見えない、気がつかない、酔ったうさぎ

不明航空機の事故のニュースを見聞きしながら思い出した本があります。昨年の夏頃読んだ「パイロットの妻」です。この本はパイロットの夫の飛行機が墜落します。そして、妻の追跡により、その原因が徐々に明らかになってきます。分からなかった夫の心、夫は、実は別の人物として国外で妻子を持って生活していたことが明らかになってきます。妻には全く信じられないことが起こっていて、実は事故の原因にも繋がっていた、というストーリー。

「こと」に関連したことが身の回りにないと気がつかず、まさかそんなこと、起こらないだろう、そのことについて考えすらしない、そういうときがあります。そんな経験が僕にも幾つかあって、怖い思いをしたことがあります。そのひとつ、この松山は温暖で大きな災害もない地域だと思っていました。でも、つい2週間ほどまえ、3月14日の午前2時頃、震度5の地震には驚かされました。南海トラフの地震ではなかったようですが、こんな「地震などおこらないだろうと思いこんでいたこと」に気づかされました。2001年の芸予地震を経験をしていたにもかかわらず。

見えていないことは、見ていないからであること、読書にもそれが表れます。久しぶりに「三四郎」を読み返しました。5年ほど前にも読んだことがありますが、今回は前回と比べてとても面白く読め(たと思い)ました。今から100年以上も前に書かれた小説であるのに、明治時代の人たちの生き方、感じ方がとても新鮮だったのです。5年前、それ以前にも何回か読んで、筋がだいたいわかっていたし、この小説について書かれた文章も幾つか読んだからでもあるのでしょうが、いままで、そのような面白さに出会っていなかったのです。同じ文章なのに。

最近、電子ブックを手に入れ、寺田寅彦の随筆を一つ読みました。「数学と語学」というエッセイです。その中に言葉の限界性というようなことが述べてあり、言語について「うさぎの足跡」という形容があります。書く側から言葉を捉えていくとき、言葉を重ねていくと、意味が飛び跳ねて何処かへ行ってしまう、当初とは思わぬ処へ流れてしまう、というような意味です。言語化出来ないこともあるし、出来得ることも不適切にしていることもあるし、まさに僕など、「酔ったうさぎ」です。せめて、「醒めたうさぎ」になろうと思います。

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