宝石に変わる

超介です。

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始める時には、義務感やら目的感から「やらねばならぬ、やるしかない」と始めた行為が、一定の期間それが継続できると、時に急に効果が上がり始める。それで効果ありとして、目的を達成してなくても途中でやめるのも良い。

時には、他の事情で継続が困難な時もありうる。その時、振り返ればはじめは「やらねばならぬ、やるしかない」と始めた自分の気持ちが「やりたい」に変わっていることに気がつく。

それは炭素が高温高圧下でダイヤモンドに変わる様に、美しく変化し宝物になるのと似ている。

その時のことを「心の発火点」と命名し、運営している塾の理念にした。

一流と呼ばれている人たちはそのことがよくわかっていて、それをそれぞれの言葉で残している。エジソンは電球のフィラメントの素材を発見するのに数えきれぬ試行をしたが、それは失意の繰り返しではない、としている。

その変化は誰かにコントロールされることではない。自分で行動し気がついていくことである。自立がベースになっている。

2018年農業中間報告

超介です。

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会社人としての人生から第二の人生に入って4年が経過しました。今年は自宅の田圃の米作りをきちんとやろうと決めました。田作り、田植えを終え70アールほどの田圃には今青々と稲が育っています。

特別な思い入れや目的があったわけではありません。家族がやってきた農業、田んぼも畑もあるし、農機具も揃っている。父が一昨年他界し、母も農業をやるには高齢すぎて無理になりました。他の人に依頼してやっていただく選択も、田圃をほっておく選択もありました。選択したのは今年はお米作りに専念することでした。農業をすることに興味があったからです。それに、食料の供給は大切な仕事です。

田植えと稲刈りは一人では負担が大きすぎるので手伝ってもらう人を頼みますが、他は自分でやろうと。

そこに道があるので歩いてみよう。風景が違って見えるかもしれないと。その程度の思いで始めたのですが、作業の種類と時期、内容、方法、そしてそれぞれの作業に必要な農機具(トラクター、田植え機、草刈機、肥料頒布機、溝切り機、運搬機、コンバイン等)の使い方とメンテナンス等体験できる内容豊富です。大変苦労するし、疲れるしでも充実感ありです。

目的を決めて邁進するのもいいですが、そこに道があるので歩いてみよう、から始める生き方もいいと思います。

思い込みのあやうさ(その3)

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自分には数学ができない、と思い込んでいる人がいたとします。塾を運営しているとよく出会います。

その思い込みはなかなかはずしがたいです。チャンスは自分にできることを取り扱うことから生まれます。その目的は自信をつけてもらうことです。できない重力圏から、自由な宇宙空間へ飛び出す時に必要な最低限のエネルギーを蓄えてもらうことです。

そのために私がコーチとしてやっていることは、環境の整備と提案です。やってはいけなくて、かつできることは、やはり、このひとはできないんだ、という思い込みです。これを脇においておくことです。さらに、提案をしてそれを受け入れてくれなかった場合に、それを私が承認できること、そのような提案しかしないことです。

この間の事情は結構複雑です。かつ心の中で行ったり来たりがあります。こうしようか、ああしようか、とかその提案がどこからきているのか考えたり、迷ったり。

極端な場合、表向きは提案を装っていても、実はじぶんの思い込みを確認するために提案して、やっぱりできないね、という確認を得るための行動ではないか、とか。

スマートではありません。結構ドロドロやってます。

 

思い込みのあやうさ (その2)

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そうであろう、と無意識に思い込んでしまっていて、でも現実は違っていてショックを受けてしまう、そんなことが時に起こります。自然災害などもそうです。

無意識な思い込みは、変化が想定できない状況になっているのですが、それは変化を想定することにエネルギーが必要だからであることと、起こる事がすごく稀なことをいちいち想定していたら生きにくくなるからです。

私の場合の最近の例です。母親の老化にハッと気がついた瞬間がありました。医療機関でその事実を確認した時にはショックでした。そういえば、と思い至る状況がありましたが、その時々は何事もない母の後ろに隠れてしまい、というか私が隠してしまい事実を突きつけられるまで認識できていませんでした。

人を外観でパッと判断することは、おそらく人類が長期間、本当に長期間敵や環境と直接に戦って生き残って適応して磨いてきた能力でしょうから、それは自由に操られる必要があります。

そのような気づきがうまくいくためには、興味と関心がその対象に注がれている事が必要条件です。無関心な対象には気づきは起こりえません。

思い込みのあやうさ

超介です。

あの人はあのような人であると、肯定的にしろ、否定的にしろ思い込んでしまうことは人間観として正しくはありません。

正しくはないのですが、そのような思い込みで人を見てしまう弱さを私たちは持ちやすいようです。そう思った方が理解しやすく、何かの説明をしたり、時には自分の行動を正当化しやすいからです。

特に自分の近くにいる人ほどそのような目で見てしまい、時には関係をうまく作れないことがあります。ありのままの事実を承認することのなんと難しいことか。そのようにできない自分の中に潜んでいるものは何か?

事実を承認して、そして何ができるかを考えて行動できる人でありたいと思います。

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良い質問(理由を説明する)から日本語が鍛えられる

超介です。

    メタ認知も言葉で行いますから的確な日本語を有していないとそれは始まりません。比較的簡単な、ゲームのような思考はそれほど多くの日本語は必要ありませんが、少し込み入ったり抽象的な思考をするにはそれ相応の日本語を駆使しないとできません。私は、日本語で書かれた英語の文法書などでさえ、未だにすぐに理解できず(笑)、哲学書などはチンプンカンプン、論理を追うことができません。私は、本を日本人の平均と比べても多く読んできた方だと思うのですが、言葉は少し知っていても思考は深くない(恥!)とよく感じます。

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  かつて、仕事上の必要性から、論理的思考等の本を読んだり、フェルミ推定の問題を解いたり練習してきましたが、実生活において思考の積み重ねをした経験が少ないので、身についているとは言い難いと感じます。日本語が使える、ということは日常会話ができるというだけではなく、実生活や仕事上の課題を見つけて、理解して、さらに答えを見つけるということができるか、です。なぜならば、それらは全部日本語を使って考えているからです。どうすれば良いだろうか、という問いと、その答えも日本語でおこなっているからです。その思考はAIには絶対にできません。

    それは日常生活で感じる疑問を大切にし、その答えを自分の頭で考えることから深まっていきます。世界について興味を向け始める子供の時代から、その思考が、つまり日本語が、習慣付くと効果的です。そのような疑問が普通に起こる環境は自然にこそ多くあると思います。自然で遊ぶことから子供はそれを学ぶことができます。それはその人の成長の鍵になると思います。

必要な努力を理解する(メタ認知と日本語)

超介です

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クラシックギターを練習する時、ひとつの曲が弾けるようになるまでに、現在の私の実力の場合は、1、2分程度の簡単な練習曲ですが、いくつかの段階を経ます。まずその曲がどのようかを譜面や、時には音源が有る場合は、それを何回か試聴して理解します。そのつぎに右手と左手の運指を一小節づつ譜面を見つつ確認します。それできれば、最初はゆっくり弾いて、それを繰り返します。譜面を見つつ一通り弾ければ、その後は繰り返しです。いまの私のレベルで、次の曲に進むためには、およそ300回は最低でも繰り返さないと到達出来ません。ということが分かりました。そして現在、課題として練習する曲の場合は、1日最高5回まで弾くことにしていまから、最低でも2ヶ月は練習することにしています。

もちろん、生まれ持っての「才能」とそこまでの学習体験による差はあるでしょうが、ある分野での学習をしていく時に、どの程度の努力とトレーニングを伴う作業が必要かを理解することはとても大切です。それがないと、そもそも継続ができません。このために必要な能力がメタ認知、つまり客観視です。人の学びをサポートする仕事をしていて、このメタ認知、客観視する必要性を感じ、また学ぶ人にそれどう理解してもらうかに注力しています。

このメタ認知、客観視する力を支えるのが私の仕事においては、言語力だと感じています。言葉で伝えようとする時に、その言葉の意味を相手が理解できていない、あるいは実感できていないと、伝わらないように思えるのです。会話レベルの日本語だけではなく、思考を支える日本語を駆使できないと伝わっていかないように感じます。

徹底してやる

超介です。

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社会が苦手な中学生が、春季講座で学校の課題をこなしていました。1回めは教材に書き込んでやって、2回めは教材に、出来た、できなかったがわかるように解答欄に色分けしたシールを貼って答えを隠してやり、さらにその後今度はその教材の各ページをスマホで写真に撮りそれを見て解き直していました。何回やったの?と聞くと、だいぶやりました、と答えました。すごいね、徹底してやってるね、じゃあこれをやって見る、と別の教材を渡しました。

あまり得意でない、苦手なことを徹底してやることはなかなか難しいことです。それをこなすために絶対必要なのは能動性です。この能動性を得るためにはこうすればできるようになるという合理的な考え方を持つことです。私は継続力が持つ可能性を信じています。それを教えてもらったのは職場の上司です。そしてそれを、何冊もの啓蒙書等本を読んで確認しました。
効果が出ない時期にも、適切な努力を継続している限りいつか効果が出てきます。階段状に変わっていく成長曲線があることを知っていれば、それも努力を継続させる動機になり得ます。効果は目に見える効果です。

でも目に見えなくともその人が継続して努力を続けている限り、何かの良い変化を感じているはずです。内面的な変化は学習者が自ら探して確認することができるのです。この作業を良いコーチは学習者と同じ視点に立って手助けし、承認します。それは学習者にエネルギーを与えます。

やる気が出ないので勉強できない??

超介です。

私の教室では、カリキュラムは塾生が全部決めます。教科も、内容も、方法も塾生が決めます。私はコーチとして関わるのみです。もちろん質問には答えますし、塾生が決めることに感想を述べたりはしますし、時には提案も行います。さらに、ネット上の教材やら、様々な教具、かなり幅広いジャンルの書籍、パズル、おもちゃ等々を自由に使えるように置いています。塾生たちは自分ができることから始めます。そして、通塾しているうちに自分なりの学びのスタイルを身につけていきます。そうなると自信が出てきて、どんどん強くなります。

塾生は、一コマ90分間、自分のすべきこと、したいことを やります。それは自分と向き合うことです。しかし時には「やる気が起こらない」といって悩む者も現れます。時間もあって、眠くもない、しかし学習がすすまない、学習に集中できない、という状態です。

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しかし、この状態はとても大切な機会です。自分の中でセルフコントロールできない(と思っている)状態があること、そしてそれにどう向かい合えるか、それを知ることは人の成長に重要だからです。その方法として「邪魔するもの」を想定してそれを取り扱う方法もあります。ある人は「象使いと象」になぞらえて、状況をその人自身に理解させています。脳の機能から説明する人もいます。その時々に応じて対処するのが私のコーチとしての仕事です。

それは、大人の場合も同じで大人の場合は子供の「やる気が起こらない」の理由に対応するのは、多くの場合は「忙しい」とか「何々があるので」とかが多いようです。

それらの理由は、そのように考えればその状況の説明がつくので、そう表明しているだけです。多くの場合はじっくり取り組むとできることであったり、やらないでいいことであったりします。ただ、できることから始めればよいだけであって、やる気は必要ありません。継続していると副産物としてやる気はでてきますが、なくてもできるのです。

相手の立場に立つ

超介です。

人間関係でも、組織と組織、国家と国家においてもどのような関係を作るかは、とても重要な選択です。時には関わらない方が良い場合は結構あるように思います。ここでは、関係を良くしようという選択をした場合においてのことです。どのように選択するかの過程についてはここでは書きません。

相手の立場に立って考えるとは、正確には「たったつもりで考える」のが精一杯の意味で、「正確に相手の立場に立つ」ことなどは基本的にできません。そこから考えれば、まずは理解するように努力して、「このような意味かな?」と想像したり、その範囲を絞りこむぐらいです。

上の者が下の者の行動を見る時、上から目線で、批判的に見、考えを伝える、意見を述べる時には「相手の立場に立ったつもりで考えていて」そしてそれが相手に受け入れてもらえないことがよく起こります。その結果、関係がまずくなることが多くて、関係が疎遠になる、衝突が起こるということがそこらじゅうで起こっています。

そのようなことは親子や、生徒先生あるいは上司部下等の近い関係ほど起こりがちです。相手のことをわかっていると判断してしまいがちだからです。私も、塾で働いていた経験から、そのような苦い経験を繰り返してきました。学習態度が良くない塾生を否定的に見、叩き直そうとしたり批判を続けたりして結局は休んだり、退塾してしまったり。塾の場合はやめれば済みますが、そうでない、あるいは閉鎖的な場合やら、離れられない強制力が働く場合はさらに悲劇までが起こる場合があります。家庭やら、学校、あるいは企業なども離れればいくところがない、あるいは生活できない場合です。

ED187B1E-86A2-4753-830C-CD5988F80ACEいくつかの苦い経験から私が学んだことは、「理解できると思わない」けれどそれに向かい「努力を続ける」ということと「尊重」することの有効性です。それを維持するだけでも、関係がずいぶん変わりました。こちらの方がより良い結果に結びつく可能性が高まるように思うのです。そのような態度で接していると、突然に相手が心を開いてくれたように思える瞬間(心にブリッジがかかる)があるのです。それは、はっきりと五感で自覚できるのです。