対等な関係

教育コーチの修業僧です。
長女の観察日記です。
ピアノを弾きたいと願いながら,手つかずで,娘が習うことで,その夢がプチ実現中です。
「お父さんここだよ」。ヘ音記号の「ド」の音符の位置をはじめてしりました。ト音記号のさらに続きとして見るんだそうです。教科書で見たはずなんだけどな…。
音符をみても,鍵盤のドの位置とすぐにリンクしない。時間がかかる,間違える。思いどおりにできない。
一緒に娘が同じ鍵盤で,となりで練習している。
おんなじじゃなか。
どこかの社会的な一面で見たら上かもしれないけれども,ピアノは同格,いや,練習量からすでに負けている…。
人は多面的に見ると長短それぞれで,全体としてみたときに,平等で横の関係からできている。上や下を決めつける自分は安心や承認,居場所がほしいのかもしれません。
上で居たいということは,誰かを下に見ていること。下にみられた誰かは,居場所づくりに,他の誰かを下にみることがあるようです。生き方は連鎖しています。
個とは上も下も社会的な立場も超越したところにある根源的なもの。そこでは,すべてが同じ生命として同じ立場で尊重されるのだろうと思っています。
真の平等とは凸凹をならして平らにしていくことではなく,互いの凸凹を受容して同じと思える感覚と先にあるようです。
自分もまだまだこれから。修業が足りないな。

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