とらえ直しをする(その2)

超介です。

  純粋に、事物だけをそのままに見る、ということは難しいことです。いつも私たちは何らかの思考枠にとらわれてしまう、何かのバイアスがかかっているのです。そもそも何もフレームを持たずには見る、という行為は成り立たないのです。

  たとえば、時系列抜きに思考はできません、そして時間は人が考えた枠です。自然は時間とは別にあるんだと思いますが、そのような世界に人は足を踏み入れることはできません。もしできれば時間旅行の可能性がひらけます。そのようなことはありえないでしょう。

  だから、概念で事物を見ているという事実を理解できていて、必要に応じて捉え直しができれば良いと思います。

  壁にぶつかったと感じたとき、その壁の向こう側へいくのであれば、壁を捉え直せばよいと。私は、これまでの人間関係において、何度も失敗をした、と思ったことがあります。最近も過去の人間関係の出来事を夢で見て、夢からさめて強い感情が起こりました。その感情は後悔につながりました。そして、まさに”自動的”にこれからは、このことに負けない生き方をしよう、と決意をしてしまいます。

  そして、過去のことを夢で思い出して新たな決意を”自動的”にする、ということの中に、まだそのことから自由になっていない、という事実があります。

 そのように起こったことに対して、上のように反応することは一つの形としてokだとは思うのですが、一方で狭いとも感じます。夢からさめて1週間ほどたった今、その決意は何だったろうと思ったりもします。いまは、夢から覚めて起こった強い感情の、そのもとをたどりたいのです。

  そのもとの事柄をたどって言葉できちんと説明できたときに、それが捉え直しができたということであり、そこから始まる決意はもっと自然で、身体でわかったように思えて、長続きしていくことが、きっとできます。ちなみに、今回のことについて、私は、まだそのもとまでたどりついていません。宿題を残しています。

2 thoughts on “とらえ直しをする(その2)”

  1. そうですね
    キヨシさん
    思考をくりかえして
    いくたびに少しずつ
    広い世界で生きたいです。

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