サーカス

先日、生まれて初めてボリショイサーカスを観てきました。

楽しかったです。
これ、子供の頃に見ていたら、サーカス団員になりたくなっただろうな〜
などと、アクロバットや空中ブランコにうっとり。

拍手喝采です。:-P

どんな雰囲気かというと、こんな感じです。⇒http://www.bolshoicircus.com/
人間が練習を積み重ねればこんなことも、あんなことも、
できてしまう!驚きである。

また、ライブなので失敗もあったりするところが人間的。

当日、空中ブランコでは大技が失敗。
落ちてしまった!
といっても、下にネットがあるから大丈夫なのですが…。

そんな楽しかったサーカス。
しかし、何やら哀愁のようなものも感じられる。

そして思い出したのが、サーカスではないけれど
大道芸人の生活を描いた映画、フェリーニの「道」。

この映画、
欲するまま、わがままに生きてきた主人公ザンパノが、
人生に仕返しをされる話だと、
学生の頃は勧善懲悪的な解釈で片づけていたのだが、
急に記憶の中からテーマ音楽が聞こえてきて、
数年前、懐かしさがこみ上げ、再度見てみたら、
ああ、これはヒトが人間に生まれ変わる映画なんだ〜
と感心することしきり。

それにしても、人間で「ある」こと、
「愛」に気づくために、なんと大きな代償を払わなければならないのか。

汗をかき、涙を流し、心の血液まで振り絞るような。

きれいごとだけではない、格好の悪さも存在する。
生きていく中では、影の部分もあるだろう。

そこに哀愁のようなものを感じたのだろうか?

華やかなサーカスの舞台のための苦しい練習。
どこまで行ってもアナログの積み重ねの世界。
それが本番のステージの一瞬に集約されている。

もう一つ、芸人(ウェスタン・ショー)の映画で
「硫黄島からの手紙」で知られる
クリント・イーストウッド監督の作品、
「ブロンコ・ビリー」(この映画、かなりマニアック)

観ていて映画がどこにたどり着くのか全く分からない。
こんな展開じゃあ映画自体がおかしくなるのでは?
と私などがでしゃばって心配してしまうところもしばしば。
でも、生きることが筋書き通りでないことは
監督が一番知っていること。

その映画の中で、団員の女性が 「なりきればいいのよ」と
落ち込んだ同僚に提案するシーンがある。
「しっかりね!」でも、
「頑張ってね!」でもなく、
教育コーチングさながらの素敵な言葉を投げかける。

「(あなたのなりたいように)なりきればいいだけよ」と
非常に優しく深い言葉だと思った。

あのボリショイサーカスの人たちも
スターの自分になりきって、また明日も舞台に立っているのだろう。

そうやって人間の世界は
拍手と練習のサンドイッチを積み上げているのだなと。

私の日記は到底拍手には及ばないのですが
拙い文章を読んでいただき、ありがとうございました。

5 thoughts on “サーカス”

  1. フェリーニの映画には、あっちこっちに「サーカス」が出てきますね。
    彼が幼少の頃、「娯楽の最高峰」であったろうし、大好きだったんでしょうね。

  2. キヨシです。
    私も幼少の頃に、「木下大サーカス」を観て以来、
    サーカスが大好きです。
    いつも催されているわけではありませんが、
    近くに来ると行きますよ。
    サーカスで思い出すのは、私はさだまさしさんが
    主演をされた「翔べイカロスの翼」です。
    この挿入歌の「道化師のソネット」
    私の大好きな歌の一つです。
    みなさんも聞いてみてください。

  3. ボリショイサーカス、子どもが保育園の時に一度観に行きました。
    サーカスって案外小さな会場でやるんやな!
    というのが第1印象でしたが、ショーが始まるとかぶりつきになった。

  4. 超介です。
    サーカス
    古い記憶の中に
    動物のにおいとともにかすかに
    見たような気がします。
    見られることを仕事にすること
    子供心にそのことのつらさ、厳しさ
    を感じ取ったような・・・。
    どこから哀愁はくるのでしょうか。

  5. いっすぅぃ〜さん
    フェリーニはたぶん好きだったと思います。
    愛情のようなものを感じますね。
    キヨシさん
    「翔べイカロスの翼」ぜひ観てみます。
    挿入歌の「道化師のソネット」も併せて!
    KIDさん
    はじめましてコメントありがとうございます。
    おっしゃる通りかなり狭い空間で演技は行われます。
    茶室・・・ではないけれど、ある意味
    極限までのスペース効率と型が完成されているのでしょうね。
    そこに夢を充満させて。
    超介さん
    確かに見られることのつらさ、厳しさ
    あるのでしょうね。
    そのあたりからも哀愁は感じられるかもしれません。

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