捉え直しをする(その3)

超介です。
 
 悩んでいる問題が解決できると、そのことから自由になるので、晴れやかな気持ちで前へ進めます。そのときは、問題に関係することがらとのつながりがわかって全体が見通せたような感じがします。コーチングをうけて、自分の中にある言葉を探し出してみて、その解決案を導きだすことがあります。本を読んでその中からぴったりくる考え方に気がつくこともあります。

 人事上のトラブルに遭遇したとき、解決者としての立場で対応するとき、この捉え直しをしてもらおうとしたことがありました。Aさんのaという考え方、Bさんのbという考え方が対立しているときAさんにb,Bさんにaの考え方を理解してもらうことになります。それが理解できれば解決策が出てくると思って私は対処します。でも、なかなか解決はしません。お互いの話を伝えたり、議論してもらったりします。当事者同士が話をするのが早いのです。私たちは相手の考えを類推しますが、Aさんはbの考え方を間違えて捉えることが多いので、直接に話し合うことが一番なのです。

 その場ではうまくいかなかったとしても、あとでわかるかもしれないので、現場で、当事者と情報共有につとめてもらうことが一番です。でも、それが実現しないことが度々あります。私がもし当事者であれば、それは自分が変化することに対する抵抗ではなかろうかと思えます。ちっぽけな自分、受け身の自分。自己開示と相手との交流への恐怖は、ひょっとしたら幼いときのいじめの体験からかも知れません。でもそのことは、もう振り返ってもあまり意味はありません。行動するかどうかの選択にこそ意味があります。

  捉え直しをすることの効用は、自己啓発やら、起業家精神等についての書物でもたくさん見受けられます。私は「原因と結果の法則」やら、「20歳のときに知っておきたかったこと」(テイナ・シーリグ)を読んで多いに触発されました。

  それで、ipod をオンライン購入したときその背面に「気高い夢を見る。私はその通りの人になる。」と刻印してもらい、いつもそれを見ます。

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