解しやすく、何かの説明をしたり、時には自分の行動を正当化しやすいからです。
特に自分の近くにいる人ほどそのような目で見てしまい、時には関係をうまく作れないことがあります。ありのままの事実を承認することのなんと難しいことか。そのようにできない自分の中に潜んでいるものは何か?
事実を承認して、そして何ができるかを考えて行動できる人でありたいと思います。
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生きてるなぁ

試験監督。 選択授業の、特別教室での試験監督。
会場では、静かに時が流れていく。
私はスペースの空いた教室後部に立っていた。
生徒たちのシャープペンシルが立てる音、消しゴムが弾む音、紙の音、そんな音が教室を満たしていた。
新鮮な空気を入れようと思い立ち、窓を開けた。
すでにテストを終えた生徒たちが足取り軽やかに歩いている。
バイバイと手を振りあっている。
新緑の木々が目に眩しい。
通学バスがうなりを上げて出発する。
向かいには体育館。
耳をよく澄ますと、申し訳なさそうにバスケットボールの弾む音。
その瞬間、風がふわっとカーテンを舞い上げた。
 
今日はいつもと趣向を変えて。
なんだか「生きてるなぁ」と感じたもので。
Honesty is my policy! いっすぅぃ~でした。